市民さんからのコメントに対する回答
3月30日付けの沼子になるな に対して、市民さんから本日コメントを頂きました。2ヶ月以上も前の記事をご覧いただけるとは嬉しい限りです。コメントを返すべきところですが、長くなるので投稿記事として掲載させていただきます。
いただいたコメントの内容は、以下のようなものです。
風評被害に関してはこんな意見もあります。
中部大学 武田邦彦
http://takedanet.com/2011/06/post_6864.html
市民さんが、どういう趣旨でこのサイトを紹介してくださったのかわかりませんが、おそらく武田先生の主張をご覧になって共感し、私の投稿に対する反論とされたものだと思います。
そこで、武田先生の主張に対する反論をして、市民さんに対する回答とさせていただきます。<>内が武田先生の意見です。
そういう方がいるのかも知れませんが、少なくとも私は、「風評被害を言うな!」とは言ってません。不合理な事をするなと言っているだけです。合理的な被曝低減策は積極的にすべきだと思っています。<少しでも子供を被曝させたくないと懸命になって食材を求めているお母さんに「風評被害を言うな!」と責める鬼のような学校の先生、市役所の公務員、そしてジャーナリストがいます>
不合理な事とは、1mSvの被爆を避けようとして、それ以上の被曝をすることです。避難することのリスクでも航空機による被爆問題を、それ以外にもあります。
たとえば、ヨウ素131の甲状腺被曝を防ぐために、安定ヨウ素を摂取しようと海草類を食べることもそうです。(これ勧めたの有名な反原発ジャーナリストですよね)なぜなら、乾燥ワカメには、1500ベクレル/Kgの放射性カリウムが含まれていますのです。
この点は、その通りだと思います。でも、誰がどこでそんなこと言っているのでしょうか。少なくとも私は、1)、2)のように考えていません。<1) 暫定基準値以下(以上も間違い?)だから「被曝する」というのは言いがかりだ、
2) 政府が1年100ミリまで大丈夫と言っている。二つともウソなのです。>
そもそも、水道水にシーベルトの基準はおかしいでしょう。また、食品からの内部被曝の暫定基準値は、武田先生が言われるようにさまざまな食品からの摂取を前提に造られています。消費者庁が食品と放射能Q&Aを出していますのでご覧になってください。暫定基準値の算出根拠が9ページにあります。<「日本人は水道だけを飲んで生きているのではない.従って、水道の基準は、1年1ミリシーベルトの一般的な基準をさらに10分の1にして、0.1ミリシーベルトの被曝にならないようにする」と言うのが正しいのです。>
文科省はそんなこと言ってません。そう言って欲しいという願いをもって聞くからそう聞こえるのでしょう。たしかに、20mSvは高く、校庭には10mSvくらいが適当だと思います。でもそれは今は重要なことではありません。そこに住み続けるためのより実効的な対策をするには、事故時の基準が必要なのです。大丈夫かどうかではなく、どこで折り合いを付けるかの問題です。<ところが、足し算ができるはずの文科省大臣がウソをつき、「1年20ミリまで大丈夫.これを1時間あたりに換算すると3.8マイクロシーベルト」と言ったのです。>
ICRPの勧告を読んで頂ければその意味が解るはずです。(反原発の)岩波書店の世界6月号にも、「食品の放射線汚染は避けられるか」という記事があります。少々難解ですが、ぜひ読んで下さい。ICRPの委員達が被害を最小化するために、真剣に何を議論したかがお解りいただけると思います。安全・危険の二分論では混乱が深まるだけです。
1年1ミリシーベルトを超えて処分されるのは当然です。しかしこれは社会科(法律)の問題です。これ以下なら安全という理科の問題ではありません。見通しの良い道路でも、速度制限が40Km /hのところがあります。これを超えれば違法です。しかし、危険なのでしょうか。もし40Km /hを超えれば危険だとしたら、救急車もパトカーも40Km /hで走るべきと言うことになってしまいます。<東電の原発の中で働いた一般の大人が1年1ミリシーベルトを越えたと言って政府は東電を処分しているのに、同時こんな通達を出して子供を被曝させています(下はその内容)。>
そもそも、年1ミリシーベルトというのは、原子力を社会として受け入れるための基準です。社会科の問題として出てきた数値なのです。原子力発電のメリットは、被曝のデメリットよりも大きい。なぜなら、1年1ミリシーベルト以内に収めることができるから、というための数値です。原子力推進のためのロジックのための数値なのです。これに乗ってしまうから、脱原発は理論的におかしくなるのです。これは、八ツ場ダムの反対運動が、推進のための基本高水にこだわって、ドツボにはまっているのと似ています。
それ以降の武田氏の議論は、法律で決められているから、それ以上は危険だというものです。まったく理由になっていません。
武田氏はICRPの放射線防護の考え方(ALARA)を理解した上で、あえてこんな誤解を招くことを言っているのだと思います。おそらく何か理由があるのでしょう。でも、もしかしたら、ALARAを理解していないのかも知れません。原子力委員や原子力安全委員を務めた方でさえ、知らないことがたくさんある。それが原子力の一番怖いところです。武田先生は身をもってそのことを世に知らしめているのかも知れません。
武田先生は「地球温暖化は嘘」など新たな問題提起をされる点は評価されるべきですが、科学的に間違ったことを言われることから、学者からは評判がよろしくないようです。私が知っている限りでも、再臨界についてもまったく誤解されているようです。原子炉の専門家ではあり得ません。
また、武田先生は事故前は「安全な原子力なら賛成」といって、条件付き推進派だったようです。しかし、安全な原子力などあるはずがありません。原子力は危険なものです。そんなことも解らない方が、原子力安全委員です。おそらく、原子炉のことをご存じないから、何が危険なのかお解りにならないのでしょう。だから、一般受けする子供の被曝を持ち出して、危険を煽るのだと思います。
それにしても、<私たちの子供の健康を犯罪人に任せることはできません。> とは、あきれます。これは、学者の言うことではないでしょう。学者ならICRPの勧告の元となったデータを科学的に批判すべきでしょう。それと同時に、一般市民向けにはICRPの放射線防護の考え方を説明すべきでしょう。
市民さん、今大切なことは何でしょうか。
私は原発事故の被害を最小化することだと思います。年1ミリシーベルトという数字を守れば、被害が最小化出来るのならば、私もそれを支持します。しかし、年1ミリシーベルトに拘泥すれば、間違いなく大勢の死者が出ます。
冷静に考えてみてください。今、年1ミリシーベルトを超える見込みの地域がどれくらいかおわかりでしょうか。群馬は半分くらい、東京23区も東半分が含まそうです。その地域に含まれる人口はおそらく1000万人近いと思います。それらの人々は避難しなければ、年1ミリシーベルト以下にはできないでしょう。避難期間は年単位です。いったい、どこに避難するのでしょうか。避難できたとして、避難する途中で身体が弱い方はお亡くなりになるでしょう。避難先でもお亡くなりになるでしょう。ほとんどすべての避難民が、生活保護に頼ることになるでしょう。自殺者も多く出るでしょう。避難生活のストレスから身体をこわす方が出るでしょう。運動不足で発癌リスクがあがります。人がいなくなった地域の産業は壊滅的になるでしょう。復興には長い年月がかかります。その間一体何人が犠牲になるでしょうか。
これに対して、対策が困難だから、基準値を上げるのであれば基準値の意味がないという意見があることも知っています。しかし、ICROの勧告の基準値とはそういうものです。状況によって、かえるものなのです。都合によって変えようというのが、100ミリシーベルト以下の低線量での放射線防護の基本的考え方なのです。
さて、私たちが避けることの出来ない自然放射線は年間約1.5ミリシーベルトと言われています。その地域差は大きく、国内でも0.5ミリシーベルトくらいの差はあります。また、世界的にみれば、10ミリシーベルトの場所もあるそうです。そういう地域でも、発癌率が増えたということは解っていません。おそらく、増えているのだと思います。でも、統計上有意なデータは得られないのです。なぜなら、生活習慣や地域差などによる揺らぎに飲み込まれてしまうからです。例えば、先日群馬県の発癌率が高いことが報道されましたが、県ごとに生活習慣や環境が違うので、発癌率も違ってきます。10ミリシーベルトの被曝集団を検査できたとしても、その差はこのような地域の差に紛れ込んでしまうのです。
メリットのない被曝などしないに越したことはありませんが、1ミリシーベルト、10ミリシーベルトとは、そういう数値であると言うことを前提にする必要があります。
反原発のため、被害を出来るだけ大きく見せたいのは解ります。推進派も被害を出来るだけ小さく見せようとしていますから。しかし、見せたいだけでなく、現実に被害を大きくしようとすることには、反対です。残念ながら、そういう言動をしている方が見受けられます。
年間数ミリシーベルトの被曝なら、リスクはありますが、その程度は小さいのです。仕方ないことですが、リスクを受け入れるたうえで、前向きの生活をすることがもっとも合理的でしょう。この際、生活習慣を改善して被爆の影響をマイナスにしてしまおうではありませんか。現実の被害をより少なくしようではありませんか。
そのうえで、東電に損害賠償をすればいいのです。違法にリスクある被曝を強要したのですから当然です。それこそが、脱原発への早道だと思っています。繰り返しますが、反原発イデオロギーのために子供ダシに使うべきではありません。何が本当の安全か、今は、それだけを考える時です。(杉山弘一)
しかし、チェルノブイリの後、何年か過ぎ、子供の甲状腺癌の発癌率が上がっているのも事実です。
私は、言い過ぎくらいで調度いい!と、思います。
投稿: ⑦シックス | 2011年6月 9日 (木) 05:09
⑦シックス さん
コメントありがとうございます。
「言い過ぎくらいで調度いい!」
そうでしょうか。正しいのが調度良いのであって、言い足りないのも、言い過ぎも調度良くありません。そもそも、被曝の人体への影響は、桁があっていれば正解の世界です。さまざまな、安全余裕を持って評価しています。通常時には余裕は多くても良いのですが、事故時には、事情が変わってきます。安全側に評価するだけでなく、もっとも起こりえると予想される評価も合わせて示すべきです。
「チェルノブイリの後、何年か過ぎ、子供の甲状腺癌の発癌率が上がっているのも事実です。」
はい、その通りです。
この部分だけ取り出すと恐怖を煽ることになります。
被曝量がどれくらいで、発癌率がどれくらい上昇しているのか、また、甲状腺癌でどれくらい亡くなっているのか、どんな治療法があるのか、などご自分で調べてみてください。
目から鱗の事実がたくさん出てきます。
投稿: 杉山弘一 | 2011年6月 9日 (木) 08:53
放射線被曝ではありませんが、リスクを過大評価したために問題が悪化した事例として、ハンセン病問題があります。
伝染力が非常に弱いにも関わらず、近づくと感染するかのように思われ、そうでないことが医学的に明らかになったあとまで、隔離政策による人権侵害が続けられていました。
また、ダイオキシン問題も過大にリスクを評価した失敗例でしょう。残ったのは焼却炉談合でした。
投稿: 杉山弘一 | 2011年6月 9日 (木) 17:34
杉山さんの意見も良くわかります。
しかし子を持つ親がそんなに素直に基準地を非常事態だからと、上げて納得するのでしょうか?
確かに甲状腺癌の治療方法が昔より発達しているのも事実ですが、親は子供を宝のように育てていますので。
人にもよりますが子供が転んで顔に怪我をしただけでも悲しむ親もいます。
私も風評被害は大嫌いですが、今の政府の対応は、国民の不安を煽るような動きしかできていないような気がします。
「反原発イデオロギーのために子供ダシに使うべきではありません。」
とは、いいますが、みんな反原発のために武田さんのブログを読んではいないと思います。
投稿: ⑦シックス | 2011年6月10日 (金) 02:21
⑦シックス さん
こういう真摯なコメント大歓迎です。
「しかし子を持つ親がそんなに素直に基準地を非常事態だからと、上げて納得するのでしょうか?」
しないと思います。だからこそ、平常時の年間1mSv の基準値の意味、今回の年間20mSv の意味、放射線防護の考え方を解りやすく説明する努力が必要だと思っています。
「私も風評被害は大嫌いですが、今の政府の対応は、国民の不安を煽るような動きしかできていないような気がします。」
私もそう思います。だからといって、武田氏のように専門家と自認する方が、放射線防護の考え方(ALARA)の説明を抜きに、ネガティブな情報だけを発信することは、これもまた不安を煽るものだと思います。
私は、行政に楯を突く行動を人一倍やってきた人間です。子供の安全を求めて行政に要請をする親たちの気持ちはわかります。
しかし、年20mSv の基準を撤回すると、どうして子供の安全につながるか理解できないのです。むしろ危険が増すだけだろうと思っています。一方、事故時の年20mSv の暫定基準をあたかも、平常時の基準であるかのように文科省が運用することには断固反対です。
年20mSvだから、被曝低減化対策はしなくて良い、自治体がすることも事実上禁止する、といった運用です。これは絶対にダメです。
だから、年20mSv の基準撤回を求めた運動が、校庭の除染を進めることにつながった点は高く評価しています。しかし、どうして「除染作業をもっとやれ」「自治体の除染作業に金を出せ(東電に出させろ)」という要求にならなかったのでしょうか。ALARAを理解していれば、1mSv、20mSv といった数値に拘泥することなく、そういう要請行動が出来たのではないかと思います。
文科省がICRPの勧告に従って、これまでなかった緊急時の基準を新設したことを基準値を20倍に上げたと誤解し、年間1mSv にこだわったことは、問題を大きくさせ、結果として子供の含めた社会の不安を増大させたという負の部分があると思います。もちろんそもそもの原因は、事故を起こした東電やそれを進めてきた政策にあるのですが。
なお、放射性ヨウ素の半減期は約8日ですから、放出された放射性ヨウ素も炉内の放射性ヨウ素も、3月11日の約2000分の1に減少しています。
甲状腺癌を引き起こす放射性ヨウ素による被曝の心配は終わったと考えて良いでしょう。今後は、被曝した子供たちの検診、精神的ケアをどうやっていくかということが重要になってくると思います。
最後に熊本大学の粂医師の意見を紹介します。
http://sleep.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-26b5.html
http://sleep.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-4d7b.html
投稿: 杉山弘一 | 2011年6月10日 (金) 09:16
問題は、放射線の基準なんです。
年間1mSv は多分安全な、感じ。
20mSv は、きっと安全みたいな。
200mSv は、危険みたいな。
そんなゆるい、取り締めが国民が不安になります。
あと、個人的に思うのは、日本人に
勢い、気持ちの力が、足りないから暴動の一つでも引き起こした方が政府に対するいい薬だと思います。
あくまでも個人的な意見で誘うような気持ちも有りませんが、、(笑)
あとここは、意見を言い合う場所なのでしょうから、杉さんも、専門的な話じゃくハードルを下げて、みんなの意見を(書き込み)聞けるような努力がひつようです。
じゃないと「市民の目」じゃない!
杉山さんの「目」ですよ!(笑)
投稿: ⑦シックス | 2011年6月15日 (水) 06:16
⑦シックスさん
「問題は、放射線の基準なんです。
年間1mSv は多分安全な、感じ。
20mSv は、きっと安全みたいな。
200mSv は、危険みたいな。
そんなゆるい、取り締めが国民が不安になります。」
おそらく大部分の方がこれに似たような気持ちをお持ちなのだろうと察します。だからこそ、そこに付け込んで不安を煽る方々がいるのだろうと思います。
しかし、この不安は安全というものの無理解から来ています。安全とはリスクがゼロであることではありません。リスク少ないことです。ここの理解が不可欠です。
何ミリシーベルト以上ならば直ちに死亡、それ未満ならばまったく影響がないという値があれば簡単なことですが、それがないことはお解りいただけると思います。
しかも、放射線に関する感受性には個人差も大きいのです。基準値を造る立場の方が真面目に考えれば考えるほど、はっきりとした値など提示できなくなります。
基準をはっきりさせろということは不可能を要求することで、何の解決にもなりません。
私は、国民の不安が増幅したのは、一部の専門家と称する方がそこを説明せずに、自らのイデオロギーの主張のため利用しようとしたのを、一部のマスコミが便乗したことにあると思っています。ダイオキシン騒動や薬害エイズの時の繰り返しです。
「あとここは、意見を言い合う場所なのでしょうから、杉さんも、専門的な話じゃくハードルを下げて、みんなの意見を(書き込み)聞けるような努力がひつようです。」
そのとおりですね。専門的な話をしているつもりはないのですが、受け取る方にしてみれば、そうではないようです。
専門家と自認する方に対しては、厳しく誤りを指摘していますが、一般市民の方に対しては、たとえ誤った認識があっても、それなりの対応をしているつもりです。
疑問や私に対する意見もお気軽にぶつけてみてください。
投稿: 杉山弘一 | 2011年6月15日 (水) 08:29