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メンバーの裁判

« ある保守主義者の見た日本 | メイン | 東電役員は個人責任を取れ。 »

2011年4月24日 (日)

何が人道的か。

  こんな署名が回ってきて、考えさせられました。

【緊急声明と要請】子どもに「年20ミリシーベルト」を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し、撤回を要求する。

 年20ミリシーベルトの被曝は決して好ましいことではありません。そして、3.8マイクロシーベルト/時が、労働基準法で18歳未満の作業を禁止している「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)の約6倍に相当することも、年20ミリシーベルトは、原発労働者が白血病を発症し労働認定を受けている線量に匹敵することも、また、ドイツの原発労働者に適用される最大線量に相当することも、まったくその通りだと思います。

 現在、福島県によって県内の小・中学校等において実施された放射線モニタリングによれば、「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)に相当する学校が75%以上存在する。さらに「個別被ばく管理区域」(2.3マイクロシーベルト/時以上)に相当する学校が約20%も存在することも、そのとおりでしょう。

 どれも、問題です。問題を指摘するのは大切なことです。でも、どうしたらいいのでしょうか。原発事故の原因を造った国に文句を言いたい気持ちはわかりますが、どうすれば、子供たちを被曝リスクから救えるのでしょうか。学童疎開をすることも、校庭での運動を禁止することも、リスクが伴うのです。リスクゼロで被曝を避けることなど不可能なのです。現状では、有効な手立てはないのです。誰も、解決策を提示できないのです。

 署名を集めている方達も、その点は、お解りのようで、緊急声明は、具体的な救済策を提示することはせず、「子どもに対する年20ミリシーベルトという基準を撤回すること」を要求しています。しかし、撤回してどうするのでしょうか。子供たちが喜ぶのでしょうか。撤回すれば、混乱が深まるだけだと思います。
 また、平常時の基準である年1ミリシーベルトにすれば解決するのでしょうか。年1ミリシーベルトにしても、癌になる子供がいるのですから解決しません。ゼロになるまで解決しないのです。それが出来ない以上、批判を覚悟で、どこかで線引きをしなければならないのです。

 また、緊急声明は「子どもに対する年20ミリシーベルトという基準で安全とした専門家の氏名を公表すること」も要求しています。たしかに、これは必要でしょう。しかし、そもそも、基準値以下なら安全という考え方が成り立たないのです。文科省がそう説明したのであれば、それこそ全くの間違いです。指摘するなら、そこを指摘すべきだと思います。
 年20ミリシーベルトの基準とは、「社会的、経済的要因を考慮に入れながら合理的に達成可能だと国が考えるのは、年20ミリシーベルトが限界だ。被曝をこれ以下にするために学童疎開や校庭での運動禁止をすれば、かえってリスクが高まり、子供たちの健康に悪影響がある。だから、年20ミリシーベルト以下の被曝は受け入れて欲しい。」ということなのです。

 私には、それを言うことが果たして良いことかどうか解りませんが、解決策もないのに、年20ミリシーベルトのリスクをやたらに大きく指摘しても、得るものはないと思います。それを受け入れて生活するしかない人にとっては、迷惑な話ではないでしょうか。

 それよりも、年20ミリシーベルト程度の被曝では癌にならないと言うデータはありませんが、癌になったというデータもないのです。そういうことも合わせて示して、安心させる方が人道的だと思います。また、発癌リスクは、生活習慣でかなり減らせることが解ってきていますから、そういう前向きなことを啓蒙することも大切だと思います。癌の早期発見を啓蒙することも重要でしょう。

 なお、だからといって、事故を起こした東電やそれを見逃した国の責任が軽減されるわけではありません。それと平行して、こういった究極の選択を強いる原因をつくった東電や国の責任追求は徹底的にやるべきだと思います。

 是非、皆さんの意見を伺いたいと思います。(杉山弘一) 

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何が人道的か。を参照しているブログ:

コメント

繰り返しになりますが、
根拠はこれです
しきい値仮説:100mSv/年以下は一切障害がない
確率的影響はない;
○久住委員(原子力安全委員会):
-------------------------------------------------------------
私どもは非常に保守的に1年間に1mSvを一般公衆の被ばく線量として目指しておりますので、20mSvに急に上がるということに大変心配されるのではないかと思います。しかし、あくまで1年間に100mSvまでは確定的影響という被ばくをしたときに、短期間に現れる身体影響も、長期的に起こってくる晩発的影響、確率的影響も起こらないことをはっきり皆様に理解していただきたいと思います。特に今回は、急性被ばく、一度の被ばくではなく、継続している慢性被ばくですから、影響はより少ないというふうに考えられます。100mSv以下では心配は無いのだということをご理解していただいた上で、それでもなおかつ、できるだけ低い線量を目指すということで、ICRPのいう20mSvを目標にするという考え方で防護区域をもう一度考えていただくというのが適切ではないかと思います。繰り返しになりますが、しきい値はありません
20msV/年をリミットとする
-------------------------------
 人生80年で自然放射80mSV+20mSv/年=100mSV/一生。
まあしきい値仮説でもしきい値なしモデルでも結局ここら辺の数字が問題になるようですが。いずれの説がとられても、結局ICRP線量基準はそうはかわらないかもしれません。解釈だけが異る。
そこらへんがしきい値仮説にのっとったと思われる原子力安全委員会と、ICRP基準にのっとった原子力学会で数字の齟齬はそうない理由か。意味だけの違い
---------------
しきい値仮説によれば20mSv/年では健康被害はないが生涯で確率的影響が出る100mSV/年を越すからリミットとするLNTmodelでは20mSV/年で確率的影響があるから避けるべき。

原発がこれほど危険なものとは知らなかったという人がいたとしたら、その人は知的怠慢を責められても仕方ありません。 チェルノブイリがあったし、スリーマイル島の事故が起きていたからです。菅政権は、今は考えを変えたかもしれませんが、原発で全発電量の50%を賄う計画を公表していました。東電の清水社長だって口にこそ出しませんが「自分は貧乏籤をひかされた。自分も被害者だ」と腹のなかでは思っているのではないでしょうか。その行動、態度、振る舞い方を見ていると、加害者意識がないか、あってもきわめて希薄なように思われます。昔の日本人なら腹を切って詫びる場面ですが、清水にはそんな気配はまったくありません。事実上の市場独占企業の東電にも会社がどうなっても
事故の補償をするというような覚悟は感じられません。東電が潰れたら困るのは電力消費者だろう、潰せるものなら潰してみろ、という開き直りさえ感じます。リーマン・ショックのとき、大きすぎて潰せないとされた金融会社に似たところがあります。小生は、そうした恫喝に怯えるわれわれや政府の弱気が次の大事故を引き起こす、と見ます。ここは、ともかく、東電役員を全部犯罪者として刑事罰を科し、財産は没収して補償に充てるぐらいのことをするべきでしょう。では、電力の供給はどうするか? 必ず東電とはまったく体質の異なる企業家が現れます。今必要なのは、役人とグルの前時代の企業人ではなく、倫理観念のある、奉仕を使命とする新しいタイプの人たちです。(峯崎淳)

 原子力は潜在的に大きな危険性を内在していることは、従来から解っていたことです。今回はそれが顕在化してしまいました。
 潜在的な危険を顕在化しないためにさまざまな工夫が取られていることは事実です。英知の結晶と言っても良いと思います。しかし、それらの英知は残念ながら、営利主義のもとで、ズタズタにされています。目先の利益に負われ、狡をして嘘をついているからです。おそらく、狡や嘘がなければ、かなり事故は防げると思います。しかし、人間はまだ、おそらく永遠に、狡や嘘を防ぐ方法を見いだすことは出来ないのだと思います。
 そんな大変な思いをしなければならない原子力を人類は選択する必要性はありません。もっとコストの安いエネルギー源はいくらでもあります。少なくとも、原子力に注いだ英知をもってすれば、その方が合理的であることは明らかです。
 考えてみて下さい。夏のピーク電力は冷房需要です。屋根が熱せられ、その結果部屋が暑くなるのです。それを冷やすために、原子力で莫大な熱を生み出し、タービンを回しているのです。暑い盛りに、巨大なストーブを付けているのです。その三分の一しか電気にならないのです。こんなバカげたことが、合理的であるはずがありません。 
 屋根に注いだ太陽エネルギーを利用してお湯を沸かしたり、電気を造った方が、どう考えても合理的です。そこに、英知を注いだ方が合理的です。
 そもそも、太陽は巨大な原子炉です。なにも、それを地球上に造ることなどありません。そのエネルギーを拝借すれば良いのです。太陽エネルギーを効率よく利用することにこそ、英知を注ぎべきだと思います。
 大局的に見れば、原子力でエネルギーを生み出すという発想は、極めて不合理です。 
 ただし、現状の被曝リスクを過大に評価することもまた不合理だと思います。それは、よりリスクの大きい選択を強いる結果、かえって被害を大きくしてしまうからです。感情的に不安を煽る人々、何の反省もなく安全と言い切る人々、どちらも合理的とは思えません。
 脱原発のためには、事故を大きく見せることよりも、事故の原因究明や東電幹部の責任追及に力を入れるべきだと思います。

学校の放射線量についてのログがありました。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1303660138

こういう論理的な考えこそが大切だろうと思います。

なお、郡山市では、試験的に表土の除去作業を行うそうです。

東大病院の放射線治療チームが、ICRPの勧告を解説しています。

ICRPの考え方は、被爆問題を理解するために必要なものです。是非ご一読ください。
http://tnakagawa.exblog.jp/15365406/

何ミリシーベルト以下なら安全、それを超えると危険といった絶対論的な基準値のとらえ方が間違いであることが解ります。

私と同じような疑問を持っている方が福島市にもいらっしゃいました。

福島市在住の方のブログです。
http://kohichi.iza.ne.jp/blog/entry/2289653/

喜べない反対運動の声と題して、「20ミリシーベルト」を強制する文部省を包囲せよ!という反対運動を批判しています。

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