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2011年4月 9日 (土)

選挙に行こう 2

東日本大震災から間もなくひと月がたとうとしているが、石原都知事が花見の自粛を呼びかけたり、統一地方選での候補者名連呼に自粛の動きが出たり、とこのところ何やら居心地の悪さを感じている。「自粛だ」「不謹慎だ」「節電だ」の正義を錦の御旗にした同調の圧力である。みんなで力を合わせて復興を目指すことに異論がないのは勿論だが、『一致団結』は紙一重で『圧力』につながりかねない。今、日本に必要なものは、もっと冷静になって広い視野で見る「大人力」とでも呼ぶべきものだ、と思うのだが。

片品村がいち早く震災被災者の受け入れを表明したことは評価できるが、浮き足立って集まったボランティアにしろ、役場入口正面に貼り出された「受け入れ応援メッセージ」にしろ、そこには「大人力」の欠片も見られない。実際、南相馬市の人たちの受け入れで、村は物事の後先も理解できないことを露呈したし、聞く耳を持たないことも暴露した。この件については近々、項を改めて書くつもりでいるが、「正義」を通して、千明金造が改めて底の浅さをさらしてしまったことは皮肉であり、このことに私はうんざりし、今、この男を首長に推した連中に憐れみさえ感じている。

<村に望みが持てないなら、せめて期待をかけられる先を探してみよう、と県議選に目を向けてみた。隣の選挙区の三つ巴戦には傍目八目的な興味が引かれるが、ここ片品は同じ顔ぶれの水上との一騎討ちである。

>片や現職の71歳、「6つの決意」の冒頭に「観光客を増やします」とあるが、具体的に何をどうするのか。今に始まったわけじゃないテーマに現職の4年間、何をしてきたのか。4年前に苦杯を舐めた一方の55歳、ふるさとに活力を取り戻したい、と言う。

仕事の関係で横須賀へ出たが、私の祖父母は前橋総社の出である。両親は揃って群馬師範を出ている。私の片品移住は57歳の大人の判断でこの村を選んだものだが、祖父母から見れば、隔世遺伝的ふるさと回帰であろう。より良い群馬、元気な片品を望むのは当たり前である。

横浜から通う早稲田の学生たちが集まる「早稲田浜会」なる会があり、大学の4年間、私はそこの準会員だった。52年前の私立中学お受験組みとして入ったカトリック系の中高一貫の男子進学校は、高校2年から志望校別に理科系と文科系に分けられ、3年からはそれぞれが国立系と私立系に分けられた。私が入った文科系私立のクラスは、校風への憧れから早稲田派、慶応派とくっきり分かれ、私は早稲田派の仲間たちと図書館へ通って受験勉強をした。早稲田派の仲間と横浜駅で待ち合わせて願書を出しに行き、入試当日も合格発表の日もそうした。仲間全員が無事第一志望をクリアし、早稲田浜会の集まりに呼ばれるようになり、毎年開くイベントのポスターやチラシ、チケットのデザインを頼まれた。そんな経緯での準会員だったから、早稲田への思いは多摩美についで強い。第一志望の多摩美のデザイン科に落ちていたら、早稲田の政経に入り、かすかに新聞記者のイメージはあるものの、その後の人生はほとんど想像できないでいるが。

そんな心情的理由で、すでに私の中では軍配はあがっているが、私にかすかにでも「大人力」があれば、という前提で言えば、彼が4年前に舐めた苦杯に期待している。彼がそれをどう捉え、咀嚼し、昇華したか。それが彼の「ふるさと」への思いにつながり、やがて広く利根の人たちに活かされてゆくことを、期待して止まないのである。(木暮溢世)

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