未曾有の大災害と議員ーこの人を見よ!
東北大震災は福島の原発事故が起きたことで災害の規模が日本歴史上最大のものとなりそうだ。この災害を乗り越えて日本が再生するかどうか、世界中の人々が息を凝らして見守っている。私の持論は日本人が本来の日本人に立ち戻ることができれば、再生できるが、そうでなければ復興はむずかしい、というものである。本来の日本人とは何か?それは、危機に際して毅然として平常心を保ち、助け合い、支えあう日本人である。じっと耐え、欲望を抑え、利己に走らず、犠牲をいとわない日本人である。
新自由主義で利己的欲望と競争心をあおり立てられ、未来を見失っていたかに見えた日本人に正気が戻ってきた。震災前すでに、生活様式を見直し、際限なき欲望から下りる生活が始まっていたが、そうした変化に拍車がかかるだろう。
そうした震災の重大な意味が一般の人々に理解されるにはしばらく間があるだろう。だが、そんな悠長なことは言ってられないのが社会のリーダーである議員たちである。しかし、国会の審議を見る限り、国会議員は情けない。相変わらず、つまらぬ党利党略のケチの付け合いをやっている。自民党の某議員は、「菅首相が原発の事故後すぐ現地入りしたため初動活動が遅れた」と難癖をつけていた。なんという人物の小ささかと呆れた。今議論しなければならないことだろうか?被災地では飢え、寒さ、疲れ、ストレスから大勢の人々が病気になり、亡くなっている。それを何とかするのが議員の仕事だろう。
今、どうするか? 明日どうしたらいいか? そのための真剣なアイデアを出し、行動に移すことこそ、急務ではないのか?このような議員など何人いても役に立たない。立たないどころか、邪魔だ。自民党も落ちるところまで落ちた。昔はもっとましだったような気がする。
しかし、国会議員はだめでも、地方には人物がいる。私は当地の金子浩隆県会議員を見てそう思った。彼は震災以来、自分の選挙準備よりも、被災地救援と群馬県に発生した風評被害を防ぐことを優先し懸命の活動をしていた。「選挙はどうするんだ?」と心配する後援者を「今は現職の県議としてやらなければならないことがあります」と説得した。対立候補たちがさまざまな選挙運動を始めているという報告が来るが、金子浩隆はまったく動じなかった。
これはリーダーの大切な資質である。熟考し、ことの軽重を決断する。時には、歩きながらでも考える。でも、ひとたび決めたら、断固貫く。金子の活動の根底にあったのは被災民への同情である。ヒューマニズムと言えば尤もらしく聞こえるかもしれない。金子の動機は被災民や、不評被害で野菜が売れなくなった農家への共感だった。何の危険もないほうれん草がなぜ売れないのか? 彼は野菜を積んで農家と一緒に筑波の放射線研究検査施設に車を走らせた。そして、基準値以下の検査結果をもらって帰ってきた。自民党の県議団団長として群馬県の温泉の湯を自衛隊とともに被災地に運び、3月11日以来風呂に入っていない被災地の人々に届けた。被災地の人々は群馬の温泉を一生忘れないだろう。
金子浩隆は人の寝首を掻くような卑怯な真似はできないだろう。人間が正直だからだ。しかし、こんな未曾有の国難の時、このような人物を県議として持てることは沼田は無論、群馬県民の幸せである。こういうよい人間こそ災害を克服するとき最も力となることを選挙民は知っておくべきである。(峯崎淳)
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