片品は、伊達にどん詰まりじゃない?
連休が明けた昨日、22日、私は野暮用があって出向いた村役場の正面玄関を入ったところで"異様"なものを見た。
『東北地方太平洋沖地震 受入に対する応援メッセージ』。
私はきつねにつままれた気分になった。南相馬市から避難してきた人たちへの応援メッセージならわかるのだが、何故、受け入れに対する応援メッセージなのか、私にはこの村の役場の感覚がまったくわからなかった。すぐに担当の総務課長に、誰に対して、何をアピールしたいのかを尋ねると、村が南相馬市からの被災者1000人を受け入れたニュースに対する反応を村民に知らせるため、という答が返ってきた。確かに、そこには片品出身者ばかりでなく、全国各地から寄せられた称賛メールのプリントアウトされたものが貼り出されていた。
この受け入れのニュースは村内にも防災無線で知らされ、18日当日には、被災者を迎えに行ってきた23台のバスが赤城高原SAに到着し、そこで夕食が配られた経過や、10時過ぎに戸倉、岩鞍、越本、東小川の4ケ所に到着予定であること、時間のある人はそれぞれの場所で出迎えて欲しい旨が、毎晩定時の7時半以外にも経過を追って防災無線で知らされており、しかも、到着した翌19日朝8時半には、千明金造村長の被災者へのメッセージが繰り返し2度も放送されたのだから、村民には最も確実な方法で周知されていたはずだった。
隣近所の人が困っていれば、手助けするのは人として当たり前の感情だと思うし、今回の受け入れは規模が大きいとはいえ、尾瀬をはさんで隣り合った福島の被災した人たちを手助けするため、という当たり前の発想からだったのではないのか、と思うのだが、テレビで見たあの津波にさらわれ瓦礫と化した町から避難してきた人たち、福島原発に起きている事故の不安から逃れてきた人たちを迎える現実とはあまりにもかけ離れて、お祭り騒ぎのようにさえ見える役場の対応に、わけのわからない違和感以上のものを感じた。
要するに、片品の役場は村民に対して、村粋主義を植えつけたいのか。被災した人たちよりも、役場が主役になりたいのか。皮肉な言い方をすれば、そうまでしなければ、村の人たちは自分の生まれ育った村への愛着に自信が持てないのか。役場が村民のその生まれ故郷への愛着を疑っているのか。穿った見方をすれば、村議選を前にした何らかの思惑が裏にあるのか。下世話な言い方をすれば、片品は伊達にどん詰まりじゃない、ってことなのか。せっかくの善意が、これでは偽善になってしまうんじゃないのか、とさえ憂えた。
この称賛メッセージの中に、特に気になる1通のファックスがあった。「村長さま、副村長さま、ならびに各課の課長さまへ」と始まる書き出しの異様さもさることながら、そこには、村が被災者を受け入れると決めた迅速な判断に深い感銘を受けた、とあり、村を誇りに思う、ともあった。都会から移住し、村の人たちにはない感覚を持つことに注目していたこの若者のブログには、村の被災者受け入れのニュースが新聞に載ったときから、ボランティアを目指す非常にハイテンションな表現が並び、「湘南・生と死を考える会」で10年間ボランティア活動をした中で、その人間模様の中にボランティアの功罪も見てきた私には、舞い上がっているようにさえ見えていた様子に、期待はしながらも少なからぬ危惧があった。この若者グループの中に、4月の村議選に名乗りを上げている人物がいることにも不快感があったし、周りの大人たちがこの若者パワーを新しい主役のように単純に評価することも、受け入れを決めたペンションの人のブログから伺える緊張感がストレスにつながるのではないかも気がかりだった。
南相馬市からの7時間に及ぶバスでの移動を終え、到着した被災者を横断幕で迎えた光景にも違和感を感じたし、その直後、私の懸念が片品の医療事情に直面する形で現実のものとなったことを若者のブログで知った。私自身が手探りで経験した10年が重なって見えた。若者グループに幾人かの大人たちが加わって、やや落ち着きが見え、現実が若者たちに次の方向を教えている様子も見えてきた。片品の未来を担う若者たちが、先行きが見えない南相馬市からの被災者受け入れを通して何をつかんでゆくのか、期待はしながらも、しばらくは気がかりを拭えないまま見てゆくことになりそうな気配を感じた。
役場とこのボランティアグループが浮き足立って見えるような中、片品が東北大震災の被災者を受け入れよう、と誰が言い出したのかがふと気になって調べてみた。辿り着いたその人は冷静に「名前は伏せておいてくれ」と言った。片品にも『伊達直人』がいることを知って、少しは安心したが。(木暮溢世)
横断幕を出していたのですか。それはやりすぎですね。きっと反対していた人もいたことでしょう。おそらく「なにもなきゃはりがわりいだんべ」と声の大きい人の意見が通ってしまったのでしょう。こうした勘違いは被災者との生活のなかで少しずつ是正されていくのではないでしょうか。
受け入れ応援のメッセージ掲示、そんなに「異様」なことでしょうか。実家のペンションを手伝うために帰省している娘さんのブログを読みましたが、被災者の方々は少しもお客さん気分などなく、配膳や皿洗いを手伝っているそうです。この方々が役場に寄せられた村内外、県外からの応援のメッセージを知ったら、わずかでも肩の荷が下りて安心されるのではないのでしょうか。掲示の目的はそうではなくもっと単純な物だったと思われますが。
投稿: 沼田市民 | 2011年3月24日 (木) 10:41
沼田市民さん、コメントありがとうございます。
いろいろな声があります。捉え方もそれぞれです。私の意見もそんな様々な思いの中のひとつです。私の意見の中には、引っ越してきてもうすぐ8年になりますが、その間に受けた役場の対応、村の人たちの対応、見聞きしてきたすべてに対する印象、感想が先入観として影響していることも否定しません。ボランティア活動という概念についても同様です。
今回の被災者受け入れに対して、「片品むらんてぃあ」というボランティアグループができて、様々なお手伝いをしています。これについてもいろいろな見方があると思いますし、受ける側の思いも様々でしょう。声を上げた人たちの思いがつまづくことも立ち止まらざるをえないこともあると思います。おこがましいのを承知で言えば、せっかくの厚意、熱意が現実に起きることを糧にして、その人たちのものになっていって欲しいと願っています。
多くの人たちに共通した思いだと思いますが、南相馬から避難してきた人たちには、一日も早く家に帰って元の生活に戻れることを願っています。受け入れ応援メッセージは、それからでも十分だと思います。
投稿: 木暮溢世 | 2011年3月25日 (金) 07:00
片品村の被災者受入れを称賛する声が多いのは事実(世間では村長の英断として語られているようだ)。それに気を良くしている村民が多いのも事実(慈悲深い片品村民の総意で受入れを決めたと思われているようだ)。村長による被災者へのメッセージを何故か二度繰り返したことも事実(震災時に村民へ向けた何の緊急避難放送も無かった防災片品がである)。総世帯数1715に対して1000人もの被災者の受け入れをしたことも事実(都市部では決してありえない異常な負担率である)。
正義心に燃え我を失っていた村民達もそろそろ気づき始めたのではなかろうか?片品村が無計画にキャパオーバーの被災者を受け入れてしまったことに。我々村民自身も震災の二次的な被害により大きなダメージ(宿や農家は特に顕著)を受けた(る)ことに。
投稿: 片品村民 | 2011年4月 4日 (月) 23:03
片品村の皆さんご苦労様です。沼田からの提案です。
村長は、直ちに、被災者受け入れ施設(および関係者)の入湯税、水道代などの村税や村の公共料金の減免措置をおこなうこと。これらについては、地方交付税での補填を、県国に要請すること。また、県税、国税についても、減免、延納を県や国に要請すること。
少なくとも、経済的負担は国民全体で分かち合うという姿勢が必要だと思います。
あわせて、東電との補償交渉を始めること。少なくとも電気代の請求は直ちにストップさせるべきでしょう。
投稿: 杉山弘一 | 2011年4月 5日 (火) 07:28
今回の片品村の被災者(避難者)受け入れの対応の速さや対応には最初は感動して涙をウルウルさせていました。
が、それが受け入れには一泊一人何千円、受け入れ人数が(最初)千人もいれば約一億円近くなってしまうとしりました。避難民が数十万人もいるのに、たった千人弱の受け入れのために一か月でそんなにもの大金を使っていいのでしょうか?
しかも7月まで受け入れるとのこと、それも国などから援助を受けて… 被災者の方でご高齢や病気、怪我をされている方は別として、元気な働き盛りの方などは、自分たちでご飯を作って、普通の生活をしていく必要があるのではないでしょうか?片品には、辞めてしまった旅館、集会所、空き家などなど、キッチンがあって宿泊できるところは探せばたくさんあると思います。そういうところを村が借り上げて自活させるなど、もう少し違う支援の方法があるのではないかと毎日心痛ませてます。
投稿: 片品村民7年目 | 2011年4月10日 (日) 02:03
片品村民7年目 さん
横やり失礼します。
<片品には、辞めてしまった旅館、集会所、空き家などなど、キッチンがあって宿泊できるところは探せばたくさんあると思います。そういうところを村が借り上げて自活させる>
同感です。ただし、片品村だけで考えるのではなく、少なくとも利根沼田広域圏に拡げて、住宅を借り上げる必要があると思います。
また、1泊2,500円を何時までも続ければ宿泊施設が人的にも経済的にも持ちません。夏の観光客受入にも支障が出るでしょう。
<たった千人弱の受け入れのために一か月でそんなにもの大金を使っていいのでしょうか?>
千人は大きいと思います。長期受入となれば、10億(一人100万)でも、足りないのではないでしょうか。宿泊費の他に福祉、教育、生活保護等の公的サービスの費用が膨大になるのですから。
村だけで長期受入は無理だと思います。早く、県や広域圏に協力要請をするとともに、東電との補償交渉を開始すべきだと思います。
投稿: 杉山弘一 | 2011年4月10日 (日) 20:50
自ら率先して支援を行っておきながら、後になってその費用を要求する。
片品村の行っていることは、「たかり」の手口のような気がしてならないこの頃です。
これこそ、偽善行為の極まりではなかろうか?
ボランティア活動者達が、後になってその費用を要求するなんてことが許されるのか?
迅速な支援部隊派遣をしておいて、その費用を後から要求するような国があるのだろうか?
それだけの予算を使うなら、もっともっと有効な使途があるはずである。
片品村は、身の丈にあった支援を行うべきであった。
もし国からの援助を得るとしたら、結果として大きな費用負担を被災地支援会計にしょわせることになる。
たかり先を東電に転嫁しても同じ事。それは東電の用意する被災者保障会計の中から振り分けられ、もっと深刻な被害にあった人々へ渡る金額を削ることになる。
投稿: 片品村民 | 2011年4月12日 (火) 10:13