ブログ内検索

  • Google

    WWW を検索
    ブログ内を検索

メンバーの裁判

« 片品村を二元代表するKYたち。 | メイン | まぶたのない爬虫類の目で »

2011年3月14日 (月)

東日本大震災後の日本ー保守主義者の夢

 今のままでは世界の行く手には大瀑布が待っている、と前回に書いた。今度の大震災は将来起きるそのキャタストロフィーのミニチュア版であった。神は警告をされたのである。われわれはここに神の啓示を見るべきである。おそらく犠牲者の数は万を越えるであろう。大津波は一度の来襲でなにも罪を犯していない万余の人々の命を奪った。その意味するところは何か?神がこれによって啓示されたものは何か?われわれは真剣に考えなければならない。 私は日本が今日まで走ってきた文明の破綻が啓示されたと思う。大量生産、大量消費、大量廃棄の罰当たりの文明の行き着く先を神は黙示されたのだ。

 大震災後に復興する日本は震災前の日本とは違うと考える。福島原発に起きたことは、原発というものが、本来的にどんなに手に負えない危険なものであるかを示している。そのような危険を冒してまで、エネルギーを大量消費する文明を維持する意味がわれわれにあるかどうか問うているのである。電力が不足するという大東亜戦争敗北後のごとき状況が起きた。われわれはまばゆい光の洪水のなかで営業する家電販売店やパチンコ屋が本当に必要かどうか自らに問わねばならない。自動車のトヨタやマツダが減産するという、われわれはトヨタなしで生き延びる文明を考えなければならない。野放しにされてきた「欲望」を制御することを学ばなければならない。われわれの多くは、闇夜に真昼のような明るさに大騒音を立てて誘客するパチンコ屋を苦々しい思いで我慢してきた。そこにあるのは生産するものが何もなく、無駄な消費だけしかないギャンブルの時間とエネルギーと心理の消耗装置だからである。トヨタは違う。世界市場で確かな競争力を持ち、外貨を稼ぐ優秀な車を生産する会社である。パチンコ屋と同列に並べることはできない。しかし、トヨタやトヨタが生産する車が絶対になくてはならぬものかと言えば、そうだとは言い切れまい。大震災後の大津波でヘッドライトを点けたまま海に運ばれた車を見たが、あの車には人間が乗っていたに違いない。それはそのまま棺桶となってしまったのだ。人々がなくてはならぬと思っていた大切な車は実は生きたまま埋葬する棺桶だったのである。
 福島原発3号機の水素爆発がその後どんな展開をするか予断はできないが、第三の棺桶にならぬことを祈るのみである。

 震災直後の騒ぎが一段落すれば必ず復興の計画が立てられる。私は今度の復興は単なる復旧であってはならない、と思う。大量生産、大量消費、大量廃棄の文明とはっきり決別し、人間がむちゃくちゃな生存競争に狂奔する世界ではなく、節度と中庸を大切にする万人協和の世界を目指すべきだ。浅ましいエゴイズム、見え透いた偽善の政治から、本音で万人の幸福を願う政治に転換するのである。(この政治の先行国にブータンがある)

 復興はブータンの政治のように、人々の幸福度を高めることを目標とすべきである。壊滅したインフラストラクチュアの再建が必要になるが、従来のような役所の縦割りによって電力、道路、鉄道、水道が各自ばらばらに仕事をするようなことはあらかじめ立法処置によって防がねばならない。市街地の電線はすべて地中に埋設することを原則とし、道路、水道、都市ガスなどと一体として計画敷設するべきである。港湾などは各地がばらばらに勝手に復興するのでなく大きなグランド・デザインをつくり、地方の役割分担を決め、秩序ある展開を試みるんおである。これには、想像力に富んだ指導者が私心を捨てて指導力を発揮すべきである。
 民主党はグランド・デザインの策定のため見識を持つ専門家の委員会を設置すべきである。そして、計画実行の妨げとなる現行法の改正から始めるべきである。
 東北の被災地域を「開発特区」に指定、政治制度改革の先進地とするくらいの意気込みを期待したい。

 

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.kazelog.jp/t/trackback/308121/26138323

東日本大震災後の日本ー保守主義者の夢を参照しているブログ:

コメント

このHPを読んでいると本当に沼田の事を考えているのだと思います。天狗プラザにコンビニ。税金はどうのように街中再生に使われたのだろう。

『ヨハネの黙示録』によれば、苦よもぎの毒が世に終末をもたらす、とある。86年、チェルノブイリ原発で大事故が起きたとき、熱心なキリスト者たちは「チェルノブイリ」というロシア語が「苦よもぎ」を意味することを知って慄然としたそうである。
72年に、ローマクラブが『成長の限界』レポートを発表した後も、日本は70年代のオイルショックを乗り越え、80年代にはバブル経済に狂乱し、それが90年代に入って泡と消えた後、グローバリゼーションの波に翻弄され、遂に08年にはリーマンショックに打ちのめされた。あの40年前の『成長の限界』以降の日本は、ただ「贅肉」を蓄えてきただけに過ぎず、遂には「成人病」が症状になって表れてきた、ということだ。

「大量生産、大量消費、大量廃棄の罰当たりの文明の行き着く先を神は黙示されたのだ」。
ある保守主義者氏のこの言葉を、私は「人間の傲慢に対する神の戒め」と捉えている。
原発推進派はこれまでに幾度となく「安全」を断言している。世の中に断言できる「安全」などない、というのが私の考えである。乗り物を例にとっても、車、電車、飛行機を事故件数で見れば、圧倒的に飛行機が安全と言えるが、ひとたび事故が起きたときの死に結びつく確率を見れば、飛行機ほど危険な乗り物はない。
原発そのものが悪いわけではなく、原発を「安全」と軽々に断言する人々のその傲慢が、原発を危険なものにしている、と私は考えている。07年、新潟県中越沖地震が起き、柏崎刈羽原発に事故が発生した翌日、死に直結する確率の高い事故から人々の目を逸らすために、東京電力は「尾瀬のゴミ持ち帰り運動」のTVコマーシャルを流した。しかも、それをあらかじめ用意しておくという、この姑息な姿勢が表すものは、彼等が原発の危険性を十分認識している事実と、それでも尾瀬のコマーシャルで人々の目を逸らすことができる、という浅知恵と、「安全」の断言で人々を騙せる、と考えている傲慢さだ。
この原発推進派のこれまでの言動を見てきて、毎日刻々と報道される福島原発の事故の様子を、私は猜疑心なしで見ることができない。なんとか無事収まってくれ、と祈りながら、本当はどうなのよ?という疑問が払拭されないのだ。

「私は今度の復興は単なる復旧であってはならない、と思う」。
ある保守主義者氏のこの思いに賛成である。
「復興はブータンの政治のように、人々の幸福度を高めることを目標とすべきである」。
ある保守主義者氏のこの夢を全面的に支持する。

東北の被災地域を「開発特区」に指定、政治制度改革の先進地とするくらいの意気込みを期待したい。

大賛成!。政争を中止し、各党団結して国難に当たるべし。

敗戦体験者

 

 福島原発で起きた水素爆発は、それ自体は大きな問題ではありません。

 一般大衆の被曝を防ぐ観点からは、原子炉施設内にある放射性物質を外部に出さないことがなによりも大切です。

 多くの放射性物質が燃料棒の中に入っています。被覆管というジルコニウムという金属製の鞘の中に、円筒状のセラミックで出来た燃料ペレットが積み重なっています。このペレット及び鞘の中に、低濃縮ウランやプルトニウム核分裂反応で出来たいろいろな放射性物質が閉じ込められているのです。
 したがって、ジルコニウム製の鞘が壊れないようにすることが重要です。

 やっかいなことに核燃料は、ウランの連鎖的な核分裂反応が止まった後も、長期にわたって熱を出します。これを崩壊熱といいますが、放射物質から出された放射線のエネルギーが最終的に熱になったものです。

 この崩壊熱のため、燃料棒は放置しておけばどんどん温度が上がります。冷却をしないまま放置すれば、被覆管という鞘が融けて、放射性物質が外部に放出されてしまいます。

 その一歩手前の現象として、被覆管のジルコニウムと高温の水蒸気が化学反応を起こし水素が発生します。この水素が爆発を起こしたのです。

 燃料プール内の使用済み燃料が問題となっている4号機で、水素が発生したということは被覆管が高温になっている証拠です。しかし、まだ融けて壊れている状況ではないと思われます。炉心から取り出して日数が立っていることから、燃料棒から崩壊熱のレベルも低いからです。
 何よりも大切なことは、被覆管が融けないようにすることです。それには、何よりも注水です。崩壊熱は水につかっていれば温度上昇しないレベルです。
 したがって、外部電源が回復して通常の冷却が出来るようになるまで、海水を注入しようとしている東電の取り組みは理にかなったものだと思います。
 
 また、燃料棒が融けた場合、核分裂反応が再開する再臨界状態になりチャイナシンドローム(日本ではチリシンドロームか)という最悪の事態が起きるといって不安をあおっている方々が見受けられますが、福島原発の炉型(軽水炉)の場合、物理的に臨界になりにくいので、その心配はまずありません。この点が、もんじゅ(高速増殖炉)とは決定的に異なります。

原子力研究所に勤務されていた、原子力学の専門家(推察)杉山弘一氏の
ブログを拝見して、ほっとしました。
広島・長崎の原子爆弾の惨禍の再来を杞憂しましたで。
敗戦体験者

 原子力の世界から逃避して、20年も経過している私が、いまさら何かを言うべきではないと思ってこれまで黙っていました。
 しかし、福島原発に関して、不安をあおるようなデマがインターネット上にあまりにもあふれているので、少しでも正し理解をしていただくために、発言をしていくことにしました。

杉山さんは談合問題等で不合理な税金を使う当局を追求する「社会派オンブズマン」だと思っていましたが、原子力の豊富な知識も持ち合わせているのには驚きました。いま沼田で原発事故を語れる人材は居ないと思います。

現実に水戸市から放射能を恐れて「ホテル・ベラヴィータ」投宿している人が居るなど当局は知らないだろう。

私は原発事故で「臨界状態」を懸念していましたが杉山理論で一安心致しました。

財政再建と、大災害復興財源確保の対応について。
敗戦から立ち上がった当時の、革命的政策を踏襲する時世と認識し、挙国一致、国難打開に邁進する。
提言 財産税・背番号制実施

敗戦体験者

片品村の皆さんへ。
被災者受け入れのテレビを見て、心温まる思いでした。
有難うございました。
隣の一住民

コメントを投稿

2012年8月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック