沼田の将来像ーーある保守主義者の夢
沼田の現状は無残である。この町の指導者が昏迷する時代の行方を見る能力を持っていないこと、持とうとする意思もないことが、現状の悲惨さをさらに絶望的にしている。
この町の権力者やそれを取り巻く人々は今ほど惨めでなかった頃の沼田を知っている。土建屋なら、中央から来た公共事業に群がり談合すれば、それなりに儲けにありついていた。あの頃のことを昨日のことのように覚えているだろう。コンニャク農家ならば、いかなることがあろうと、コンニャクの保護関税だけは自民党政府が死守するだろうという絶対の安心感をもってコンニャクがつくれた。コメ農家もコンニャク農家も、コメやコンニャクの崩れる日は日本が崩れる日だと思っていた。
ところが迷走する民主党がいつの間にかTPP参加を検討すると言い出した。もちろん農業の被害を前もって防止する万全の策を講じてからの話だ、と連中は言う。万全の策?って何だ?消費税発言に懲りた菅直人は口ごもることの多い政治家になった。
今まで民主党が表明しているのは、所得保証である。しかし、農家の所得を補填すれば農業が成長するという民主党の主張には何の根拠もない。制度的な不備を放置して所得だけ補助金で援助なんかすれば、農村はますますだめになる、と見る方が正しいだろう。
自民党にはなにか有効な政策が用意されているかと言えば、ない。政調会長の石破茂はTPP加盟反対を唱えるだけで、それに代わるヴィジョンがあるわけではなさそうだ。農村が疲弊するから加盟するな、という議論は説得力がない。大体今日の悲惨な状況をつくった責任の大半は自民党にあるのに、政局づくりには精を出すが過去を反省した様子もないし、する真摯さもなさげである。
保守主義者の目には、今日の地球世界は前方に大瀑布が口をあけているのに気づいているのかいないのか、奔流に押し流されていく船団のように見える。大きな船の上ではどんちゃん騒ぎをやっており、小舟では大船にあやかりたいものと懸命に働いている。しかし、大船も小舟も瀑布に差し掛かれば運命は同じである。
私が言おうとしているのは、大量生産、大量消費、大量廃棄、の文明はやがてニッチもサッチも行かなくなる、ということである。無限の広がりを持つ海と思っていた地球世界が、意外に狭くそろそろ成長の限界が見えてきたということだ。
米国のブッシュ大統領は自由と生活様式(way of life)を守るためアルカイダに戦いを仕掛けた。われわれに必要なのは、アメリカに追随してきた”way of life"を捨て、大瀑布を遠ざける生活に変えることである。つまりsustainability 持続可能な生活様式に転換する。
沼田はこれを実行する諸条件に恵まれている。とりわけ自然条件は申し分ない。
問題は、人である。高邁な理想を持ち、それに向かって精進するには、知性と意志が欠かせない。今の沼田に最も欠けているのが、志の高い指導者と知性である。
私は大変難しい注文を出したように思われる方がいるかもしれない。しかし、実はそうではない。沼田の人々の暮らしぶりを見ていると、そこには持続可能な生活様式がすでに見られる。それは、ささやかな家庭菜園であり、ほんのちょっとした助け合いにすぎない。それを拡げていけばいい。そうすれば本物のコミュニティーになっていく。
そして究極的には、こないだリーマンショックを起こした貨幣経済に代わる新しいエコマネーの時代に移行することを目指すのである。現在の通貨が信用創造の仕組みによってあくなき「成長」を必然とすることに気づいた人々は、時間とともに減価する貨幣を導入し、成長の必然を排除していくことになる。経済のパラダイムが根底から変わるのである。ここには、痛烈な皮肉(アイロニー)がある。つまり世界の善きもの、美しきもの、真実なるものをできるだけ、守って行こうと考える保守主義者は、社会主義や共産主義など問題にならないほど根源的(ラディカル)な変化を標榜することになる。この貨幣論を説明するには、経済学を講義する必要があり、このブログでは無理だ。しかし、持続可能な社会をつくるには、減価する貨幣が必要だ、という議論だけは覚えておいていただきたい。
自民党は、前原外相を外国人からの献金を受け取ったということで辞任に追い込んだ。しかし、その実態は、前原が子どものころからなじんでいた近所の焼肉屋のおばさんが在日韓国人だったというだけの他愛のない話なのだ。こんなやくざまがいの難癖をつけた自民党の代議士は満洲国の歴史からほとんどなにも学んでいない。在日韓国人がどのような歴史的経緯の下に日本に住んでいるかも考えたことはないだろう。国民国家というものは、私のような保守主義者に言わせれば、幻想であり、したがって、そんなものを大上段に振り回すのは滑稽きわまる時代錯誤の道化である。中国共産党は、内乱の気配に怯え、ナショナリズムを煽って保身を図ろうとしている。これも道化である。歴史は、国民国家がせいぜい一時の幻想にすぎないことを示している。私は満洲国の十三年半の歴史が日本人に与えた教訓はそれだった、と考えている。
沼田は、人類に将来があるとすれば、本物のコミュニティーをつくることによってのみ、実現できることを日本全国に発信する最も有利な地域である。沼田の進むべき方向について、みんなで話し合う日を実現しよう。(峯崎淳)
どなたか解らないが、沼田の現状を憂う評論は私と同じ。また、片品から発信している木暮氏の「議会批判のみに成らないよう心して行きたい」との意見に同感。
このブログで格調高い指摘を発信し続ける事で公金(税金)を報酬として受取る「組長」や「議員」は二元代表制の意義を勉強することだろう。
先の沼田市議会の已喜雄後援最大会派代表佐善太の一般質問の内容はお粗末で論評に値せず。
統一選で県議、議会議員に一票を投じる住民は地縁・血縁・しがらみで安易に投票してはいけない。たかが一票、されど一票だ、自分が住む市町村の生活の明暗を分けるのだから・・・
投稿: 一刀両断 | 2011年3月10日 (木) 23:23
「持続可能な社会をつくるには、減価する貨幣が必要」とは、どういう意味なのでしょうか?自分なりには、なんとなく、そのとうりと思うのですが。詳しく教えていただければ幸いです。
投稿: 島崎栄一 | 2012年5月12日 (土) 08:12