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メンバーの裁判

« 沼田市の小中学生の学校給食について(2) | メイン | 愚民、暴君、民主主義(その2) »

2011年3月 3日 (木)

愚民,暴君、民主主義

 今朝届いた新聞によれば、リビヤの独裁者カダフィ大佐は妄想の世界に深く沈んでいる、ということだ。ABCニュースのインタビューで、カダフィは、「わが国民は私を愛している」と言い、全国で起きている反カダフィの蜂起は「テロリストの陰謀」だと決め付けた。叛徒に抑えられた地域を空軍に爆撃させる一方で、公務員の給料を上げるなどして徹底的に弾圧する構えを見せている。今後どうなるか、予断を許さぬ形勢だ。

 リビヤと沼田は共通するところは少ない。リビヤは産油国で、カダフィ一家の途方もない贅沢が暴露され国民の怒りに火をつけたようだが、カダフィの専制独裁が四十年以上にわたり、抑圧に耐えるのが厳戒に達していたことは、エジプトやチュニジアの場合と変わらない。オスマン帝国が崩壊して以来誇り高いアラブ民族がヨーロッパ列強の植民地となり長く屈辱と忍従の生活を強いられ、耐えることに慣れていた人々が立ち上がったのである。

 沼田の住民がアラブ人と共通するのは栄光の過去と忍従の体験である。かつての昔、群雄が覇を競っていた時代、沼田は関東平野を喉元を扼する要害の地として重きをなしていた。真田信之が沼田城主になれたのは家康の格別の信頼があったからで、関東平野の要地に城を持った外様大名は真田信之ただひとりである。しかし、孫の伊賀之守の代に沼田真田は取り潰される。以後代官支配が続くのである。真田時代は小なりと言えども沼田は一国の本拠地だったが、改易と同時に五層の天守閣は取り壊され、徳川の旗本を代官として迎えることになった。一国一城の誇りは雲と散り霧と消えてしまった。同じような城下町の山形県米沢と違うのはそこである。上杉はかつての30万石が15万石に減らされながらもとにかく一国一城として永らえた。貧苦に苦しみながら上杉鷹山までつなぐことができたのだ。したがって、米沢の市民は誇り高い。米沢の農家は、おそらく日本一品質の高いりんごやさくらんぼをつくっているのだが、自治体や農協などに頼ったことはない。補助金など受け取るのは恥辱と考えている。米沢の市民は今でも直江兼続、上杉鷹山を生き方の規範としている。

 真田なき沼田に残ったのは、よそ者を怖れ、よそ者に劣等感を持ち、よそ者を排除する哀しい習性である。沼田は食糧など自給自足が可能なほど豊かなところだから、それでもいままでは何とかして来れた。しかし、これからは、そうは行かない。地元選出の代議士に公共事業を持って来させることももうできない。そんな時代は終わったのだ。

 よそ者を、観光客として迎え入れ、他県と競って優れた品質の果物や野菜を作って、よそ者に買ってもらわねばならない。沼田の魅力ある生活を訴え、都会から若者や年金生活者を迎え入れなければならない。早い話、TPPに早晩加盟すれば、コメもコンニャクも値段が数分の一に下がる。肉も半額以下になる。TPPなんかに加入させない、と農業関係者はいきまいているが、日本の輸出産業がそんなことは許さないだろう。

 われわれはTPPがあっても十分にやっていける方策を今から用意しなければならない。それには、よそ者を徹底的に受け入れる覚悟をする必要がある。グローバル化の世の中に、沼田の地の者か他県からきたよそ者か、などと目くじらたてているようでは、座して死を待つ運命となる。(続く)峯崎淳

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 去る3月1日午後7時から、沼田青年会議所主催による沼田JC文化アカデミー公開講座( http://ameblo.jp/numata-jc/ )に出席してきました。『大学をつくろう!』と題しての、中之条の入内島道隆町長による「中之条大学」についての話でした。要するに、高齢化が進む町民の生涯教育について、町長が数年前から「300サークルで3つの趣味を!」と唱えてきたプランの具現化です。

 特に大それたテーマを声高に叫ぶわけではなく、どこの市町村にもあるような小さなサークルに焦点をあて、それぞれがばらばらに活動しているものをひとつに体系化して「大学」と名づけ、指導者的立場の人を「教授」と呼び、参加する住民には「学生証」を発行する。普段、住民が当たり前にやっている当たり前のことに、思ってもいなかった形で光が当たって、「教授」や「学生」の充足感、やりがいがどれほどのものか、容易に想像がつきますし、この施策の担当責任者の感想を入内島町長は2日付けの自身のブログ( http://iriuchi.kazelog.jp/iriuchi/2011/03/jc-5a3d.html )に引用していますが、役場職員の充実感、満足感も、まさに「そうだろう、そうだろう」という感じです。最後に私の名前まで出してくれたのは、まっ、これは町長の優しい思いやりってことで(笑)。
 
 町長はまた話の中で、3つの「T」を上げて、その大切さを言っています。つまり、Technology(技術)、Talent(才能)、Tolerance(寛容)です。これは、地域の活性化に限らず、自治体を運営する上で重要な条件でしょう。中でも最後の「T」、寛容を町長は強調しています。実際、外から移住して来た若いアーティストたちが中心になって開催されている中之条ビエンナーレは、過去2回の開催ですでに足元を固めていますし、今夏の第3回目で、その地歩は揺るぎないものになる、と私は期待を持って見ています。また、中之条町の中心市街地の再開発の対象として積年の課題だった王子原に、昨年7月「tsumuji」( http://www.tsu-mu-ji.com/ )という名のユニークなスペースが誕生しました。この運営をも町長はビエンナーレを担当している若い彼等に任せています。この太っ腹、寛容と言わず何と言うのでしょう。一部の町民からの心ない言葉もなくはないようですが、彼等を嘱託職員として待遇することで、少しでも生活の不安を取り除き、彼等も安心して、任される立場の充実感をプロジェクトに活かせるのだ、と思います。特に私が期待するのは、同じメンバーが担当していることで、彼等がこれからやることのあれこれが全てリンクし合って、1プラス1が2に留まらず、3にも4にもなることです。多摩美の先輩としての贔屓目は抜きにしても、ぜひ、成功してほしい、と思っています。

 さて、公開講座の会場に話を戻すと、私の前の方に主賓として星野巳喜雄市長が来ていました。彼がどんな思いで入内島町長の話を聞いていたか、知る由もありませんが、自らの無為無策を少しでも恥じる謙虚さが彼にあれば・・・、講演に続いて、町長と沼田JC理事長の対談がありましたが、折角の機会を町長と市長の対談にしなかったのは、沼田JCが市長に恥をかかせないための思いやり?など、とシニカルに考えたのは、まっ、私の純?な性格で(笑)。
 
 片品に引っ越して8度目の冬に震えていますが、峯崎さんが「よそ者を怖れ、よそ者に劣等感を持ち、よそ者を排除する哀しい習性」と書いているように、私もこの利根沼田で入内島町長が重要視する「寛容」を見たことがありません。17号線を挟んで吾妻と利根沼田では、どうしてこうも違うのか、不思議です。

 沼田JC文化アカデミー公開講座は面白い取り組みだと思って関心を抱いていました。
 しかし、およそ文化やアカデミーとは縁遠い星野巳喜雄市長を主賓に招いているようでは・・・
 この取り組みも、いつものとおりになりそうですね。

隣町、内入島町長の町民を巻き込んだリーダーシップに注目してる。当然町長の施策に町民から賛否の意見があるだろうが目標達成に取組む熱意は素晴らしい。我が街、星野市長は政治目標や問題点を〇〇委員会、〇〇検討会ばかりに丸投げせず自分の考えを発してほしい。

地方分権が求められているおり「行政」を監視するのは「議会」だ、また「住民」は議員の行動をチェクする責任がある。
7日から一般質問が始まるが初登場の補選の星野初男と最大会派星野佐善太の質疑に注目したい。
若手の金子一弥、久保健二、星野稔は今回だんまりを決め若さが無い。

星野市長は、就労経験がないという。だからか、組織の仕組みを理解していない。それぞれの部署に任せ、自分には責任がないという態度をとる。組織の長は、責任の一端を背負わなければならないことを理解していない。口先三寸と葬式、税金をばらまくことで市長のポジションを維持しているようだ。市議会の星野市長の答弁は、原稿の棒読みで、少し追及されると的はずれなことを平気で言う。誰か変わりはいないのか…。全く退屈な市議会だ。

お詫びと訂正。
3/4日に一般質問の若手だんまり議員として「久保健二」を記載したが誤りで8日に質問を致しました。
改めてお詫びを申し上げ、ますますの活躍を期待致します。

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