一保守主義者が見た沼田の進むべき方向
TPP(環太平洋パートナーシップ)に参加する方向で、現政権は行くらしい。農業がやっていける環境条件を整えるのが先だ、とは言っているが、逆な見方をすれば、条件さえできればTPP参加に向かって邁進するということだ。農業が立ち行くようにする、と言っても現在民主党が口にしている農業政策は所得保障だけだから、それで農業が再生するはずがない。むしろ農業の現状を固定化し本来持っていたはずの生命力を涸らしてしまうだろう。菅直人首相はこれを「平成の開国」と持ち上げているが、明治維新のときの開国のような意味を持たせるには、それに壊滅的な打撃をこうむる「弱い産業」がどのように立ち向かうかにかかっている。つまりわれわれ自身がどう対処するかにかかっているのだ。
TPPに加盟し一切の関税障壁を打破してしまえば、競争力を持つ産業は一時景気がよくなるだろう。GDP(国民総生産)も少しは上向くかもしれない。だが、国民が幸せになるかと言えば、答はノーである。農民がお恵みをもらって生計を立てる乞食になる国が幸福なわけがない。乞食が長続きするとも思えない。
毎日新聞によれば、米国は牛肉の非関税障壁を含めた高いレベルでの自由貿易の枠組み求めているという。ということは、現在778%の高い関税で守られている日本のコメも、関税が撤廃される公算が大きい。そうなると、平均経営面積が日本の農家の100倍とされる米国農家とがちんこ勝負になるだろう。今まではなんとなく「こんちわ相撲」を容認する気配が当事者間にあった。TPPはそういった曖昧なものが入り込む余地を一切なくしてしまう体制をこしらえようという相談だ。
常識的に見れば、日本のコメ農家に勝ち目はない。一個百円のおにぎりを売るコンビニの近所に一個20円のおにぎりのコンビニができたとすれば、百円おにぎりは見る間に消えるだろう。違いは片方が国産米、片方がカリフォルニア米というだけだからだ。市場原理とはそういうものである。
しかし、一見処置なしに見えるこの競争にも戦いのやり方次第で、希望がまるでないわけではない、というのが、小生の主張である。
とりわけ沼田の問題として見た場合、生きる道はある。沼田市民は一戸建ての住宅に住んでいる人の割合が高い。そういう人は大抵庭に小さな家庭菜園を造っている。庭がなくとも、畑を借りてそこに好みの野菜を植えている。コメまでつくっている人さえいる。特に金持ちでなくても、年金生活者でも自家製の無農薬新鮮野菜を食べている。
沼田のような地方自治体が生き残るヒントはここにある。
いま大阪の橋下知事は「大阪都構想」を打ち出している。名古屋も河村市長は自民党を抜けた男とコンビを組んで知事と市長のダブル選挙をやろうとしている。新潟県までこの地方自治体制の変革を唱えだした。狭い地域で市、とか県とか縄張りを作って行政をやっていては、TPPのような「平成の開国」のような重大試練に耐える地方自治ができそうもない、という予感が、こうした地方の反乱の背後にあるのだろう。戦後に創ったシステムが耐用年数が来ている。地方自治、警察、検察、その他あらゆる分野で奇怪な金属疲労が目立つ。国会もそうだろう。
保守主義者としては過激な変化は歓迎したくないのだが、家の壁が崩れ隙間風が寝室に吹き込んできては、重い腰をあげざるをえない。私は日本人の総棚卸の時期が来たと思う。それは、健康、食、労働、についての価値観を見直すことから始めるべきだと思う。たとえば、若い元気なうちに定年退職し高い年金をもらって遊んで暮らすことが、幸福なことかどうか胸に手を当てて考えてみるのである。保守主義者の年金観は、年金などできるだけ少ないのがいい、というものだ。
健康という観点から今の日本人を眺めると、恐ろしく不健康な姿が浮かび上がる。肥満、糖尿病、腎臓透析、癌、脳血管症、・・・原因は栄養過多と運動不足、美食、過食、と不摂生、
何のことはない。カネと暇がありあまるものだから、あっちへ行っては食い、こっちへきては食い、あっちから取寄せて食い、してとどのつまり、体を壊す。
病気にかかるとそれを治そうとして多額の医療費を遣い、結局は、死ぬ。
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