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« 沼田市議会日記(12月議会)その3 | メイン | 続・片品に明日はあるか。 »

2010年12月22日 (水)

片品に明日はあるか。

片品村12月定例議会を傍聴して

「通告にないことにはお答えできません」。

 去る7日始まった12月定例議会初日の一般質問で、9月定例議会傍聴記「答がない。」と同じ答弁が金造から出た。質問者も同じ星野侃三である。9月議会で時限で決まった議員報酬の削減分およそ250万円の使い道について尋ねると、金造は、現時点では特には考えていない、と答えた。それを受けて、星野侃三が高齢者夫婦と独り暮らしの高齢者の家に火災報知器の設置を提案したところ、金造から返ってきたのが、冒頭の答弁であった。これを見ても、昨年6月定例議会から一問一答式に変わった一般質問の本質を、金造はまったく理解していないことがわかる。

 そもそも一般質問は、議会が行財政全般にわたって執行機関に疑問点を糾し、首長の考えを求め、その政治姿勢、責任の明確化を迫り、施策の変更や是正、新規施策の採用を可能にする地方議会の基本的制度のひとつであり、決定権を持つ議会が執行権を持つ行政をチェックする有効な手段なのである。

 しかも、一般には事前通告は首長へのものと誤解されているようだが、質問要旨の事前通告は議長に対して義務づけられたものであって、二元代表制を採る以上、首長への通告までは本来必要でなく、あくまでも任意なのである。

 片品村議会が一問一答式を採用したことは、首長側に周到な準備の余裕を与えて紋切り型棒読みの答弁をさせ、議員側にはその場での判断を余儀なくして討論の緊張感を欠き、セレモニー化させてしまっている事前通告制の弊害を避けるためであり、執行機関と議会との公正で緊張したやりとりを期待してのことだったはずである。つまり、金造には、どんな質問が出ようときちんと受けて立てるだけの見識が必要であり、そうでなければ、たとえ実質人口が五千を切った片品村といえど、首長は務まらないはずなのだ。しかも、一問一答式に変わってすでに7回目の定例議会なのだから、いまさら不慣れだとか執行機関内部の調整が不十分だとかは言い訳にもならない。「通告にないことにはお答えできません」は、金造の不勉強、地方自治についての無理解、首長としての資質の欠除と断じざるをえない。一般質問といえど、要するに議論なのだから、執行側にも質問者への反問権を認め、雅量をもって質疑の活発化につなげればいい。

 一般質問は、議員の政策づくりや行政をチェックする能力の向上に役立つだけでなく、政策づくりのきっかけになったり、執行機関の施策是正措置を引き出すこともあるのだから、ますます活発化することが期待されるし、実際に花咲で起きた火事をきっかけにした、という星野侃三の提案は片品村ばかりでなく、高齢化が進む日本全体にとって検討する価値のある提案である。単純に考えても、金造には他に答え方があるだろうに、と思うのだ。

 実は、6月定例議会の一般質問で、星野侃三は高齢者への肺炎球菌ワクチン接種を提案したが、このときも金造は「検討します」と形ばかりの答弁を終えた。その後、肺炎球菌ワクチン、子宮頚がんワクチンの接種は全国で急速に広まり、9月定例議会で飯塚美明が同じ提案をしたときには、すでに日本全国で当たり前の施策になっていた。

 金造村政になってから毎回のように定例議会の一般質問を傍聴してきたが、金造に与する議員への答弁と敵する議員へのそれには、口調や声の張り方など、答弁の仕方に違いがある、と感じる。与するも敵するも、思想信条はそれぞれの自由であるが、一方は思想信条から、というより二元代表制の何たるかを理解せず、ただ追認機関に堕しており、執行機関の疑問点を糾す姿勢など皆無なのだから、金造としても答えやすいのだろう。

 そんな追認機関の最たるひとり、星野千里は第3次総合計画の進捗状況を質問したが、「尾瀬を食いものにする奴ら」の星野千里としては、「尾瀬の郷」片品村には、何としてでも"金のなる木"ならぬ"金になる村"になって欲しいのだろう。ただし、5年先までにこの総合計画が完遂されたとしても、全住民の意識が近代化されない限り、村は何も変わらない、と私は見ている。

 この女は観光片品の中心としての鎌田地区の整備計画についても質問したが、その馬鹿さ加減には改めて呆れた。自治体としては、確かに鎌田が村の中心ではあるが、果たして観光に来る人たちにとって、鎌田が中心になっているのかさえ疑問である。尾瀬でいえば玄関口である戸倉が中心だろうし、武尊は花咲、白根は丸沼高原スキー場から菅沼一帯であろう。それでも鎌田を中心にしたい、という確固たる信念がこの女にあるなら、自ら率先して動けばいいだけのことだ。「村長、お願い!」では、誰も納得はしないだろう。

 この女の頭には、おそらく長野県小布施のイメージがあるのだろうと見るが、役場前の300メートルほどの商店街の家や店のそれぞれが民間の個人の資産であることさえ理解できないのか。それを行政にどうしろ、と言うのか。シャッターが閉じている店については、望んだことではないにしろ、各戸の都合による判断であって、テメエの店を閉めておいて、そんなことも理解できないのか。この女が小布施をイメージしたところで、片品に市村酒造の社長はいないし、その取りまきの親衛隊もいない。もちろん青い目のセーラもいない。仮に、片品にはない感覚を持ったセーラ的人物が来たとしても、片品の枠でしかモノを考えられず、お山の大将でいたいこの女にとって、外から来た人間は、十把ひとからげで"他所者"なのだ。この女がいかに馬鹿だとしても、それを私だけでなく、複数の移住者に偉そうにかましてきたことを、よもや忘れてはいまい。(木暮溢世)

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 片品の村おこしマニア、発信マニアの人たち、沼田のまちづくり中小企業のNPO尾瀬なでしこの会の人たちにお知らせです。"青い目のセーラ"セーラ・マリ・カミングス女史への簡単なインタビュー記事 ( http://mainichi.jp/area/gunma/news/20110107ddlk10040170000c.html ) が1月7日の毎日新聞に載っています。
 その中で、イベントを続けていくコツは?という質問に、女史は「まず、お金を行政に頼らないこと」と答えています。皆が自腹を切ると、「何とか成功させよう」という気持ちになります、と。リスクを背負って何かをしようと汗をかいている人の背中を見て、手伝おう、参加しよう、という人が手を挙げる。いまさら心理学を持ち出すまでもなく、至極当たり前のロジックです。
 「日々の暮らしが芸術」などと大層なキャッチフレーズを掲げて、形ばかりの村全域を装って、結局はスーベニ屋の展示即売会に終始したプロジェクト十二社中。乞食根性が骨の髄まで染み込んだ連中には、県から支給された3年間で400万もの補助金が、その間に足元をしっかり固めろ、という意味だったことさえ理解できず、補助金の支給が終わったら、結局は閉店廃業?
 「尾瀬の森映画祭」と、これも大層なネーミングで上映会を6年間で2回開いただけのNPO尾瀬和楽舎。初代理事長の星野千里は内縁関係にある男の会社をトンネルにして、県と村からの補助金計120万を上回る130万を詐欺師まがいに儲けておいて、鎌田の商店街を小布施にしたい? それで今度はいくら儲けたいの? ヘルスツーリズムはどうなっているの?
 「手助けを必要とする人」と「手助けができる人」とが共に対等な関係で、地域の中でお互いに支え合おう、と基本理念は教科書のような、でも、ほぼ100パーセントを補助金、助成金、委託金に頼ってきたNPO尾瀬なでしこの会が、今度はまちづくり中小企業? 自説の矛盾に気がつかないとはいえ、学位が取れなかったとはいえ、東大博士課程でまちづくりを研究して、今も東大で特任研究員をしている後藤純がいるんだし、自己を正当化する主張だけは、根拠はともかく、半端なく強いけれど、とりあえず事例だけはよく知っていますから、彼が担当するんでしょう。そもそも私にまちづくりに欠かせない3要素、"バカ者""ワカ者""ヨソ者"を教えてくれたのも後藤純でしたね。小布施のヨソ者"青い目のセーラ"の存在も彼から教えてもらいました。そのセーラが「まず、お金を行政に頼らないこと」と言っているんですから、まちづくり中小企業「尾瀬なでしこの会」は、企業と言うくらいだから、お金を行政に頼らずやるんでしょうね。ね?
 なお、記事の中、最終節に大村酒造とあるのは、市村酒造の間違いでした。お詫びして訂正いたします。

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