嬉しい発見
杉山弘一さんが現在このブロッグに発表中のNPO尾瀬なでしこの会のでたらめきわまる会計報告は、利根沼田に特有の「おもらい」体質が実体化した典型例であろう。
「おもらい」さんというのは、昔は家々を回って物乞いをして歩く人を気の毒に思って呼ぶ言葉だった。乞食、ほいと、乞丐(きつかい)など呼び名はいろいろあるが、いずれも他人の哀れみを乞うてその日の糧にありつく、人間の境涯として最低のレベルに落ちたとされる人々である。
片品の小暮溢世さんが以前から強く主張しているように、利根沼田の人には何事も補助金をあてにする乞食根性が染み付いている。つまり、「おもらい」体質だ。口実を設けて行政にカネをせびることをみな当たり前だと考えていて、それが卑しい恥ずべきことだと思っているような人はいない。
いつからこの辺の人々はそんな「おもらい」さんになってしまったのか?
小生は自民党の一党支配が続いた時代の地方自治に直接の原因があるように考えている。自民党は地方交付税とさまざまな交付金を湯水のように使って農村票をカネで買った。
あれで地方の百姓どもは腰が抜けてしまった。土を相手にまじめな努力をするより、自民党の代議士になきついた方が手っ取り早く楽にカネになる。代議士の方も農民の自立を可能にする環境作りをするより、現ナマを中央から持ってくる方が考えなくて済む。
阿呆と馬鹿のなにわ節二重唱の結果が「おもらい」体質なのだ。NPO尾瀬なでしこの体質はまさに「おもらい」そのもの。手前の財布からは碌な出資もせず補助金を頼みにNPOをでっちあげ、何にもせずに、補助金は手前の財布に還流する仕掛けである。まことにぼろい儲けだ。理事の後藤純に言わせれば、「能力」がある人がそれにふさわしい報酬を取るのは当たり前、ということになるのだろう。まことに太い野郎だ!盗人の片棒を担いでいて、えらそうな口を利く、なにが事務局長の憂鬱だ。ふざけやがって。
腹を立てていたところについ先日嬉しい方に出会った。利根沼田にもこんな人がいるのだ。この方は建築を業とするが、「大手のハウスメーカーの系列から独立し公共事業依存体質から脱却する」とそのパンフレットに謳っている!
こんな人物もいるのだ、利根沼田も乞食根性の薄汚い奴らばかりではない!
私は利根沼田はやっと黎明期に差し掛かった、と見る。新しいもっと誇り高い生き方をする人々がどんどん現れるだろう。
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