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2010年11月 7日 (日)

尖閣列島事件と沼田

 沼田の政治とは一見全く関係がなさそうなこの事件は時代の性格を改めて喚起するという意味で沼田の運命とも無関係ではない。
 日本政府が公開を避けることで中国政府指導部に恩に着せるつもりだったビデオの映像が流出したことによって、恩に着せるどころか新しい火種になる可能性すら出てきた。菅政権には大きなショックらしい。中国政府が菅が故意に裏でビデオを流出させたのではないかと、と疑うし、そうでないとすれば日本政府の情報管理がなってないことになる。菅は流出した経緯を調べるのが先だと言っている。この政権の機密管理能力については以前から、疑問符が付けられていた。与党になったばかりの民主党には情報をあくまで秘匿することで国民を欺き通したり、憲法に抵触する政策を行ったりした経験がない。自民党はある。官僚と結託して情報管理で権力を維持してきた歴史が自民党にはある。秘密情報は自分の手の内にあればさまざまな効果があるが、公開されてしまえば、枯れ尾花にすぎない。

 これは沼田の政治にも当てはまる。星野市長の議会答弁を読むと、この男は知能が低いだけでなく、質問に答えようという誠意もない。情報管理という観点から見れば、その煙幕はほぼ完璧である。誰も星野が考えていることがわからない。隠されていることに気がつく。答弁は何も明らかにしないのだ。議長は星野の褌担ぎの布施辰二郎だ。答弁が意味不明なことを注意するどころか、日本語になっていないことすら不問にして平気である。
  
 ビデオ映像の流出によって世界中は衝突事件の真相を知った。
 尖閣で日本の巡視船に体当たりしてきた中国漁船の意志ははっきりしていた。日本の巡視船の制止を聞く必要ない、という意志表示である。中国の領海で中国の漁船が何をしようと、日本人が邪魔立てする権利はない、という意思表示である。
 これは、日本人に言わせればとんでもない国際条約違反である。尖閣は中国領であったことはなく、領土問題は存在しない。しかし、あの一隻の漁船のとった行動は中国民衆の反日感情に根ざしている。それをつつけば、くすぶっている熾きに火が着きかねない。さらにそれがエスカレートすれば、反日が反中国政府、反共産党一党支配へと拡大する恐れがある。現在の中国はひどい格差社会であり格差はますます拡大する勢いだ。格差の根元に深く絡みついているのは、共産党幹部の腐敗である。一党支配の国是の下で腐敗が蔓延し、腐敗した特権層に手が届かぬ内陸の農民層には積富の機会はない。

 内乱は中国の王朝の宿命であった。共産党は王朝ではないが、権力がそこ一ヶ所に集中し、その中で受け継がれて行く点で一種の王朝である。中国共産党が過敏なほど気にしているのが内乱である。
中国共産党は反日教育によって民衆の不満をガス抜きする安全弁として利用してきた。帝国主義が地球を覆っていた時期に日本は帝国主義的膨張を行い、中国大陸を侵略した。
 世界はグローバルになり、帝国主義時代の国民国家は、少なくとも経済においては意味を失っている。しかし、リーマンショック以来、グローバリズムに翳がさしている。また、ナショナリズムが復活し、帝国主義的野望さえ復活している。中国漁船の尖閣における示威行動の背景にはそうした状況の変化がある。
 このようなナショナリズムに前途があるか。私はその答えの鍵を握っているのは中国共産党だと見る。中国は米国が要求する元の切り上げに猛烈に抵抗している。中国の輸出が打撃を受ければ、中国経済は崩壊し、中国社会は四分五裂する、と言っている。通貨を巡る紛争はどこかで手を打つしかない。私は帝国主義の復活の方向には針は触れにくいと見る。その先にあるのは戦争であり、 米中戦争が起きれば、地球は終わりかねない。戦争をしない方向を選ぶしかない。かつてソ連が経験した一党支配の矛盾が、中国共産党が成功すればするほど内部矛盾として拡大する。先頃ノルウエーが発表したノーベル平和賞は、受賞者が獄中で拘束されている、という事実によって中国の矛盾をこれ以上もない端的さで世界に示した。帝国主義の本質は暴力の肯定である。強い者が勝つ。力は正義なりの世界だ。
私はかつての帝国主義が変質していったのは、戦争の破壊力が限度を越えてしまったため、と見ている。帝國主義的暴力の解放は地球環境が耐えられない。インターネットによる情報が瞬時に世界を駆け巡る。国民に猿轡をし、目隠しをする政権はどう正当化しようとも、長続きはしそうもない。

 ロシアの北方四島返還問題についても同様である。ロシアの脅威は長続きしない。ロシアの好景気は天然ガスなど豊富なエネルギー資源によるものだが、産業全般は遅れたままである。エネルギー革命が起きればロシアの繁栄は終る。

 沼田の状況は星野市長を頂上とする愚者の政治である。情報は曖昧模糊として掴みどころがない。議会制民主主義は形骸化し、前近代のままだ。補助金をばらまき、葬式に行って愛嬌を振りまけば自然に当選するという状況が続いて来た。 その結果がどんなものか。沼田は市が一般市民に提供するサービスにおいて、群馬県で最低の市となっている。財政の破綻は必至だ。なぜなら、星野は何一つ財政健全化措置をしていない。不慮の大災害という形で起きるか、ずるずると後退してゆくか、どっちにしろ、星野の市政は財政破綻によってとどめを刺されるだろう。いかに沼田市民が無知で単純なだまされやすい人たちばかりでも、財政が破綻すれば、目を覚まさざるを得ない。星野と職員組合の蜜月も終らざるをえない。ニコポン政治、スタンドプレイ政治、偽善野郎の政治は終らざるをえない。市民の目はそのときのため理性の光を放ち続ける。その日はそう遠くない。沼田が破産する日、沼田市民はスロウ・ライフ(ゆッくり人生)とスロウ・ウイッテド・ライフ(脳足りん人生)が違うことに気づくはずだ。(峯崎淳)   

 

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コメント

 情報管理が沼田の議会制民主主義を形骸化させ、財政破綻と市民サービスの低下を招いたとのこと、まったく同感です。
 さらに私が指摘したいのは、これを後押ししてきたのが議会だけでなく沼田市市民活動支援センター設立準備会のような各種の御用審議会の委員であることです。

 私がこのブログ上で批判を続けてきたNPO尾瀬なでしこの会は、このブログの記事をプリントアウトしたものを警察署に提出したそうです。告発するのは勝手ですが、市民活動家が言論で対抗することを途中で投げ出し、よりによって警察にすり寄っていくとは呆れる限りです。
 市民の言論は市民活動の基本中の基本です。市民に言論の自由がなければ、市民活動の活性化、市民協働などありえません。北朝鮮を見れば明らかでしょう。
 市民活動を支援しようという審議会に委員として参加した市民活動家が、ブログ上でなされた批判に対して、警察にすがるとは、言論封じ目的としか考えられません。そんなことをすれば、自らも権力の批判が出来なくなってしまうでしょう。市民活動の自殺行為です。しかも、国立大学で市民参加論や市民協働によるまちづくりを研究している理事も関与しているというのですから呆れます。およそ学問の世界で生きていこうという方のする仕業とは思えません。

 市民活動を活性化させようとするなら、言論には言論で対抗するのが原則です。それでも、不足なら法的手段をとることを否定しませんが、その場合は民事訴訟によるのが原則でしょう。民事ならば、民間同志の対等な力関係の元、双方言い分を主張しあい、場合によっては和解をすることもできるからです。しかし、刑事では、そうはいきません。すべて警察や検察の意思によって進んでしまい話し合いや和解もできません。警察におすがりなどというのは権力の犬がすることです。市民活動の活性化とは相反するものです。市民活動のために権力と対峙したことのない似非活動家のすることです。似非学者のすることです。
 市民活動家が警察を頼るのは暴力事件など実力工事に寄らざるを得ない場合や明らかな犯罪行為の時でしょう。

 今回の刑事告発を聞いて8年前のあの事件を思い出しました。沼田市議会が一人の市会議員に対して辞職勧告決議をしたことです。あれは、この市議がやってきた市政や議会主流派への言論封じが目的でした。
 当時は、沼田の言論の自由、議会制民主主義を守るために峯崎さんとともに体を壊すまで精力的に活動をしましたが思った成果は得られませんでした。当の市議が自らのミスで腰砕けになってしまったからです。

 それはさておき、これまで尾瀬なでしこの会への批判は遠慮しながらやってきました。批判する点があっても、同会も市民活動の担い手であると思っていたからです。それを否定することは市民活動の足を引っ張るようなことだとの思いからです。しかし、こんな事で警察権力にすがるのであれば、もはや市民活動の担い手とは言えません。遠慮は無用で行きます。

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