消えゆく「甘納豆」
先日、理事の一人と呑んでいたときの話である。
どういう話の流れか、話題が、「甘納豆」に及んだ。
私は甘納豆が大好きで、学生時代から、近くの生協で甘納豆を買っては、一人、下宿で頬張っていた。あるとき、袋に書いてある製造元を見ると、下宿から、わずか2、3分のところに製造所があることがわかった。以来、その甘納豆に妙な親近感を覚えて、やたら甘納豆ばかり、食べていた。
あれから数十年経ち、たまたま、その製造所の近くに来たときに、懐かしさに引かれて立ち寄ってみた。表の案内版を見ると、製造所から百メートルくらいの所に販売店があることがわかった。早速、懐かしの甘納豆を求めて、足を延ばした。ところが店に並んでいる商品のなかに、あの甘納豆がない。諸々の粒あん製品はあるものの、目当ての甘納豆がないのだ。尋ねてみると、あまり人気がないので、もう製造はやめたとのことだった。やむなく、何も買わずに立ち去った。
思うに、甘納豆は、「あん」に練り上げる前の小豆に砂糖をまぶしたものであり、咬んでいると、一時的に「粒あん」状態になる。「粒あん」との対比で、プラスアルファと言えるのは、まぶした砂糖のジャリジャリとした食感である。甘納豆のジャリジャリ感がなくなった時点で、単なる「粒あん」の食感に変化し、粒あんとしても楽しめるのである。そういう意味で、甘納豆は、「粒あん」の上を行くものなのである。
こんな話をしているうちに無性に甘納豆が食べたくなり、中座して、近くのスーパーに甘納豆を買いに出かけた。菓子売り場を探しても見あたらないので、若い店員に尋ねた。
「甘納豆は、どこに置いてあるの」
「納豆売り場を見られましたか」
「見てないけど、甘納豆は、納豆売り場にはないんじゃないかな」
「甘納豆って、納豆じゃないんですか」
「いや、『納豆』という名前はついてるけど、『納豆』の仲間じゃなくて、お菓子の仲間なんだけど」
別の店員を呼んで、ようやく、甘納豆の棚に案内されたが、甘納豆は一種類しかなく、しかも、小豆や金時豆などの詰め合わせで、私が期待した甘納豆ではなかった。
話は変わるが、「粒あん」と「こしあん」では、若い人の方が、「こしあん」を好むそうだ。代表理事が過去10年間にわたり、辺り構わず、周囲の人に尋ねて調査した成果である。そこで、協会設立前に発起人数名で、なぜ若者が「こしあん」を好むのか分析したところ、若者は柔らかい物ばかり食べて顎が退化しているから、より、柔らかい「こしあん」を好むのだ、という結論になった。「粒あん」を食べると言うことは、小豆の粒を、自らの顎の力で磨り潰すことであり、その力に欠ける者は、必然的に、「粒あん」を敬遠することになるのだ。
そのことを思い出すと、「甘納豆」を知らない店員が存在することも納得できた。「甘納豆」は、「粒あん」の「粒」と同時、あるいは、極わずかではあるが時間的に先行して、「砂糖」を自らの歯で磨り潰さなければならないのである。その力のある者には、「砂糖」を磨り潰すときのジャリジャリ感が、この上のない食感となるのであるが、逆に、その力のない者には、ジャリジャリ感は苦痛以外の何ものでもないのだろう。「甘納豆」を知らない若者たち、むべなるかな、である。
どういう話の流れか、話題が、「甘納豆」に及んだ。
私は甘納豆が大好きで、学生時代から、近くの生協で甘納豆を買っては、一人、下宿で頬張っていた。あるとき、袋に書いてある製造元を見ると、下宿から、わずか2、3分のところに製造所があることがわかった。以来、その甘納豆に妙な親近感を覚えて、やたら甘納豆ばかり、食べていた。
あれから数十年経ち、たまたま、その製造所の近くに来たときに、懐かしさに引かれて立ち寄ってみた。表の案内版を見ると、製造所から百メートルくらいの所に販売店があることがわかった。早速、懐かしの甘納豆を求めて、足を延ばした。ところが店に並んでいる商品のなかに、あの甘納豆がない。諸々の粒あん製品はあるものの、目当ての甘納豆がないのだ。尋ねてみると、あまり人気がないので、もう製造はやめたとのことだった。やむなく、何も買わずに立ち去った。
思うに、甘納豆は、「あん」に練り上げる前の小豆に砂糖をまぶしたものであり、咬んでいると、一時的に「粒あん」状態になる。「粒あん」との対比で、プラスアルファと言えるのは、まぶした砂糖のジャリジャリとした食感である。甘納豆のジャリジャリ感がなくなった時点で、単なる「粒あん」の食感に変化し、粒あんとしても楽しめるのである。そういう意味で、甘納豆は、「粒あん」の上を行くものなのである。
こんな話をしているうちに無性に甘納豆が食べたくなり、中座して、近くのスーパーに甘納豆を買いに出かけた。菓子売り場を探しても見あたらないので、若い店員に尋ねた。
「甘納豆は、どこに置いてあるの」
「納豆売り場を見られましたか」
「見てないけど、甘納豆は、納豆売り場にはないんじゃないかな」
「甘納豆って、納豆じゃないんですか」
「いや、『納豆』という名前はついてるけど、『納豆』の仲間じゃなくて、お菓子の仲間なんだけど」
別の店員を呼んで、ようやく、甘納豆の棚に案内されたが、甘納豆は一種類しかなく、しかも、小豆や金時豆などの詰め合わせで、私が期待した甘納豆ではなかった。
話は変わるが、「粒あん」と「こしあん」では、若い人の方が、「こしあん」を好むそうだ。代表理事が過去10年間にわたり、辺り構わず、周囲の人に尋ねて調査した成果である。そこで、協会設立前に発起人数名で、なぜ若者が「こしあん」を好むのか分析したところ、若者は柔らかい物ばかり食べて顎が退化しているから、より、柔らかい「こしあん」を好むのだ、という結論になった。「粒あん」を食べると言うことは、小豆の粒を、自らの顎の力で磨り潰すことであり、その力に欠ける者は、必然的に、「粒あん」を敬遠することになるのだ。
そのことを思い出すと、「甘納豆」を知らない店員が存在することも納得できた。「甘納豆」は、「粒あん」の「粒」と同時、あるいは、極わずかではあるが時間的に先行して、「砂糖」を自らの歯で磨り潰さなければならないのである。その力のある者には、「砂糖」を磨り潰すときのジャリジャリ感が、この上のない食感となるのであるが、逆に、その力のない者には、ジャリジャリ感は苦痛以外の何ものでもないのだろう。「甘納豆」を知らない若者たち、むべなるかな、である。