10年前の粒あん協会


 日本粒あん協会がネット上で、どのように認知されているのか調べようと思って、グーグルを使って、「粒あん協会」で検索してみた。

 すると、このブログや、協会のHPとともに、4、5番目に、ヤフー知恵袋の「こしあんとつぶあん、どっちが好きですか?」という質問が載っていた。この質問に対する回答の中で、協会が成立する丁度2か月前である昨年8月27日に、pandapanda12345さんという方が、当協会のことを言及していたのだ。

余談ですが昔勤めていた職場の年配の方(約10年前で60歳前後)が「ボクはつぶあんが大好きで『日本つぶあん協会』、略して『にっつぶ』を作ろうと思ってるんや」とよくおっしゃってたのを思いだしました。


 なるほど、当協会の会長は、今年で71歳だし、「にっつぶ」という略称を用いていることも併せ考えると、おそらく、この「職場の年配の方」というのは、若き日の当協会の会長なのだろう。

 


第1回定時総会

 昨日(5月28日・土曜日)、日本粒あん協会の第1回定時総会が行われた。

 設立総会以来、はじめての総会である。以下、簡単に報告する。

 冒頭、代表理事、来賓(代表理事の50年来の仕事仲間・遊び仲間のN氏と、粒あん協会のバッジをデザインしていただいたF氏の2名)の挨拶が行われた。

 総会は、昨年度の報告、新年度の事業計画、定款変更、いずれの議案も、満場一致で可決された。

 総会終了後、懇親会を行ったが、この間の会員数の増大に伴い、相互に面識のない会員も増えていることから、簡単な自己紹介を行った。

 懇親会では、会場となった「と夢」の女将さん(会員番号2番)の心のこもった料理を堪能した後、各会員から提供された粒あん製品の試食も行われ、粒あん談義に花が咲いた。

 予め、事務局長とは、各人が全員分の粒あん製品をもってきたら食べきれずに大量に残ることになるので、会員には、持参するにしても、2,3個にするように呼びかけていたのであるが、この趣旨が徹底せず、10個、20個入りの箱を持参する会員が多く、会場は大量の粒あん製品で溢れることとなった。

 当日、業務のため出席できなかった東京支部長からは、東京の草月の「黒松」が宅急便で届いた。この「黒松」は、私は知らなかったのだが、結構、有名で、堺支部の会員も、期せずして、この「黒松」をわざわざ取りよせた上で、持って来られたのだった。

 また、会員から提供された粒あん製品の中には、御座候のよもぎ餅というのがあった。私は、不覚にも、御座候は、専ら、御座候だけを販売しているのだと思い込んでいたのだが、こういった、よもぎ餅もあったのだ。

 私は、後に粒あんの試食があるのを忘れて、ご馳走を目一杯、食べていたため、粒あん製品は、この御座候のよもぎ餅を食べただけで満腹になってしまい、「黒松」に手を出すことはできなかった。幸い、日持ちのする製品だったので、翌日(今日)の昼に食べたのだが、私の大好物の黒砂糖をたっぷりと使ったもので、大いに満足した。

震災報道とエミリー・ディキンソン

 先日(3月19日・土曜)の朝日の「天声人語」で、19世紀のアメリカの女性詩人エミリー・ディキンソン(◆注)の詩が紹介されていた。

  失意の胸へは
  だれも踏み入ってはならない
  自身が悩み苦しんだという
  よほどの特権を持たずしては――
                            (中島完(たもつ)訳)


 筆者は、この詩を胸に深く畳みながらも、新聞記者として、報道を続けてきたという。

 管理人の知人の一人が、もしも、自分が震災の被災者で、避難所でマイクを向けられることがあったら、「ほっといてくれ。」と言って、追い返してやると言っていた。テレビでは、報道されないが、そのようなシーンも無数にあったことだろう。筆者は、そのような経験をしながらも、記者として報道を続けてきたのだろう。最後に、記者は、こう結ぶ。「そうした報道の数々が、支え合う決意に寄与していると信じたい」

 単純化すれば、報道が個々の被災者を一層、傷つけることがあっても、報道によって、全体として被災者の利益になるのなら、正当化される、ということであろう。そうはいいつつも、新聞記者としては、自らの行為によって被災者を傷つけることがあることを十分に認識し、それを最小限にするべく、努力してきたというのであろう。それが、「この詩を胸に深く畳みながら」という表現になったのだろう。

 そこで、昨年、日本でも話題になった、サンデル教授の「ハーバード白熱教室」での説例を思い出した。

 最初の説例は、こうだ。列車が猛スピードで疾走しており、その先には、5人の保線作業員が列車に気付くことなく作業をしていたとする。このままだと、確実に5人とも死亡する。ところが、その手前に待避線への切り換えポイントがある。そして、待避線では、1人の作業員が作業をしている。あなたは、ポイント切り換えのレバーの側に立っており、そのレバーを引けば、ポイントは切り替わり、列車は待避線に入り、1人の作業員は、列車にひかれてしまう。さあ、どうするか、というものだ。

 多くの人は、レバーを引いて、5人の命を救うために、1人の命を犠牲にする、という選択をする。

 そこで、サンデルは、次の説例を持ち出す。列車の進行している先で5人の作業員が作業をしているところまでは最初の説例と同じだが、今度は、あなたは、線路を跨ぐ橋の上にいる。そして、ふと見ると、太った男が橋から身を乗り出すようにしている。この男を突き落とせば、列車を止めることができるが、男は確実に死んでしまう。さあ、あなたは、男を突き落とすか。

 これに対しては、多くの人は、突き落とさない、という選択をする。5人の命と1人の命が天秤にかけられている状況は何ら変わりはないのに、この説例だと、この男の命を尊重するのだ。先の例だとレバーを引くだけだが、今回の例では、自ら突き落とす、という形で、「殺す」ことに自らの手を汚すからできない、という回答もあった。

 この回答に対しては、サンデルは、待ってましたとばかりに、こう質問する。

 太った男は、橋の上に立っているのだが、ちょうど、男の立っている場所は、開閉式の扉がついていて、レバーを引けば、その扉が開いて、男は、そこから線路に落ちていくものとしよう、さあ、今度は、あなたは、レバーを引くのか、と。
  
 5人の命を救うために1人の命を犠牲にする、という功利的な考え方。一般論としては、受け入れられても、自らが、1人の命を犠牲にする行為に、どのように関わるかによって、ことは、それほど単純ではない。

 みなさんなら、どうしますか。

◆注 エミリー・ディキンソン

  記事では、「エミリー・ディキンソン」だが、日本にある学会の表記では「エミリィ・ディキンスン」である。ちなみに、グーグルで検索してみると、「エミリー・ディキンソン」は、287万件、「エミリィ・ディキンスン」は、1070件と、圧倒的に前者である。とはいえ、後者は、専門的に研究をしている学会の表記なのだから、原語の発音には近いのだろう。
 この話で思い出したのだが、「レーガン」である。俳優からカリフォルニア州知事になり、アメリカ大統領になったのだが、共和党の予備選に立候補したころは、「リーガン」と呼ばれていた。それが、いつの頃からか、「レーガン」という呼び名を聞いたり、目にしたりするようになり、大統領就任の頃には、どの新聞、どのテレビ局でも「レーガン」となっていたように思う。


京大入試問題の質問サイトへの投稿

 京大の入試問題が試験開始直後にインターネットの質問サイト「ヤフー智恵袋」に投稿された事件が、テレビや新聞を賑わしている。

 この問題、粒あん協会としても、決して、対岸の火事として眺めているだけではすまない問題を孕んでいる。

 まず、この「犯人」が誰か、という点である。というのも、投稿に使われたハンドルネーム「aicezuki」の解釈として、「アイス好き」、「行くぜCIA(ikuzecia)」等の外に、「小豆アイス(azukiice)」だという説まで出ているからである。

実際「小豆アイス」だとすると、粒あん好き、さらには、当協会の会員である可能性も高くなり、その場合は、当協会の会員が不正行為に関与していたということで、当協会の社会的評価にも大きな影響が出ざるをえないことになる。

 また、会場での不正を見逃したという点で、京大の入試における監督態勢の不備も指摘されている。監督の甘さは今に始まったことではなく、過去の入試でも不正が横行していたのではないかという臆測すら湧いてくる。

そこで、懸念されるのが、当協会の理事長である。理事長は京大文学部の出身であり、過去の入試においても不正が行われ、当協会の理事長が関与していたのではないか、といった、あらぬ嫌疑が、当協会の発展を快く思っていない一部の人々から流布される可能性すら否定できないのである。

 さて、この騒ぎのあおりで、これから入学試験を迎える高校などでは、監督態勢の強化に向けて大変なようだ。そんな中、今日の夕刊で見たのだが、広島県の高校入試で、「パラドックスをナげかけて」の「ナ」を漢字で書かせる問題が出題されたところ、たまたま、試験場内の椅子の一部に、「いすを投げたり、倒したりしないでください」というラベルが貼られていたことに気付いたという。そのため、この問題については、受験者全員を「正解」にしたとのことである。

 前々から思っていたのだが、こういった問題が起きた場合、必ず「全員正解」にするのが慣例のようだ。受験者全員が同じ問題を解いているのであれば、「全員不正解」にしたところで、まったく変わりないと思うのだが、なぜか「全員正解」である。

 「全員正解」であれ「全員不正解」であれ、「自分はできたのに」と思っている受験生にとって見れば、腑に落ちないことではある。でも、なんとなく、「不正解」よりも「正解」とした方が、学校側のミスを受験者に押しつけないで、受験者を「救済」したという「雰囲気」を醸し出すことが期待されるため、「全員正解」としているのだろう。

 言わば、「朝三暮四」の世界である。受験生も猿なみに扱われているようだ。こんな場合に、受験生の知性を信じて、あえて「全員不正解」とする勇気ある学校が一つくらいあってもいいのにと思うのだが。

再び、「夜の梅」

 今日、虎屋の「夜の梅」をいただいた。

 虎屋の「夜の梅」と言えば、以前のブログ会員資格の判断で、こう書いた。

先日、「おはぎ」は嫌いだけど、「夜の梅」は好きなので、入会できないか、との問い合わせがあった。


 そう言えば、この話、それっきりになってしまい、先月の理事会でも議論するのを忘れていた。こんなことを考えながら、馴染みの小料理屋に行くと、なんと、この問い合わせの主が御夫婦で来ていた。

 早速、「夜の梅」の話をして、半分ほどになった「夜の梅」を取りに戻った。奥さんの方は、私が寒い中を、わざわざ取りに行ったことに恐縮していたのだが、私にとっては、全く苦に感じない。それどころか、むしろ、喜んでもらえることに、喜びを感じるのだ(◆注)。

 果たして、「夜の梅」が大好物という御主人は、あっという間に二切れを平らげてしまった。奥さんの方は、あきれていたのだが、私からすれば、別に、「夜の梅」二切れくらいは、驚くほどの量ではない。御座候なら、2つくらいは平気でたべるが、量からすると、「夜の梅」よりは、御座候の方が多いように思う。

 さて、その後、羊羹の角の部分が乾燥して、砂糖が結晶した部分を食べるときの感覚がたまらない、という話になった。私も、これは、よくわかる。豆政月しろなどは、まさに、この感覚を、ストレートに追求した逸品と言えよう。


◆ 喜んでもらえることに、喜びを感じる

 先日、アメリカ人の弁護士が日本へ料理修業にやってきたのだが、その際、こちらが、"Thank you"と言うたびに、"My pleasure" と返された。こんなときは、"Not at all" と答えるものと覚えていた私には、非常に新鮮だった。一緒に相手をしていた理事の一人も、同じ感想をもったようで、しばらく、"My pleasure"というのが、ちょっとしたブームになった。
 確かに、「ありがとうございました」に対して、「いいえ、ちっとも」というより、「私も嬉しいんです」と言われた方が、言われたほうも嬉しい気がする。とは言え、日本語で、「私も嬉しいんです」とは、なかなか、言えないものである。




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