食い逃げされてもバイトは雇うな

「食い逃げされてもバイトは雇うな」

阪大文学部出身という異色の経歴の公認会計士・山田真哉氏の4年前のベストセラーだ。

表題となっているエピソードは、主人一人のラーメン屋で、主人が出前に出ているときに、食い逃げする客がいるのだが、食い逃げ防止のためにバイトを雇っても、食い逃げによる損害よりバイト代の出費の方が大きいので、バイトを雇わない方が合理的だ、というものだ。

今朝の朝刊の記事で、この話を思い出した。

牛丼チェーンの「すき家」で、夜間に強盗が多発しているという。吉野屋や「なか卯」と比べても突出しているそうだ。警察庁の指摘では、「すき家」だけは、他の牛丼チェーンと異なり、夜間に店員が一人しかおらず、狙われやすいのだという。そこで、警察庁では、「すき屋」に防犯体制の強化を呼びかけてきたそうだが、これに対する「すき家」の広報担当者の回答が奮っている。

「防犯も大事だが、経営も大事。防犯を軸に店舗展開をしてきたわけではない」「2人で勤務していた店舗も被害にあっており、1人の店が狙われたとは思っていない」(2011.10.15朝日朝刊38頁)

 まさに、「食い逃げされてもバイトは雇うな」を地で行くような回答である。

 とはいえ、インターネットの掲示板では「強盗に優しいすき家」といった書込がなされたり、実際に強盗に入って逮捕された少年が「ネットの書込を見て、すき家がやりやすいと思った」と供述しているとのことで、「すき家」も、来年3月を目途に、全店舗で夜間の店員を複数にするそうだ。

東京ロンダリング

 「東京ロンダリング」というのは、今朝の朝日新聞の書評に載っていた本の題名だ。

 東京を舞台にしたマネーロンダリングの話かと思って解説を読むと、ロンダリングの対象は、お金ではなく、不動産だった。

 入居者が室内で事件に巻き込まれたり、自殺するなどして亡くなった賃貸マンションに、一定期間、お金をもらって住む仕事というのがあるそうだ。

 直近の入居者が自殺したと言う事実を伏せて賃貸をすると、あとあとトラブルにもなるし、業者としての説明義務違反ということで責任を問われかねない。そこで、人を雇って、一定期間、その物件に住んでもらい、その後、改めて、賃貸に出す、というものだ。そして、仮に、あとから、入居者が、それを知って文句を言ってきても、二世代前の居住者のことなど説明する義務はない言って押し切れる、という仕組みだ。

 室内で自殺したからといって、賃貸物件の物理的形状に変化があるわけでも、設備の機能が低下するわけでもない。それでも、自殺などは、一般的に嫌悪される事情であるため、賃貸するにあたって、仲介業者は、そのことを説明する義務がある、というのも、一応、肯ける話ではある。

 とはいえ、「一般に嫌悪される事情」というのを、どこまで広く解するかによって、とんでもない人権侵害を招きかねないことは、福島からの宿泊者を旅館が拒絶したり、線量計による検査を要求したり、といった事例からも明らかだ。

 こういったことを正当化する側は、「他のお客様が・・・」といったことを理由にするわけだが、それが、何ら根拠がなくても、「他のお客様」が気にする以上、「他のお客様」の気持を尊重せざるをえない、という論理である。

 こういった旅館の主人には、「あなたは気になるのですか、ならないのですか」と聞いてみたいものだ、「わたくしは、いいのですが、お客様が・・」と言うのだろう。だったら、「お客様」を納得させるのが旅館の主人の役目だろう。もちろん、説得できなくて、予約をキャンセルする「お客様」もいるかもしれない。それは、まさに、東電の責任ということになるのだ。

 旅館の主人が、本当に他の客の減少をおそれて、福島からの宿泊者を拒絶したのだとすると、本来、東電に賠償請求をすべき自らの損害を、原発事故の被害者である福島県からの宿泊客に転嫁していることになる。

 これと、ちょっと違うものの、構図が似ているのが、福島の人を応援するために、福島の農産物を食べようという動きだ。政府が放射能汚染の実態を正確に公表しておらず、しかも、放射線被爆の影響に閾値がない(◆注)ことを考慮すれば、福島県産の農産物を食べないことは、個々人の行動としては合理的であろう。そして、そのことによる、福島県の生産者の被害は、すべて東電が賠償すべきことである。

 こういったことは、東電が真摯に賠償に応じていれば、起こりようのない問題であるし、東電に直ちに賠償させることができないのであれば、一時的にせよ、政府が賠償を肩代わりすれば、解消する問題である。

◆注 閾値がない

低レベルの放射線被曝による健康への影響について、2つの考え方がある。
一つは、一定レベル以下の放射線量の場合は、全く、人体に影響がない、というもので、
もう一つは、どんな低線量でも、その量に応じて、人体に影響がある、というものだ。
前者が「閾値」(この数字から上は人体に影響があるという境界となる値)がある、という見解で、後者が、「閾値」がない、という見解だ。
「閾値」がない、という見解の方が優勢のようだが、「閾値」があるという見解も根強いものがあるようだ。いずれが優勢であるにせよ、健康のことを考えれば、「閾値」がないことを前提に行動するのが合理的と言えよう。

 

私の嫌いな大人達

「いい時代になったね」「いや、大変な時代になったよ」

同じ現象でも、立場が違えば、評価は人によって正反対となる。

著しいのが、「煙草」に対する数々の規制である。新幹線を例にとってみても、私が初めて新幹線に乗った約40年前は、「禁煙車」などはなかった。その後、受動喫煙の被害が社会的に広く認識されるに従い、禁煙車両が設けられて、今では、東海道山陽新幹線では、禁煙化率70%に達しているという。産業医科大学 産業生態科学研究所の大和浩教授らの報告によれば、JR東日本管内の全ての新幹線で、2007年から、禁煙化率100%に達しているという。

室内の禁煙が進んだのは、大夫たってからだ。病院の玄関付近にたむろす、点滴装置をつけたままのパジャマ姿の男達。院内禁煙のあおりを受けて、玄関先での煙草に一時の安らぎを求めて集まっている。今では、さらに進んで、普通のオフィスででも社内禁煙が一般的になっている。始業時刻前のビジネス街を歩くと、ビルの一角で、このときとばかりに、煙を薫らすビジネスマンの一群を、よく見かける。

さらに進んで、路上喫煙禁止条例なるものまでできている。ほんとうに、いい時代になったものだ。

さて、話は、まだ禁煙車両がなかった頃の新幹線の車内に遡る。

一人で2人掛けの席の窓側(E席)に座っていたところ、途中で隣に座ってきた中年男性が、胸ポケットから取り出した煙草の箱から煙草を1本取り出しながら、「たばこ、吸ってもいいですか」と尋ねてきた。

煙草が大嫌いな私は、すかざす、「遠慮して下さい」と答えたものだ。

尋ねた当人は、「どうぞ」という答えを期待していたのだろう。思わず、むっとした表情を見せた。

「煙草を吸うのは当然の権利だけど、なかには煙草の煙が嫌いな人がいるかも知れない。だから、私は、こうして、予め、いいですか、と尋ねたのだ。にも関わらず、吸うなとは何事だ。人の好意を踏みにじる、礼儀を弁えない許せないやつだ」と言わんばかりの表情だった。そこまで、一瞬の表情から読みとれるのか、と突っ込まれれば、そうかも知れないが、そのときの私には、そう感じられたのだ。

「こんな大人にはなってはいけない」そう思った。表面だけ、親切ぶったり、善良ぶったり、でも、実際は、親切な人、善良な人、と見られたいだけの人間、こんな人間にはなってはいけない、本当にそう思ったものだ。

一食で塩分8.2グラム、多すぎませんか?

 15年ぶりに、京都府立医大病院の食堂へ行くことにした。

 阪神大震災の翌年、母を連れて何度か府立医大に行き、院内の食堂で昼食をとったことを思い出したのだ。その頃から、今まで、両親を、あちこちの病院に連れて行った際に、それぞれの病院の食堂に入ったのだが、おしなべて、水準は低かった。ところが、府立医大病院だけは特別で、味も値段も種類の豊富さも、申し分なかったのだ。

 まあ、病院の規模からして、中規模の他の病院よりはレベルが高くても、当然といえば当然なのだが、同規模の京大病院の食堂と比較しても、断然、こちらの方が上なのだ。

 なぜか。その原因は、京大が総合大学であるのに対し、府立医大が単科大学である点にある、というのが、私の出した結論だ。

 この結論に至るには、伏線がある。数年前、長崎県の大村に行ったときのことだ。博多で新幹線から長崎行きの特急に乗り換えたのだが、グリーン車でもないのに、革張りかと思わせるような作りの、ゆったりとしたシートに、驚いたことがある。同じ在来線特急でも、宮津へ行く際に乗る山陰線特急の何と貧弱なことか。そのとき考えたのが、JR九州には、新幹線がないから、在来線特急への思い入れが強く、ここまで豪華にしたのだろう、他方、新幹線がメインのJR西日本としては、遙かに乗客も列車本数も少ない山陰線まで、手が回らないということなのだろう、というものだった。

 そこで、食堂の話に戻ると、京大の食堂も、病院以外の構内の食堂は、それなりのレベルの食堂もあるのだが、病院の食堂は、とりわけ貧弱なのである。結局、京大にとって病院の食堂は、JR西日本にとっての山陰線であるのに対し、府立医大にとっての病院の食堂は、JR九州にとっての在来線特急、という位置づけなのだろう。

 さて、そういうわけで、府立医大病院の食堂を目指したのだが、どうせ歩くなら、緑豊かな御所の中を歩こうと思って、堺町御門から御所に入った。十数年前、時代祭の行列では、裃を着て、ここから丸太町通へ繰り出したものだ。さて、せっかく、御所に入った以上、砂利道を歩くのはもったいない。外周に沿って大木が聳え立った間の落ち葉の積もった小径を歩くことにした。

 緑に囲まれた小径を歩くうちに、「♪♪もーりを♪♪ぬーけた♪♪」(by麻丘めぐみ)とか、「♪♪あるー日♪♪森のなかー♪♪」(by?)と、口ずさみたくなるような気分になった。とはいえ、いい年をした男が、こんな歌を口ずさんでいたりしたら、すれ違った人から怪訝な顔をされるだろうと思って、やめたのだが、頭の中では、ずっと歌詞が流れていた(どちらの歌も、正確に歌詞を覚えていたわけではないのだが)。

 ところで、銀閣寺の近くの疎水沿いに「哲学の道」というのがあるが、この御所の木立に囲まれた小径のほうが、人と出会うことも、ほとんどなく、ずっと思索には向くだろうと思った。私が哲学するわけでもないのだが。

 だいぶ、日が落ちてきた。初めて御所の中を歩くのだったら、今歩いている道を元へ戻れるのだろうか、と思った。うん、こんなときは、パンをちぎって、少しずつ、目印に落として行けばいい。でも、足元には枯れ葉が堆積しており、同系色のパン屑など、とても目立たない。食パン1枚くらい落とせば遠くからでもわかるだろうが、それには、いったい、どれだけの量の食パンが必要なことか。ヘンデルやグレーテルが歩いたドイツの森の小径は、青々とした下草が生えているか、あるいは、真っ黒な土がむき出しているのか、いずれにせよ、小さなパン屑でも、すぐに、それとわかるような森だったのだろうか、などと、とりとめもないことを考えながら歩いて行く。
 
 そうこうするうちに、御所を抜け、間もなく、府立医大病院に着いて、鯖の味噌煮とナス田楽がセットになった定食を注文した。さすが病院の食堂というべきか、レシートに塩分の表示まである。見ると、「8.2グラム」とある。1日の標準量は、確か10グラムだったはずである。病院の食堂なのに、どうして、過剰摂取になることを厭わず、こんなに塩分の多い食事を提供しているのか。まさか、マッチポンプのように、高血圧を誘発して、病院の患者を増やすそうなどという深謀遠慮ではないだろう。

 この疑問が解消したのは、また、御所を抜けて、戻ってきた時だった。食事で身体が暖まった上に、まだ昼間の熱気が残る中を30分近くかけて歩いて帰ってくると、カッターシャツまで、べっとり汗にまみれ、額からも汗がしたたり落ちている。コップ一杯分くらいは汗をかいたようだ。汗に含まれている塩分も相当なものだろう。200ミリリットルで、塩分3パーセント(◆注)としたら、塩分は、6グラムだ。そうか、先ほどの食事の8.2グラムの塩分も、大半は、こうして汗になって体外に排出されたのだ。これだけ汗をかきながら、塩分を補っていなかったら、逆に体調を悪くしていたかも知れない。さすが、病院の食堂である。そこまで、考えていたのなら。

 その検証は、半年後だ。半年後にも同じメニューを注文してみよう。そのとき、例えば、「3.5グラム」と表示されていたら、「さすが」である。「8.2グラム」のままだったら、「なんだ」ということになる。

◆注 塩分3パーセント

 塩分3パーセントというのは、全くの私の当てずっぽうだった。調べてみると、汗の塩分濃度は、せいぜい0.5パーセント程度だと知った。だったら、汗200ミリリットルで、塩分1グラムだ。
 ただ、コップ1杯というのも、私の大ざっぱな感覚なので、ひょっとしたら、500ミリリットルくらいは出ていたのかも知れず、そうすると、塩分は2.5ミリグラム、ということになる。





粒あんの浸透度

 祇園祭の日の夕刻、岡崎の疎水のほとりの喫茶店に立ち寄った。

 他に客もなく、脱サラをして店を始めたというマスターと話していると、店のバイトの女の子の友達が入ってきた。

 その子の話は、卒論を書くためにアンケート調査するので、マスターに協力してもらえないかというものだった。また、バイトの子も、専攻は違うが修士の1年目で、やはり、研究の一環としてアンケート調査をすることがあるという。

 アンケート調査と聞いて、私は、3人の会話に割り込んだ。というのも、常々、「アンケート調査」なるものに不信感をもっており、実際に、アンケート調査をする、という二人が、どこまで、アンケート調査というものに信頼を置いているのか興味を持ったためである。

 そこで、私が話したのは、「アンケート」というのは、主催者側の意図で、何とでもなる傾向があり、しかも、質問が一見、ABCの三択であっても、三択に相応しい質問になっていない、例えば、BかつCの場合が存在しうるケースが、しばしばある、というものだ。

 抽象論では、??だろうから、具体例で示そう。2年前、裁判員裁判がスタートした頃に、新聞に載っていたものだ。

 あなたは、裁判員裁判について、どう思いますか。
 A 参加したい。
 B 参加したくない。
 C 国民の義務なので参加する。

 A2割、B2割、C6割だったのだが、記事は、AC併せて8割であることを取り上げて、「裁判員制度、国民の8割に定着」と、裁判員制度に肯定的な評価を下していた。

 しかし、例えば、もし、ABの二択なら、A2割、B8割だったかも知れない。ところが、Cを加えることによって、Bの8割から、6割をCに変更させているのである。

 そもそも、「参加したくない」人で、「義務であっても参加しない」などと言う人が一体、どれだけいるのだろうか。震災後でも略奪、暴動が起きなかったと諸外国から賞賛される我が国で、法律に反して裁判員裁判に参加しないなどと公言する人が、いるのだろうか。「参加したくないけど、国民の義務なので参加する」(BかつC)という人がほとんどだろう。その中で、3者択一なので、やむなく、多くの人がCを選択するのだろう。

 こんな「手口」が許されるのなら、粒あん協会でもやってみるか。もちろん、質問は、こうだ。

 あんこの好みについて、お尋ねします。
 A 粒あんが好き。
 B こしあんが好き。
 C 訪問先で茶菓子に粒あんを出されたら、粒あんを食べる。

 A2割、B2割、C6割だったら、協会のホームページに、24ポイントのゴシック文字で、こう掲げよう。

 「粒あん、国民の8割に定着!」

 ちなみに、その後、マスターとバイトの子に、どちらが好きか尋ねてみた。マスターは、粒あん派だが、バイトの子は、こしあん派だった。ただ、こしあん派とは言っても、御座候は大好きだとのこと。御座候が好きなら、会員資格は十分だと思ったら、御座候に「こしあん」が入っていたら、もっといいという。う~ん。人の好みは複雑だ。
プロフィール

Author:粒あん協会HP管理人
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