さんちゃんの真相

 私が幼稚園に入る前の話である。

 我が家に子犬が来た。犬を飼おうと言ったのは父なのだが、母は反対だった。だが、父の提案に大はしゃぎする姉や私に押し切られるように、母も、しぶしぶ、我が家で犬を飼うことを認めてくれた。ただ、条件として、ちゃんと自分たちで面倒を見ること、面倒が見られなくなったら、手放すという約束だった(保健所に連れて行く、と言われたような気もする)。

 やって来たのは雑種の子犬で、当時の私の腰のあたりの高さだった。早速、「さんちゃん」と名付けたのだが、なぜ、その名前になったのかは、全く記憶がない。しばらくは、姉も私も、何かと言えば、「さんちゃん」「さんちゃん」と、まるで「さんちゃん」を中心に生活が回っているような入れ込みようだった。

 とはいえ、子どもの関心は移ろいやすい。そのうち、犬の散歩も、母に言われて、しぶしぶ連れて行くようになった。

 「だから、結局、私が面倒見なきゃ、いけないのよ」 ある晩、ふすま越しに、母の声が聞こえてきた。父も何か答えてはいたようだが、形勢は悪そうだった。「明日、保健所に連れて行くわよ」という言葉まで、聞こえたのか、聞こえなかったのか、今となっては記憶にない。

 翌日のことだ。遊びから帰ると、さんちゃんがいない。母に尋ねても、もう、さんちゃんはいない、とのことだった。

 今さら後悔しても遅かった。本当に保健所に連れて行かれたとは思いたくなかった。いや、そんなはずはないとも思った。だから、真相は、私の記憶の淵に押し込められたまま、今でも思い出すことができないのかもしれない。
 
 さんちゃんが、どこへ行ったかはともかく、当時、私が思ったのは、母は、そんなにも犬が嫌いだったのか、ということだった。

 だが、この認識は、半世紀の時を経て、改められることになる。

 父が亡くなって間もない頃、ふとした弾みで、さんちゃんのことが話題になった。さんちゃんが、どこから我が家に来たかを母から聞いたときだった。母の話では、さんちゃんは、父の勤め先の後輩の女性社員の家で生まれ、もらい手がなく、父が引き取って来たそうだ。

 そうだったのだ。母にしてみれば、自分の夫が会社の女の人のご機嫌をとって、そのツケが自分にまわされてきたということだったのだ。子ども達が喜んで面倒を見ている分には、子どものため、という自分への言い訳もできたのだろう。でも、自分が面倒を見るとなると、もう、限界だったのだ。

犬の食器と人の食器

 最近、ペット連れOKの喫茶店を見かけるようになったが、今のところ、ごく少数であり、その程度のことなら、別に異を唱えることはない。

 また、普通の喫茶店でも、店の外側の、道路に面した席に、ペット連れの客が座っていることもある。犬嫌いの人には不快かも知れないが、ぎりぎりの妥協ラインとしてOKだろう。

 けれども、さらに進んで、ペットを椅子に座らせるとなると、少し首を傾げざるを得ない。小さい子が靴を履いたまま、椅子の上に立とうとしたら、靴を脱がせるのが親としての常識である。ペット同じだろう。もっとも、ペットには、脱がせるべき「靴」を履いてないのだから、結局、ペットは椅子には座らせない、ということになる。

 今朝、とある喫茶店に入って、窓ガラス越しに、歩道に面した所のテーブル席にいるペット連れの客を眺めていたのだが、思わず我が目を疑う光景を目にした。店のスプーンを使って、スープを犬に飲ませているのだ。いくら何でも、これは非常識だろう。人の食器と犬の食器は厳然と区別すべきである。洗えばいいという問題ではない。洗えばいいと言うのなら、そのスプーンで犬の糞を処理した場合でも、洗えばOKと言えるだろうか。

 ちなみに、明治時代の裁判だが、飲食店の徳利と鋤焼き鍋に放尿した行為が、器物損害罪に問われた事件があるのだが、徳利や鍋が物理的に壊され使えなくなったわけではないものの、飲食店としては徳利も鍋も営業には使えなくなったのだからという理由で、有罪となっている。

 うちのかわいいワンちゃんがぺろぺろしたのと、人が放尿したのを一緒にするなんて・・等と言われるかも知れない。しかし、どこかで一線は引かなければならない。誰もが皆、同じ感情を有しているわけではないのだから。

政府に任せておけば大丈夫-NHKでも言ってるんだから-

 放射能汚染された下水処理施設の汚泥について、12月16日に政府が示した基準は、放射性セシウムが1キログラムあたり8000ベクレル以下なら埋め立てに用いてもよい、というものだった。

 今朝のNHKの番組で、この基準が妥当か、あるいは、甘すぎるのかを議論していたのだが、その中で、とんでもない発言があった。

 人体にも、大人一人で7000ベクレルの放射性物質が含まれており、スタジオ内の出演者数人だけでも何万ベクレルの放射能があるのだから、汚泥の8000ベクレルというのは、それより、遙かに厳しい基準だ、という趣旨の発言だった。

 番組内で、誰もこの発言を咎めなかったのだが、よく考えてほしい。8000ベクレルというのは、汚泥1キログラムあたりの基準である。大人の体重を仮に60キログラムとすると、大人一人7000ベクレルというのは、1キログラムあたり、116ベクレルだ。そうすると、汚泥の基準8000ベクレルは、その約70倍ということになってくる。

 しかも、汚泥の場合、埋め立てともなれば、深さ数メートル、前後左右、びっしり汚泥で埋め尽くされるのだ。他方、スタジオの出演者の場合、押しくらまんじゅうをしているわけではない。1メートル前後の間隔をおいて座っているのだ。したがって、面積あたりの放射性物質の量で考えれば、8000ベクレルの汚泥からなる埋め立て地は、NHKのスタジオの数万倍となるはずである。

 それを、先ほどの発言は、巧妙に錯覚させ、政府の基準が、さも厳しい基準であるかのように思わせているのだ。数人の出演者の中に、こんな詐欺師のような人間が一人ぐらいいたとしても、他の出演者や、司会者が、しっかりしていればいいのだが、少なくとも、NHKの番組では、この発言が、そのまま放置されてしまったのだ。

 こうして、また、政府の「厳しい」基準が、社会に受け入れられていくのだろうか。

大人の感覚

 昼休み、弁当を買いに行く途中、ふと、街の喧噪から逃れたくなった。

 遠回りになるのだが、丸太町通から、御所に入った。すると、さっきまでの喧噪が嘘のように消え・・、というのは嘘で、御所に入っても、外周を走る車の音は結構、聞こえていた。

 とはいえ、歩道の敷石や、車道のアスファルトと違って、落ち葉の堆積した小径を歩くのは、膝に優しく、いい感じである。小学4年生のころだったが、隣町にできた鉄筋コンクリートの新築校舎の見学に行ってきた先生が、コンクリートの建物は廊下も堅くて足が疲れる、やっぱり、木造の弾力のある廊下はいい、と言っていたのを思い出した。

 そのときの私には、古びた木造の校舎ではなく、ぴかぴかの鉄筋コンクリートの校舎が羨ましくて仕方なく、その先生の言葉も、ただの負け惜しみにしか聞こえなかった。
 
 半世紀の時を経て、先生の言葉が、決して負け惜しみなどではなく、本心だということが理解できた。

 似たような話だが、夏の暑い盛り、母親が、「明るいと見ていて暑いから電灯を消しなさい」と言ったのに反発を覚えたことを思い出した。

 当時の私は、「科学」少年で、学研の学年別月刊誌「○年の科学」や、テレビの科学番組が楽しみでしょうがなく、科学的知識が増えていくことに無上の喜びを感じていた。そんな私にとって、暑い寒いは、皮膚の上の感覚器が温度を感じるからであって、気温の上下こそが、暑さ、寒さを決めるのであり、「明るいから見ていて暑い」などという母の言葉は、「非科学的」な迷信のように思えたのである。

 それから数年経って、高校生くらいになると、自分も、明るいと暑さを感じ、電灯を消したりするようになり、少し、大人になったような感じがしたのである。

対面交通

 夕食時に何気なくテレビを見ていると、タイの大洪水で、現地に進出した日本企業が操業停止に追い込まれているというニュースをやっていた。

 画面には市街地の様子が映っていたのだが、車が左側を走っている。

 私は、車が道路の左側を走るのは、日本とイギリスだけだと思い込んでいたのだが、どうも、そうではないらしい。こんなときに便利なのがスマートフォンである。パソコンと違って、食事中でも手軽に操作できる。早速、左側通行で検索すると、ウィキペディアの「対面交通」という記事が出てきた。

 記事には、世界地図が表示されており、左側通行の国は、青、右側通行の国は、赤、と色分けされている。青は、日本、イギリスだけでなく、オーストラリア、マレーシア、インド、パキスタン、ケニヤ、南アフリカといった旧イギリス領の国々が並んでいるが、これ以外にも、数カ国、タイ、インドネシアなどが、青色で、インド洋に面した国のほとんどが、青く描かれている。

 旧英領の国々が宗主国の通行方法を採用したのは、支配する側が都合のいいルールを押しつけることができる、という、普遍的原理からすれば、当然のことなのだが、各国が、それぞれ、左側通行、右側通行を採用した理由には諸説あって定説はないようだ。例えば、ヨーロッパ大陸では、馬車の通行の際、御者が右手に持った鞭が絡まないように右側通行になったという説があるそうだが、そうだとすれば、同じく馬車を利用していたイギリスで左側通行になった理由は説明がつかない。

 話は前後するが、宗主国の通行方法が採用されるという例は、身近なところにもあり、戦後の沖縄がそうで、米軍占領に伴い、右側通行に変更されたのだが、1972年の本土復帰によって、左側通行に戻った。当時、テレビで変更に伴う混乱が報道されるのを見た記憶がある。右側通行か左側通行か、ということは、業種によっては、死活問題だということが言われていた。

 例えば、市街地から郊外に出かける釣り客を相手にする釣具店は、車の客が店に立ち寄りやすいように、多くが道路の右側に立地していたのだが、左側通行になってしまうと、従前の立地では、車の客が、ほとんど立ち寄ってくれなくなるというのだ。ガソリンスタンドも、若干、そういうところがあるらしい。
 
 さて、話は、いつものごとく、とりとめもなっていくのだが、対面交通というのは、戦前からあったわけではなく、戦前は、車も人も左側を通行していたそうだ。それが、戦後になって、それも、昭和24年になって、車は左、人は右という対面交通に変わったそうである。

 そういえば、こどもの頃、幼稚園で、対面交通の紙芝居を見た記憶がある。「タイメンコーツーと言っても鯛のお面をかぶって歩くんじゃないんだよ」などという、今なら、辺り一面凍り付いてしまうようなギャクのあとに、対面交通の説明があって、歩いている人は、反対側から来る車がよく見えるから安全なのだ、ということを、幼心に納得したものだった。半世紀を経て、未だに、鯛のお面を顔につけた子どもの絵が記憶に残っている。その点では、なかなか優れものの紙芝居だったということになる。
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