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メンバーの裁判

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2010年10月15日 (金)

片品語録 2

 去年の8月に書いた「片品語録」の続編である。と言っても、必ずしも初回が掲載されて以降のものだけではない。片品移住7年半で聞いた言葉を思い出すままに拾ってみた。特筆すべきは、付録でつけた金造の言葉以外は、すべてが名前も名乗らず姿も見せず、影で語られた言葉であることだ。逃げも隠れもせず、いつでも誰とでも話す、と言っているのに、誰も面と向かっては言ってこない。片品の人たち、よほど腹が座っていないのか、それとも単なるシャイなのか。そして、もうひとつ共通しているのが、書いた内容、話した内容に対する意見ではないこと。それがなければ、話は始まらないのに。

自分だけ頭が良くて、他はどうしようもないと思っているんじゃないか。

 古い話だが、上毛新聞の「オピニオン」に意見提言を書いたとき、こう言っていた人がいた、と伝え聞いた。引っ越して翌年(04年)の「オピニオン」だったから、まだ知り合いも少なかったし、話す人も少なかった。どこにどんな人がいるのかもわからないのに「自分だけ頭が良くて」と言うほど、私は世間が狭いつもりもないし、傲慢なつもりもない。少なくとも「他はどうしようもないと思っているんじゃないか」と言った人は、間違いなく、どうしようもない。

そういう奴だと思って、相手にしない。

 これも伝え聞いた「オピニオン」に対する言葉。一話せば、十理解する人が、たまにだが、いる。そういう人と出会うと、嬉しくなる。その人が話す一を聞いて、十理解できる人間になりたい、と思う。「そういう奴だと思って、相手にしない」と言う人は、おそらく十話しても、一も伝わらない人だと思うから、相手をするのは、私の方からご免蒙る。

昨日今日来た奴に何がわかる?

 やはり「オピニオン」に対する言葉。昨日今日来た奴が、見て、感じて、考えて書いたのが、あの「オピニオン」で、引っ越して5年から7年経った奴が、調べてわかった村の事実を書いたのが、このブログのカテゴリー「片品村」に書いてきたことなのだから、この村で生まれ育ち、60年生きてきた奴には、少なくとも、この10倍の村の事実を書いてもらいたい。10倍の声を上げてもらいたい。わかったようなことを言うのは、それからにしてくれ。

「郷に入っては郷に従え」ってこと、知らないのか?

 これも「オピニオン」に対する言葉。その郷に「個」の意識があるのかさえ疑わしいのだから、何歩か譲っても、「個」より「集落」が優先されるのだから、郷に従え、と言う前に、その郷のおかしなところを変える方が先である。そうしないと、世間の常識からも時代からも取り残される。もう既に取り残されている? まっ、それは機会を改めて。要するに、インターネット時代に狼煙をよしとするような主張は滑稽でしかない、ということだ。飛んでくるミサイルに竹槍で立ち向かうつもりか。

いやだったら東京帰ればいいのに。

 「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。」と、夏目漱石は書いている。私がどこに住むかは私の自由、村のおかしいことにおかしいと声を上げるのも私の自由である。私がここに住んでいることに、名前も名乗れない奴にとやかく言われる筋合いはない。

こんなところで文句言ってても時間の無駄でしょ?

 こんなところだけで書いているわけではない。役場に対して、筋を通せ、と言い続けている。そのために情報開示の請求をし、出て来たおかしな答に異議申し立てをし、住民監査請求もした。そもそも、村の不正を告発することと文句を言うことは違う、ということをこいつは知らないらしい。必要なとき、時間は作るものだ、ということも知らないのだろう。

あなたのように調査能力がある人が3年もの間なぜ片品の行政について調べなかったのですか?

 一般的に言って、引っ越す前に調べるのは、日常生活に重要な病院の所在地、スーパーや商店街の有無、子供のいる家族なら保育園や幼稚園、学校の所在地と距離などだ。四方を山に囲まれた村で生まれ育ち、ずっと暮らしていると、そんな世間の常識もわからなくなるのか。住んでみてわかること、住んでみなければわからないことがあることも理解できないらしい。そもそも情報開示の請求は、村内に住所があること、事務所か事業所があること、その事務所か事業所に勤務すること、村内の学校に在学すること、役場の事務または事業に利害関係を有することが条件だ。この条件があって、他所の土地から片品の行政についてどう調べろ、と言うのか。どこの世界に、そこまで猜疑心に凝り固まって移住先を調べようという人間がいるというのか。仮に役場に問い合わせたところで、通り一遍の答えしか返ってはこないだろう。引っ越す前の人間は、所詮は通り過ぎるだけの観光客なのだ。

片品住民への叩き方が尋常ではない。

 考え方も感じ方も人それぞれなのに、尋常って何だ。何を尺度の尋常だ。井の中の蛙の尺度は、世間一般に普遍的な尺度にはなりえないことを知ってから言ってくれ。モノ言わぬ村の人にとって、実名を名乗ってひと言でも発すれば尋常でないと感じるのだろうが、村のやることに関心を持たず、事実を知ろうともせず、見ようともせず、声を上げようともしないことの方が、外を知る私から見れば、遥かに異常なのだ。

自分の住むところを批判しているのなら別のところを探すのも一つの選択肢でしょ?
 ごく自然に出てくる考え方の一つじゃないですか?

 これも“人それぞれ”を知らない解釈だ。そう考えるのも選択肢のひとつ、そう考えないのも選択肢のひとつ。しかも、どちらもそれぞれの自由だ。自分と違う選択をする人にとやかく言う資格は誰にもない。「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向こう三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行く許(ばか)りだ。人でなしの国は人の世よりも猶(なお)住みにくかろう。」夏目漱石『草枕』より。

批判するだけなら誰でもできます。

 では、やってみてくれ。君も東大博士課程にいたなら、星野巳喜雄市政のおかしな点はわかるだろう。君がばらまいた東大博士課程の名刺を受け取った人たちは少しは期待しただろうから、その期待を裏切らないためにも、ぜひ、やってみてくれ。今は東大博士課程を名乗れないだろうから、NPO尾瀬なでしこの会の理事として実名を上げて、堂々とやってみてくれ。このブログは誰にでもオープンだから、きっと歓迎されるだろう。「ね」だの「うみ」だのの名前でここに書いてきた責任もしっかりとってくれ。それが社会に生きる人としての最低限の礼儀というものだ。「ね」や「うみ」が君とは別人物だと言うなら、君の理論でそれを証明してみてくれ。もちろん実名で、だ。実名を隠すことはおろか、都合が悪くなった文言を慌てて削除して、じっと秘かにほとぼりがさめるのを待つ、なんて男としても最低だ。そんな奴が、批判するだけなら誰でもできます、だぁ? 声も上げられない奴が、偉そうなことを言うもんじゃない。デボラにも愛想尽かされるぞ。

そのときの村長は賢二さんだったから。

 平成17年3月の入札参加資格審査の手続のとき、まだ村長ではなかったから、「筋や道義? そんなものはクソ食らえ!」に書いた禁反言の法理に反した役場の私への対応にも責任はない、と金造は言いたいらしい。確かに、平成17年3月時点での村長は星野賢二氏だったが、彼が9月に急死し、その後を引き継いだのが金造である。引き継ぐということは、村長選用スローガンに限った賢二氏の路線だけでなく、村長としての全責任までを言う。しかも、あの入札参加資格は平成17年度と18年度の2年間有効のものであり、その両年度の片品村ポスターの発注責任者は村長の金造だったのだから、民法第1条第2項「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行われなければならない。」に反した違法行為の責任は間違いなく金造にある。
 中卒で村長にまでなったことは偉いと思うが、5300人足らずの小さな村といえど、村の予算執行の責任の所在さえ理解できない中卒の頭脳では、村長は無理ということだ。

司法の判断に委ねよう。

 上の問題に関して、金造には民法第1条第2項に違反した認識はないらしい。決して非を認めず、いかにごまかすかに腐心する片品村の行政の長としての面目躍如といったところだ。面会を申し入れ、45分間の話し合いの場を持ったが、録音を了解した直後から、金造は一切の発言を止めた。言質を取られることを警戒してのことだろう。つまり、いつでも誰とでも会う、と言いながら、その面会は形ばかりであり、金造には話し合う意志はない、ということだ。「司法の判断に委ねよう」は、まさかそこまではしないだろう、と高を括ってのものだろう。法に違反しても非を認めず、ごまかしにごまかしを重ね、おかしいという声にも聞く耳を持たず、話し合おうとしても考えを話さず、司法の判断に委ねる。これが千明金造の実像だ。これでは、村長の存在意義はどこにあるというのか。

 村の人、特に若い人のブログをときどき読むが、そこにも「片品語録」に載せたい言葉を見かけることがある。○○がこう言った、さすが、と感動した話をたまに目にすることがある。確かに、もっともらしいことを言ってはいるが、人は何を言うかではなく、何をするかなのだ。(木暮溢世)

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片品語録 2を参照しているブログ:

コメント

「批判するだけなら誰でもできます。」ですか。
 私が現に今しているような、NPO法人尾瀬なでしこの会の批判も誰にでも出来るものなのでしょうか。
 事実でなければ間違いなく名誉毀損が成立しますから、それなりの調査と覚悟が必要です。それが出来る方は利根沼田に多くないと自負していましたが・・・
 これを言ったのが、NPO法人尾瀬なでしこの会の理事ですか。是非とも、私の指摘に対する反論を聞いてみたいですね。

 元沼田市民君へ
 君は昨年夏、「ダルタニャン」という名で市民活動センターについて反論を寄せ、片品村議会傍聴の投稿に、「ね」という名で記事とは関係ないコメントを寄せて私の名誉を傷つけた。紙芝居サミットの投稿には、「うみ」という名を語って、やはり記事とは関係ないコメントを執拗に寄せてきた。その理屈の捏ね方が酷似しているということで、このブログで同一人物と断定されたが、君からは反論のひと言もない。この断定が間違いであれば、恥をかくのはこのブログの方だ。なのにひと言の反論もない、ということは、つまり、君本人が認めた、ということだろう。
 また「うみ」の名前で薮をつついてしまい、尾瀬なでしこの会の実態が次々と明るみに出てしまったにもかかわらず、やはりひと言の反論もない、ということは、つまり、それが認めざるをえない事実だからだろう。
 こんな君のような人物にも、守られるべき名誉はある。ただし、NPOは公開が原則だから、名前を出されても、それは承知の上のはずだ。このブログが明らかにしてきたことは、君が理事として関わるNPO尾瀬なでしこの会の公金にまつわる実態だ。ファミリーサポートセンターの数々の疑問については行政側の杜撰さも認められるから、それは構造的問題であるとして、必ずしも尾瀬なでしこの会ばかりに100パーセント問題がある、と言っているわけではない。
 それでも実名を出されたことで名誉毀損だと言うなら、君が実名で堂々と反論してくればいいことだ。それでも納得できなければ、君自身が然るべき機関の法的判断を仰げばいいことだ。なのに、相変わらず実名を名乗ることもできず、今度は巳喜雄行政の問題点に「元沼田市民」の名で的外れのコメントか。文章で書けば正体がばれるからって、今度は馬鹿げたイラストに漫画の台詞か。君には学ぶという能力がないのか。憂鬱なふりをして、プレイボーイを気取ってあちこちから顰蹙を買い、片品の光源氏と揶揄されて、替え歌にまでされてからかわれて、おまけに東大博士課程を学位がとれないまま放り出されたことまでばれてしまって、慌ててブログを削除したのはついこの間のことだろう。
 「批判するだけなら誰でもできます」と君が言ったのだから、いつまでも似通った馬鹿をやっていないで、堂々と実名を名乗って反論したらどうなんだ。それくらいのことは馬鹿でもできるだろう。

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