遺伝(DNA)? 感染症?どうしてこう屑ばかりなのか
片品村の木暮溢世さんによると、利根片品のDNAというものがあって、このDNAを持つものはみな恥知らずで胴欲な了見のせまい人間になるというのである。なるほど、今度の牧野議員などを見ても歴然だが、こんな屑が市会議員でございとふんぞりかえっている。利根沼田でなければ誰も相手にしないようなお粗末野郎である。かつて私がこそ泥会派と名づけた痴れ者の市議グループがあったが、こいつらは白昼堂々と市のカネをくすねて手前の才覚を自慢していた。市民の目などが、厳しく追及したら、消え入りそうな声で、盗んだカネは市にお返しします、と言った。未だに返したとは聞かない。このままほおかぶりするつもりだろう。こいつらは、まだ議員である。ひどい奴らは他にもいる。市会議員を三期務めた真下淑恵という女は、常々反対していた議員の海外視察に臆面もなく出かけた折に、娘を同伴して帰国した。その娘の分の旅費は誰が支払ったのか、領収書を出せと私などが求めたが、結局出せず、カネを返します、と泣いた。これも、未だに返していない。真下は己の亭主に後を継がせ、夫婦で議員年金をせしめようと図っている。
利根沼田のDNAか?しかし、ちょっと待ってもらいたい。真下淑恵は沼田のDNAは持っていない。よそから嫁いできた余所者である。DNAは伝染するのか? そうかも知れないと思わせるのが議長の布施辰二郎だ。三年ほど前私は岩手県の葛巻の視察を計画し布施に声をかけた。葛巻の中村市長(当時)までわれわれに会見してくれた。布施は葛巻の盛んな発展ぶりにしきりに感心していたが、今ではすっかり忘れたらしい。それどころか、星野巳喜男の尻を舐めるのに熱心である。布施は新潟県松之山の産である。利根沼田のDNAがきっと伝染したのである。
ひょっとしたら木暮さんの言うDNAはスピロへータではないのか?サルバルサンとペニシリンで治せるのではないのか?放蕩が昂じてかかる鼻欠け病ではないのか?志操堅固な人は決してかからないのではないか?
木暮氏によれば、利根沼田のDNAに感染すると、鼻は欠けないが、補助金症状が出るという。片品の星野千里とかいう村会議員がその症例の典型だそうだ。どっかの馬の骨を家に引き入れて乳繰りあった挙げ句、尾瀬なんとかいうNPOをでっちあげ、補助金で濡れ手で粟のぼろもうけ興業をやったらしい。
DNAは本来先祖代々引き継がれるものである。スピロへータは己のふしだらで背負い込む業病である。
私は利根沼田のDNAなどというものはない、という説を主張して敢えて木暮博士に逆らう。あれはDNAではない、ふしだらな不良がかかる伝染病だと言いたいのだ。
私が自説に確信を持ったのは、一昔前の沼田にはこの病気の症状は今日ほどなかったからである。証拠はいくらでも挙げられる。内村鑑三は利根沼田の出であったが、アメリカ人の拝金主義のスピロヘータを厳しく批判した。近いところでは、星野光多という人がいた。光多の父親は戸鹿野村の出身で、光多はその次男である。光多は長じてキリスト教の牧師となり、三男一女に恵まれた。長男は星野直樹、次男が星野茂樹、三男が星野芳樹、娘は星野はなである。また光多の妹は津田塾大学の津田梅子が亡き後、塾長を務めた女傑である。
星野三兄弟はいずれも心がきれいな人格者であった。長男の直樹は満洲国の総務長官(事実上の総理)として、満洲国を国家として完成させた。次男の茂樹はトンネルづくりの権威で関門トンネル初め丹那トンネルを含むいくつものトンネルづくりに貢献している。三男の芳樹は戦前治安維持法で八年も獄中にあったが、受刑中に微分積分を独学で勉強し、スターリンの共産主義が科学的共産主義どころかロシア帝国主義の変種でしかないことを喝破した。芳樹は転向はしなかったが、スターリニズムはマルクス主義とは別物であることを見抜いた。戦後は静岡新聞の論説委員をしながら、第三世界を中心に歩き、定年退職後、アフリカのケニヤに移住、学校を建てた。
この星野家は利根沼田のDNAを持った一族だが、これほど清廉潔白でありながら、世の為人の為に生きた人々である。星野芳樹の墓は沼田にあり、芳樹の娘は沼田にご存命である。
この星野家の人々を見るかぎり、いわゆる利根沼田DNAの汚さ、人間を屑にする卑怯さ、貪欲など全くない。私は、利根沼田DNAがあるのではなく、人格の陶冶に失敗した意志薄弱な馬鹿者が感染する風土病の病原菌のスピロへ-タがうようよしているだけだと思っている。
このスピロへータは梅毒と違い空気伝染するらしい。防ぐ方法は倫理と人格の陶冶である。コンドームは効かない。よくよく目を凝らして周りをみてみれば、スピロヘータに感染しているのはエリートと呼ばれる連中ばかりだ。真面目に仕事に励んでいる普通の沼田市民は健康である。(峯崎淳)
沼田市議会はこれまで海外視察など一度もやっていません。
たしかに、8年前、議員が公費でヨーロッパに旅行に行きましたが、あれは視察ではなく慰安目的の観光旅行です。
投稿: 杉山弘一 | 2010年9月28日 (火) 09:36
「片品のDNA? あの野郎、今度はそんなこと言ってるのか?」って声が聞こえてきそうですが(笑)。
私が片品のDNAと感じているもののひとつで、かなり闇が深いと見ているのはコンプレックスという奴です。日本語でコンプレックスといえば、劣等感を意味しますが、英語でいえば、superiority complex(優越感)とinferiority complex(劣等感)、誰にでも紙の表裏のようにある対照的な心理現象です。
これを絵に描いたように見せてくれた、そっくりなふたりが片品村前々教育長Sと、先頃「ダルタニャン」だの「ね」だの「うみ」だのの名前でこのブログを賑わした男Gです。親子ほどの年代の隔たりはありますが、ふたりとも片品で生まれ育っている。
Sは下小川の農家の末っ子に生まれ、自分の将来は自分で切り開くしかない、と二宮金次郎になろう、と決心して勉強した。ここまでは偉かった。この先はすでに詳しく( http://numata-city.kazelog.jp/numata/2009/09/post-6ae7.html )書いたので、ここでは割愛させていただきますが。
一方のGは沼田高校から東京理科大、同大学院へ進み、まちづくりを専攻。この頃、私はGと知り合ったのですが、まちづくりの事例をよく知り、知識が豊富なことは、本をよく読んでいるのだろう、と想像しました。主にメールのやりとりを通じて、Gとは片品村について語り合いました。行政に批判的な視点では、多くの点で意見が合った。私はGの豊富な知識に感心し、Gは私の洞察力を評価しました。やがてGは東大大学院博士課程へ進み、私は少なからず期待しました。
昨年8月、沼田市市民活動センターを巡ってこのブログが賑わったとき、Gはダルタニャンを名乗ってコメントを寄せて来ました。同センター不要論を唱える杉山さんと峯崎さんに対して、専門用語を書き連ね、(英語訳)までつけて反論した。結局は返り打ち( http://numata-city.kazelog.jp/numata/2010/09/post-564c.html )
に合いましたけれど。私には、このときのGに、知識をひけらかすことに終始したSが重なって見えました。
SとG、ふたりの優越意識と薄紙の表裏をなすようにある劣等感が透けて見え、ふたりが優越意識を見せれば見せるほど、劣等感の根の深さを感じました。“実るほど頭を垂れる”ことを知らないふたりに、自信の無さ、個の意識の薄さを感じました。知識をひけらかすことなどしなくとも、身に具わったものであれば、自ずと滲み出るものなのに、たかだか5000人の村で優越感を誇示して何がある?という思いでした。もっとも、外の世界にはあの程度はごろごろいることを知っての村だったのかもしれないけれど、都会へ出て何年暮らしても、DNAに擦り込まれた村社会の意識はなくならないんでしょうね。双葉より芳しかったかもしれないふたりも、所詮は三つ子の魂だった、ということでしょう。
このふたりのように、取り立てて優越感につながるほどのものを持たない人が、やたらと強がって見せるのを何度も耳目にして来ました。見栄や負けず嫌いとは違う、田舎者だと馬鹿にするな、とでも言うかのような剥き出しの劣等感です。単純なだけに、わかりやすい(笑)。典型は星野千里でしょう。ここは片品なんだから、ここのやり方に合わせろ、と外から移住して来た人たちを十把ひとからげにして、同じ理屈を押し付ける。それぞれの考えや生き方は一顧だにしない。2010年を生きている人が昭和前期の村社会に戻れるはずがないのに、光でネットにつながっている人がダイアルアップに戻れるはずがないのに、そのことを理解できない。要するに、頭が悪いんでしょうが、劣等感というDNAに、閉鎖性や排他性という了見の狭いDNAがセットのように絡み合っている、という私の見立てです。
そもそも、この闇深い劣等感、私は地域のハンディから来ていると見ています。生活の合理性に視点を置いた便利さだけを尺度に見ているから、地域のハンディはいつまでもハンディのまま、都会に対して僻んだ劣等感を持つ。峯崎さんの言うスピロヘータ論は、ここと切り離せないんじゃないでしょうか? 生活の合理性、その中でも金銭、損得に鼻の利く奴にスピロヘータは増殖しやすい。戦後長きにわたって続いた55年体制が、スピロヘータが増殖しやすい温床を育てた。そして、多くの矜持欠乏症、プライド欠損症を生み出した、と言えると思います。
劣等感と優越感は紙の表裏のように誰にでもある心理現象、を自分のこととして理解し受け入れることで、スピロヘータに対する免疫が育つ。金銭と豊かさが必ずしも一致しないことを知り、爪に火を灯すことにさえ楽しみを見つけられれば、その免疫力は磐石になる。ただ、この精神論を体現しにくいのが、DNAとスピロヘータが複合汚染のように蝕んだ、今という時代なんだと思いますが、いかがでしょうか、峯崎さん。
コメントが長くなったついでに、つけ加えますが、利根沼田の豊かな緑、きれいな空気、おいしい水、静かな環境は、首都圏がはるか昔に失ってしまい、もう取り戻せないものです。これは地域のハンディどころか、地域の大きな利点です。ヒートアイランド現象が東京の夏の夜を熱帯のそれに変え、ゲリラ豪雨が襲えば、瞬く間に道路を冠水させる。それらは、空き地と見れば鉄筋コンクリートのビルを建て、道路という道路をアスファルトで覆い尽くしてしまったツケです。地面から皮膚呼吸や水分吸収の能力を奪ったコンクリートやアスファルトは、言ってみれば地球のかさぶたです。
そんな東京はもういい、と私は片品へ引っ越して来た。おそらく首都圏からの移住者には共通した思いがある。豊かな自然に尺度を変えて片品を見れば、本屋さえないことは不便ですが、それさえ気にならない。なのになぜ、片品で生まれ育った人は地域のハンディに囚われるのか? それこそが、私が言う片品のDNAのせいなのでしょう。
投稿: 木暮溢世 | 2010年10月 4日 (月) 10:34
大変有益な示唆に富む木暮溢世さんのご意見ありがとうございます。全くおっしゃる通りなんです。私が最も拘るのは、沼田や片品で「特権」を持っている人々です。なぜこんな情けない野卑な連中がのし上がって来るのでしょう。星野巳喜男のような薄っぺらな偽善者。学歴コンプレックスのかたまりで、京大出のライバル金子浩隆が妬ましくてならず、自民党沼田支部長のポストをいまだに譲らない。安物のハンカチみたいなちゃちな男の正体がなぜ見抜けないのか。図書購入費を二千万も削って、尾瀬なでしこなどという無意味なNPOにほぼ同額の補助金を出す。そのカネがどんな使われ方をしているか実態を一度も覗いたこともない。星野巳喜男を頂点に、沼田の市会議員も恥を知らぬこそ泥みたいな奴ばかり。私の周囲にいる一般の市民は善良で親切な人間のよさを感じさせる人ばかりなのに。権力は必ず腐敗する、という英国人の言葉に付け加えたい。権力は必ず人を腐敗させる、と。
投稿: 峯崎淳 | 2010年10月 5日 (火) 07:04