ビートルズが教科書だった。
私の旧くからの友人に、日本武道館を10日間満員にする記録(82年)を打ち立てたバンドでベースを弾いていた男がいる。私がそのバンドのイメージプロデュースを手がけていたことが知り合うきっかけになったが、当初からその男が持つ不思議な魅力に興味を持った。さり気ないひと言に妙な説得力があった。
彼は大阪で高校を中退、近所の友達とビートルズのコピーバンドを組み、演奏しているところが業界の目にとまり上京、メジャーレーベルからデビューした。リクエストに応えられなかった場合、そのリクエストをした聴取者に賞金を出す、という企画のラジオの3時間の深夜生番組で見事に全曲クリアした。学校の教科書は読んだことがないけれど、ビートルズは擦り切れるほど聴いていたという。
彼とつき合ううち、その不思議な魅力、妙な説得力が彼の生活の知恵からきていることを知った。小さなことにも真正面から向き合う彼が、そうすることで実体験をそのまま生きる知恵に変えていたことを知った。「そやから言うたやろ」で、メンバーの侃々諤々のやりとりにたびたび終止符を打った。ひとりが東北大から早稲田の建築の大学院を、もうひとりが東工大の制御工学を出たオリジナルメンバーでリーダー格のふたりを「東大出も拓大出も、俺から見れば同じ大卒や」で苦笑させ黙らせた。
片品に引っ越して2年たった頃、村で生まれ育ったひとりの若者と知り合った。東京理科大大学院でまちづくりの研究をしている、という彼の豊富な知識に感心し、初めて接する異業種への興味もあり、主にメールでのやりとりが始まった。彼にとっても、上毛新聞オピニオンに書いた私の視点が、それまでの村にはなかったものとして興味があったらしい。やがて彼からのメールで、東大博士課程に進んだことを知り、少なからぬ期待をした。
私がこのブログに投稿を始めると、村に対しての刺激以上のものになる、と彼は支持した。私にすれば、おかしいことにおかしいと声を上げただけであったが、彼は、近代化から取り残された村人への教育になる、とさえ言った。研究者らしい分析とは思ったが、そこまで言うのはおこがましいと思った。
沼田市市民活動センター設立を巡ってこのブログが賑わったとき、彼は「ダルタニャン」の名でコメントを重ね、私へのメールで自説の正しさを主張した。自由な一市民でいることに価値を感じ、行政がその自由な活動に関わることに何の意義も感じていなかった私とは、まったく相容れなかった。私より遥かに豊富な知識で語る彼だったが、私には単なる専門用語を交えた知識のひけらかしにも聞こえた。
昨年秋、村長選が終わって彼から来たメールには両候補の得票数の彼なりの分析があり、このブログに書いた私の記事がもたらしたという数字までがあった。私には村長選のために書いてきたつもりはなかったから、その捉え方には異論があった。彼はあくまで自説の正しさを主張した。ひとときでも自らを顧みることはないのか、と思わせるほどだった。ダルタニャンの名で寄せて来たコメントの「それはあなたの価値判断でしょ?」がだぶった。そう言う彼の考えも彼の価値判断でしかないのに。そもそも、考え方は人それぞれで、その違いはそれぞれの価値判断の違いだというのに。
私は、いつまでも象牙の塔に籠っていないで社会で出ることを彼に勧めた。せっかく貯えた豊富な知識を社会で活かす知恵に変えてこそ価値がある、と考えての進言だったが、彼は人格を否定された、と捉えた。このメンタリティーに、私は驚き以上のものを感じた。都会へ出て10年たつというのに、彼の中に消えずに残る片品的なるもの、を想像した。いま日中間で問題になっている漁船衝突事件に対する中国の感情的反応をニュースで見るたび、彼のメンタリティーが思い浮かぶ。
尾瀬なでしこの会のホームページの中「まちづくり講座」に全員一丸となる不健全を書いている彼が、市民活動センターについて、反対するのはこのブログの峯崎氏、杉山氏と私の3人だけかもしれないのに、なぜそれを考えないのか、と書いて来た。私の投稿内容を、血と汗と涙の結晶とまで言った彼が、オンブズマンではないのだから、デザイナーの仕事をしていればいいのに、と書いて来た。このとき、自説と矛盾することに疑問を感じない彼の研究者としての資質を見限った。
「うみ」のコメントを見たとき、得体の知れないモノを思った。そのコメントが重なるにつれて、得体の知れなかったモノの輪郭が次第にはっきりしてきた。あのダルタニャンが「うみ」に重なった。イチャモンだ嫌がらせだと言われても止まないコメントに、その正体を確信した。同時に「まさか?」という直感が浮かんだ。思いがけない経緯で、「ね」が「うみ」と同一人物であることを知った。直感は当たっていた。
アトスさんが紹介してくれた「事務局長の憂鬱」を読んで、男としての資質に呆れ返ったし、こんな下種な人間性については馬鹿馬鹿しくて取り上げたくもない。
尾瀬なでしこの会は、その定款から「まちづくり支援」を削除すべきである。自説と矛盾することを言うことに疑問を感じない講師に「まちづくり」を語る資格はない。「まちづくり」は「箱づくり」ではない。「まち」を形成するのは、それぞれ違う考えを持つ人たちである。その人たちが共通して持つのが、人の尊厳である。「ね」は、自分の蒔いた種を刈り取る覚悟もないまま、そのコメントの末尾に(笑)をつけて、面白半分に私の名誉を毀損した。そんな、人の尊厳への意識が欠落した人物に「まちづくり」を語る資格はない。
社会は論文を書く素材としてあるわけではない。嘗めてかかれば、必ずしっぺ返しがある。知識は、その厳しい世界で生きる知恵に変えてこそ価値がある。それが教養というものだ。その知恵を活かして謙虚に生きることが知性のある生き方というものだ。
「ギター弾きながら人前で歌うのも、50過ぎるとちょっと恥ずかしいね」と言いながら、私の旧くからの友人は今日もどこかのステージに立って、あの笑顔で歌っているのだろう。彼を思い出すとき、必ず浮かぶ言葉がある。そのたびに、私はドキッとする。「そやから言うたやろ」。
この意味が、君にわかるか?(木暮溢世)
「市民活動センターについて、反対するのはこのブログの峯崎氏、杉山氏と私の3人だけかもしれない」ですか。あまりにも、現実を見ない見解としか言いようがありません。
閑古鳥が鳴いている市民活動センターの現状をみれば、推進するのは、行政に操られた良い子ちゃんと一部の利権者だけだった事は明らかでしょう。
これが市民活動センターの現実です。
http://www.city.numata.gunma.jp/numatanchi/index.html
「7月30日(金):コンテンツ追加。これから内容は充実させていきますのでしばらくおまちください。」
となっていますが、この時いったい何を追加したのか不明ですし、2ヶ月弱立った今何も変わっていません。情報発信基地になり得てません。
また、機材の利用状況に至っては、呆れ果てます。
http://www.city.numata.gunma.jp/numatanchi/hotnews/2010summer.html
機材の利用数は1ヶ月で、40回ほど、パソコン、印刷機、コピー機、プロジェクターなど10種の機材の合計で、1日2回の利用すらないのです。周辺のコンビニのコピー機の利用頻度の100分の1にも充たないでしょう。市税で納入業者を儲けさせただけです。
こうなることは、最初から予想されていました。4月13日に開かれた「ありそうでなかったよろず談義」をご覧下さい。
http://www.city.numata.gunma.jp/numatanchi/info/pdf/powerup.pdf
開設以前から係わっていた高経大の櫻井准教授がこう述べています。
「サポートセンターは、市民の皆さんに利用してもらって初めてその役割を果たすことができる。群馬県内でも利用者が少ないため、廃止しようという自治体も出てきている。」(6ページ)
設置以前からかかわっていた方が、設置直後の懇談会で廃止の動きを述べているのです。(無事設置できたのでつい本音が漏れたのでしょう。)
設置検討委員会(宮﨑嘉久委員長)は公費で県内各地に視察まで行っているのですから、こういう状況を知らなかったとすれば、怠慢以外の何ものでもありません。
また、櫻井準教授はこうも述べています。
「・ex)公立図書館の新たな展開
仕事に就くための就労の支援『ビジネス支援』や、健康や医療を含めた生活全般の『生活支援』などを行う図書館が各地に広がっている。
公民館や図書館のような施設も、従来の役割だけはなく、新たな視点から市民の暮らしや活動をサポートしていこうとしている。」(1ページ)
これは、昨年8月「市民活動支援センターについて考える(2)」の中で既存の公民館の見直しで十分としていた私の主張とも一致するものです。
http://numata-city.kazelog.jp/numata/2009/08/post-002d.html
沼田市の図書館は県内でも有数の利用率を誇っています。その図書館の図書購入費を大幅削減して、利用もされない市民活動センターに充てるなど愚の骨頂です。
ところで、このよろず談義の参加者から寄せたれた要望を見ると興味深いです。
インターネットでの情報発信に関する要望が圧倒的に多いのです。
しかし、これは「ないものねだり」です。市民活動センター「ぬまたん家」のスタッフにその能力がないことは、その低レベルのホームページを見れば明らかですから。
投稿: 杉山弘一 | 2010年9月24日 (金) 10:36