答がない。
本日7日(火)、片品村9月定例議会が始まった。一般質問に立ったのは4人。笠原耕作は、小中一貫教育の推進を上げ、進む少子化に対応する村の教育方針について。続いて星野千里は、第3次総合計画(平成18年度~27年度)の進捗状況を糾すが、前半5年が半年を残すいま、何ひとつ変わっていない村の状況を見れば、答も想像がつこうというもの。この質問にどれほどの意味があると考えているのか。そもそも、この女から「住んでよかった村、訪れてよかった村」などという耳障りのいい言葉を聞くと、本人が自らの外からの移住者に対する排他性、片品の枠でしかモノを考えられない閉鎖性に気がついていないことがよくわかる。次に質問に立った星野侃三は、高齢化が進む村の農業政策について聞き、最後に星野育雄が塗川橋の架け替えや2区の有害鳥獣対策など、4つの質問をした。
中でも興味を引いたのは、星野侃三の質問である。地域の農家から聞いてほしい、と頼まれたらしいが、つまりこれは、その農家の人にも村の農業政策が見えないから、ということだ。答弁に立った千明金造は、他の3名の質問への答弁と同じように、手元の書類にじっと目をやったまま、あの早口のだみ声で読み上げる。ときどき「元い!」と言って読み間違いを正すが、その「元い!」の多さは、通告に従って職員が書いた答弁書に初めて目を通しているのか、とさえ疑わせる。輸出とは無縁の村の農業に関する答弁に「円高」などという言葉は、まさに取ってつけた感は免れないし、休耕地、連作障害、大白大豆、農産物ブランド等々の言葉の羅列は、いかにもお座なりである。
そもそも、金造のこの答弁は、主に生産者側のスタンスに立っている内容であるが、それぞれの農家が何を栽培するかは各農家の判断である。少ない品種に特化して多量の収穫を目指すか、多品種を少量ずつ栽培するかも、それぞれの農家が携わる人員や規模を踏まえて考える問題で、行政があれこれ口を出す個所ではない。昼夜の寒暖差がおいしい農産物を作る点は、標高900メートルの高原に位置する片品村だからこそ恵まれた地域のメリットで、農作業に追われる各農家が村に求める農業政策は、自らは手がまわらない有害鳥獣対策以外に、最も求めるのが丹精込めて作ったおいしい農産物の販売促進対策であろうことは、農業の門外漢である私にも容易に想像はつく。しかし、この点については金造の答弁は一切触れていない。つまり、農家が何を求めているかを理解してしない金造は販路開発に関しては何も考えていない、従って何も策がないということだ。トップセールスという言葉は知っていても、実際どこでどう動けばいいのか、その知識も方法も知らないのだろう。
ひと通りの総花的答弁を聞いた後、星野侃三は要約した答を求めたが、金造は俄に困惑の表情を浮かべ、予め通告に盛り込むように何度も言った。普段から考えていることであれば、それをかいつまんで答えることに何も困ることはなかろう。要するに、観光と農業が村の産業の柱であると言いながら、金造には確たる考えも施策もない、ということだ。農業政策について聞くという通告があったにもかかわらず、金造の知能では農家が何を求めているかも理解できなかったわけだ。しかも、昨年の6月定例会から一般質問が、ひとり制限時間40分の一問一答式に変わったことに対する認識もできていない。
夜9時半近くになって、星野侃三の議会報告のブログには「うまく答が引き出せない。」というタイトルで、一般質問のこのやりとりについての簡単な報告が載った。しかし、うまく答が引き出せなかったのではなく、もともと金造には答がないのだ。内にないものは逆立ちしたって出てはこない。こんな男を村長に選んだツケだと思って、農家の人は諦めた方がいい。(木暮溢世)
「農家の人は諦めた方がいい」って、私が畑をやっていないからって、それは無責任だろ、とある農家の人からお叱りをいただいた。言葉が足りなかったか、とちょっと反省した。つまり、農家の人は“金造に期待するのは”諦めた方がいい、という意味だ。何せ、村の農業政策など考えていない金造には、片品の農業の将来に向けての確たる方針もなく、外にアピールする方法も手段も知らないのだから、期待しても無駄、というものだ。合併したJA利根沼田に頼るか、尾瀬市場にお願いするか、ネットで産直に力を入れるか、新たな市場を開拓するか、とにかく自分で努力するしかないのだ、と思う。
これまた無責任のようだけど、観光についても“金造に期待するのは”諦めた方がいい。何せ、観光大使に村の宣伝を頼っている金造なのだ。大使が何人いるか知らないが、知名度のあるのはあの美容関係の人ぐらいで、一般人にどれほどのアピール効果があると考えているのか。私がある観光大使から直接聞いた言葉、内緒だけど。彼曰く「行きがかり上で引き受けたけど、取り立ててどうこうすることもないし…」。そもそも観光大使って、お飾りではあっても、より多くの人にアピールする有名人のオピニオンリーダー的影響力に期待してのものだろう。一時期の小泉今日子とか、今で言えば嵐とか。
“村に生きる。村を活かす。”いいキャッチフレーズを思いついた、と金造は思っているだろう。片品で生きることしか知らない金造にも言葉が足りない。村を“村長の椅子の座り心地を長く楽しむため、テメエの腹を肥やすため”活かす。金造を見ていると、私には、これが奴の本音としか思えない。
投稿: 木暮溢世 | 2010年9月13日 (月) 07:48