沼田市民の精神発達段階
アメリカの精神科医で『平気で嘘をつく人々』など著書の邦訳もあるスコット・ペックは、精神の発達段階を四つに分類している。一番低い段階の人とは、他人を愛することができず、愛している振りをする人たちである。子どもと、大人の五人に一人ぐらいがこの段階にある、とペックは言う。この人たちは、他者との関わり方を、人を仕切り、人を利用することは知っているが、他者のことなど本当は少しも気にかけていない。ペックはこの段階の精神の発達程度を「混乱」と呼ぶ。この人たちには原理原則というものがなく、行動は行き当たりばったりのため、社会的困難に陥り、最後は刑務所に収容されてしまう場合も多い。しかし、中には、野心家で支配的能力に優れ、社長や理事長になったり、有力な説教師になるなど人の上に立つ人もいる。この無原則の利己主義者は、時に自分自身のいい加減さに直面することが稀にあり、自分で自分を変えることができず、自殺するケースもある。
第二の発達段階にある人は、超越的な神仏の存在を信じている。教会や寺院に行き、いろいろな儀式に出ることが神仏を信仰することだと思い込んでいる。時に、第一段階の人が、何かのきっかけで、突然この段階に成長することがある。その飛躍は突然起き、劇的である。
この第二の発達段階の人の特徴は、彼らが強く形式に拘ることである。長老教会がかつて祈祷の文句をラテン語から英語に換えたことがあったが、このときの混乱はひどかった。熱心な信者ほど抵抗したからである。段階二の人に共通の特徴は、神は、外なる、超越した存在で、いわば天国にみそなわす大きなおまわりさんのようなものだと思っていることである。彼らは、自分の行動を律するのに規則に喧しい宗教が必要なのだ。
第三の段階は、無神論者、不可知論者、懐疑家である。超越的神の存在を信じることを拒否し、理性の力や科学的知識を信じる傾向がある。
第四の段階は、人間には魂の救いが必要だと直感している神秘家である。この人々は神を内なるものと考えていて、森羅万象に神の存在を感じ取る。たとえば、水だけが、零度で凍るけれど、比重が最も重くなるのは四度のときである、という物理的性質に神の存在を直感する。もし水が氷点で比重が最も重くなれば、氷の下に棲む生物はみな押しつぶされてしまう。水だけ他の液体と物理的性質が異なるのは、神のおはからいである、とこの人々は考える。
第四の段階こそ人間の出発点だというのが、ペックの主張である。
高齢老人の行方不明者が続出し、これは日本の社会の崩壊の兆しではないか、という意見が出されている。日本は小泉改革以来段階一の人々が幅を効かす社会になった。しかし、段階一の人々はどんなに成功しても、誰も決して幸福になれない。
幸い、沼田は老人の行方不明が続発している状況ではなさそうだ。地域社会が機能しているうちに、精神の発達に心がけ、人が互いに愛しあう社会を目指すべきではないか。手遅れにならないうちに、隣人を思いやる地域社会を大切にすべきである。それが、保守主義の真に目指すものである。沼田の市長や議員たちの精神の発達程度がほとんど第一段階でとどまっていることを思うと、嫌がられることを承知で、あえてスコット・ペックの分析を紹介してみた。(沼田の保守主義者)
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