2010年08月10日
'88さいたま博覧会 リムトレン(日本モノレール協会)、HSST(エイチ・エス・エス・ティ開発)
左の図は後述の記念はがきの写真を(完全ではないですが)平面に近づけ、二つの会場内鉄道の路線図を示したものです。リムトレン、HSSTともに駅が一箇所設置されており、往復乗車による公開運転が行われていました。
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【日本モノレール協会 リムトレン】
リムトレンは社団法人日本モノレール協会が開発した鉄輪式リニアモーター式鉄道(集電は第三軌条方式)の愛称で、'88さいたま博覧会会場内に設けられた延長850mの『'88さいたま博覧会リニアモータ新交通実用実験線』にて実験走行を行いました。実験線には半径30mの曲線やロングレール、60‰の勾配、高架橋も設置され、会期前後に車両の走行性能、車両・地盤・高架橋の振動測定など各種実験を行っています。
日本モノレール協会の実験と同時期に、社団法人日本地下鉄協会でも大阪に60‰勾配・半径50mの曲線を備えた延長1,850mの大阪南港実験線を設置し、鉄輪式リニアモーター式鉄道(集電は架線集電方式)の実験を行っていました。後に日本国内に普及するリニアメトロは、終電方式をはじめ、各種技術については日本地下鉄協会のものを発展させたものです。
そうなると日本モノレール協会がリムトレンの実験を行っていた目的が一体何だったのか疑問に思えてきましたが、大きな違いは導入箇所がモノレールと同じく街路上にあることを前提としているため、日本地下鉄協会の実験よりも厳しい基準である急曲線への対応と騒音対策でした。昭和50年代以降からは街路上への交通機関として新交通システム(ゴムタイヤで走行するAGTと呼ばれるもの)が中心に導入されてきました。しかし、AGTではゴムタイヤを使用することによって分岐部の集電構造が複雑化することなどから建設費が高額で、建設後の保守費も高額となります。リムトレンでは鉄輪式を採用するためゴムタイヤ式より低コストとなり、更に同協会では車両の低床化によってホームが低くなるメリットも打ち出しています。これらの要因によってAGT(横浜新交通金沢シーサイドライン)と同条件における建設費の比較では19%も低廉になるそうです(1988年『モノレールNo.63』P.47)。
日本モノレール協会では複数の自治体からの委託によりリムトレン導入に関する調査を行っていました。特にさいたま博覧会と同時期には埼玉県の大宮市、浦和市(当時)の周辺に具体的な導入計画がありました。現在でもLRT導入を唱える団体が見られるのは、その名残かも知れません。これらの調査対象となった区間で実際に開業したものに『ゆりかもめ』がありますが、AGTが採用されており、残念ながらリムトレンではありません。ゆりかもめでは平成18年4月14日には船の科学館駅付近でホイールハブ破断によるタイヤ脱落事故が発生しており、今までの日本国内におけるAGTの歴史の中で重大な事故となりました。原因は、ホイールハブの長期使用による金属疲労と材質不良となっていますが、実際には事業者が見込んでいた修繕の周期より早く交換する必要が出てきてしまったという事でしょう。ゆりかもめの利用者がAGTとしては非常に多く、部品の劣化を早めたとも考えられます。復旧に3日も要しているのは今までに類を見ない事故である事以外に、AGTの複雑な構造から事故車の搬出に時間がかかった事も原因でしょう。AGTの様々なデメリットを露呈するものでした。仮にリムトレンが導入されていれば、都営大江戸線との直通の可能性が高まり、利便性、安全性がAGTを上回っていたかも知れません。
《三橋中央通線》
写真は大宮市内の国交省空中写真(平成元年度)に三橋中央通線の計画線を水色の線で書き足したものです。水判土駅から少し西に向かったところより、将来的には埼玉大学・浦和駅方面(南側)と指扇・上尾市方面(北側)に分岐、延伸する計画となっていました。
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【エイチ・エス・エス・ティ開発 HSST-04】
日本航空からHSST開発部門を分離し設立されたエイチ・エス・エス・ティ開発株式会社が公開運転していたHSST。鉄道事業に基づかないものの、一般人が普通に乗車できたHSSTとしては昭和60年の科学万博などに使用されたHSST-03に次いで二番目。路線が高架線で、曲線部がある点が科学万博の路線と異なります。山崎製パンがオフィシャルスポンサーとなっていました。なお、これの次に横浜博覧会で登場したHSST-05が初めて鉄道事業に基づいて運行されました。
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【'88さいたま博覧会記念はがき(一部)】
【モノレール誌(No.65)】