なぜ沼田は変われないのか?(その2)
三月十日のブログの表題である。なぜか合計二十二というたくさんのコメントが寄せられた。関心の高さの反映と見ていいだろう。みんなが沼田が変わることを期待している。しかし、変わる気配はない。なぜだ? 皆が苛立っている。こんな沼田でいいと思っている人は少ない。
なぜ沼田は変われないのか。 このひと月足らずの間に私が気づいたことがある。沼田が変われないのは、この町には公平、もっとわかりやすく言えば、フェア・プレイの精神が薄いためではないか、ということである。とりわけ、”上に立つ”立場の人々に、正義を尊重する心がない。
例えば、私は特に名を挙げて議長の布施辰二郎が市会議員の立場を利用して、採用試験で優秀な成績を納めた志願者を退け、はるかに成績の悪かった志願者を採用させた、ことを指摘した。それなのに、今に到るも、布施からは何の申し開きもないし、抗議もない。まして、責任を取って議員を辞職する気配もない。相変わらず市議会議長として、公用車に乗っている。
布施には、上に立つものはその活動においてフェア・プレイの精神を持たねばならぬことが理解できないらしい。
私は布施辰二郎に個人的には何の恨みもない。むしろ逆境を克服して功なり名遂げたその努力の人生を尊敬し、一票を布施に投じたほどである。しかし、沼田が変われない理由の第一が、上の者が平気で法を捻じ曲げ、横車を通す一方、下の者が気づいていても、声ひとつ挙げない沼田の体質にあるのではないか、と疑われてならない。
このような例は、見聞の狭い私のような者でも、まだ他にもあることを知っている。
沼田市民はいつになったら、「強いものには巻かれろ」のメンタリティーから脱皮できるのだろうか? (峯崎淳)
元議長が、NOSAI( http://www.oze.or.jp/~nosai/ )
に横やりを入れて自分の娘を採用させたというもっぱらの噂です。
投稿: ポチ | 2010年4月 6日 (火) 20:55
先だって、こんな話を聞きました。昭和村では、村のお金を使い込んだ職員がいまだに役場に勤めているという話。水上町でも、何年か前新聞にも掲載されましたが、職員が1000万円の税金をどこかへやってしましたが、役場も議会もこの職員を解雇せず、いまだに水上町職員として働いているということ。私の耳に入るくらいだから、多くの住民が知っていることなのでしょうが、このようなことが通ってしまう。
布施議員は、おそらく自分より悪いことをしているものが、他にまだたくさんいるくらいの気持なのでしょうね。利根沼田地域は、こんなことが日常的に行われているのだろうかと思いました。
沼田市民
投稿: 沼田市民 | 2010年4月 8日 (木) 22:19
ルールがある以上守るべきです。特に上に立つ指導者はルールを破ったら、破ったことの責任を取らなければなりません。布施辰二郎は指導者の地位を満喫しながらルールを破りました。布施の言い分は「みんながやっているのに、何でおればかりこんな言われようをしなければならないのか」だと聞きました。それは布施が選挙で選ばれたエリートだからです。こんな自明のことがわからないようでは、即刻エリートの地位を退くべきです。顔を洗って一から出直すべきです。
これから市長選挙があります。市民が市長の懐刀にエリートの心得を説き聞かせなければならない沼田の現実こそまことに憂慮すべきではないでしょうか?
投稿: 峯崎淳 | 2010年4月 9日 (金) 19:02
投稿者 ぼち | 2010 年4月 9日 (金) 12:37のコメントは10/01/12付 山羊氏のコメント(以下)とまったく同じ内容なので盗作と見なして削除しました。
http://numata-city.kazelog.jp/numata/2010/01/post-b4d2.html#comment-31854801
投稿: 管理人 | 2010年4月10日 (土) 07:23
ぽちさんのコメント(削除されちゃったけど、管理人さん、ひとこと言いたいので、いいですか)、どっかで見たと思ったら、2010年1月7日(木)「給食費値上げの真相2 」(http://numata-city.kazelog.jp/numata/2010/01/post-b4d2.html)
に寄せられた山羊さんのコメントと同じじゃん。一言一句、ご丁寧に誤字まで同じって、どういうこと? パクった? 偶然て言うつもり? それとも、ぽちって名前の山羊? 同一人物っていうか同一家畜?
まっ、そんなこたーどーでもいいけど、内容の違う記事に同じコメントって、あんた、なーんも考えてないの? いい加減バカはやめてよ。一応、山羊さんのコメントには、杉山氏、木暮氏、おかめ八目氏がコメント返しているんだから、ぽちだか山羊だか知らないけど、それを読んで、少しは勉強してよ。
「大人ではないですね」って、あんたのことだろ。あんたみたいな○○がいるから、沼田は変われないんだよ。
投稿: 沼田太一 | 2010年4月10日 (土) 22:45
片品に引っ越して(03年5月)間もない頃、沼田市議を複数期務めたある人から、沼田の住民と行政と議会の力関係は三すくみである、と聞いた。つまり、議員を選べる点で住民は議会に強く、行政をチェックする点で議会は行政に強く、市政を運営する点で行政は住民に強い、というわけだ。しかし、これは理屈として間違っている。もちろん、かの元市議は、この間違った理屈がまかり通っているのが沼田市の現実だ、と言いたかったのだろうが。
民主主義とは、文字どおり、住民が主(あるじ)である、とする考え方である。戦後60年が経って、これに異を唱える者はいない、と思っていたが、片品に移住して見たものは、戦前の考え方、感覚から一歩も近代化が進んでいない現実だった。片品村役場は自ら、県を金正日と崇める喜び組に甘んじ、そんな役場を「金をくれるから」という理由で、村民はお上と仰ぐ。村民が卑屈に下々に甘んじているから、役場は、建前では否定するが、お上意識に胡座をかく。4年に1度、村が真っ二つに割れて盛り上がるのは、相変わらず甘い汁を吸いたい側の半分と、溜った鬱憤を晴らしたい側の半分が、次の甘い汁を賭けてエゴ丸出しで戦う構図だ。そこに地縁血縁が幅を利かせている限り、民主主義とは、程遠い。
沼田市は、現状容認派と何とかしたい派が7対3と聞いたことがある。議会の3分の2を占める多数派も7の側らしい。つまり、議会に行政をチェックする機能は期待できない、というわけだ。市役所にもお上意識が満載らしい。要するに、ひとり割を食うのが市民ということになる。にもかかわらずの7。「目を覚ませ。立ち上がれ」とエールを送りたいが、夕張化がそこまで来ているのに7では、暖簾に腕押し、糠に釘、ということだろう。3の側の折角の権利も、選択肢が名乗りを上げないのでは、宝の持ち腐れだ。
21世紀も、最初の10年が過ぎようとするいま、議員を選ぶのも、行政を監視しモノ申すのも、その行政の長を選ぶのも、住民に保証された権利である。つまり、いまは住民が主なのだ。行政がお上で、住民が下々という構図は、すでに65年前の終戦で終っている。日本は、本来は勝ち取るはずの民主主義を与えられ、利根沼田は民主主義の意味を理解しないまま、その幸運に頬杖をついている脇を時代が通り過ぎてしまったらしい。このお上、下々の意識が残っている限り、利根沼田は変われないだろう。
もっと単純に考えても、沼田市の7の現状容認派は、沼田には変わって欲しくないのだろう。変わった姿をイメージできないのだろう。まさか、GB21が沼田市の巨大な墓石となることを、想像すらできないのだろう。
投稿: 木暮溢世 | 2010年4月13日 (火) 07:52