教育を、真剣に、考えろ。
30日、片品村文化センターで行われた、DVD『片品村の暮らしと伝統文化』上映会が始まる前、ほんの短い時間ではあったが、ロビーで教育長の飯塚欣彦と、無駄を、無駄と理解できない知能。の6つ目のコメントに書いたやりとりをした。真剣に話している私に対して、ニヤニヤして応える彼に「失礼だろう」と言うと、彼は気色ばみ、私が彼に取材もせず、このブログに書いたことに、逆に、失礼だと、誹謗中傷だと応酬してきた。
誹謗中傷とは、事実に反する悪口を言って、人の名誉を傷つけることである。須藤澄夫に退職金を返還させよ。に書いた、昨年6月の定例議会での萩原一志元村議の質問に嘘の答弁をしたことは事実であるし、こそこそするな。堂々とやれ。に書いた、彼が片品村に教育長として来たいきさつは、私の見方と断って書いたものである。組織については、社会に出てからこれまで、内と外からずっといろいろな組織を見てきた経験則が根拠になっているが、その洞察には私なりに自信は持っている。人物観についても同様である。それを元に、誰でもが読むことのできるブログに、匿名で逃れることはせず、実名で書いている。ただ、それが必ずしも100パーセント正しいとは限らないことは承知している。間違っていることがあれば、訂正し、素直に謝罪する意志はあるのだから、異論反論はコメントで寄せてくればいい。それが、ネット社会の一般的なルールだが、それを彼は拒否した。これでは、私の書いたもののどこが事実に反し、彼の名誉を傷つけている、と言いたいのかがわからない。よほど底が割れるのを公にしたくないのだろう、と私は見たが、この見方にも反論があるなら、それをコメントにして、実名で投稿してくれ。
そもそも、飯塚欣彦というこの男、私が片品に引っ越した翌年、上毛新聞のオピニオンに「県職員の見識を疑った」と書いた、その職員である。 教育長として赴任してきた2年前の尾瀬の山開きでの初対面で、「県職員の見識を疑った、と書いたのが私です。疑われたのがあなたで、そのあなたが、なぜ教育長なのか、私には理解できない。就任の挨拶で、付け入るようにきれいごとを言えば、村のみんなを騙せると思っているかもしれないが、私は騙されないから、あなたのやることは監視してゆくから、そのつもりで」と挨拶した。初対面で、こんな乱暴な挨拶をする私も私だが(笑)、それが彼に対する正直な見方であった。
その彼が、10年度から、県に戻ることになった。生活文化部少子化対策・青少年課長だそうだ。とりあえず、「栄転おめでとう」とでも、言っておこうか。聞けば、前教育長が残した任期1年の後任としての片品村赴任は県の辞令だったらしい。昨年、片品村議会の承認も受け、新たな4年の継続が決まったにもかかわらず、1年で県に戻るのも県の辞令だという。つまり、県から見た片品村教育長のポジションは、その程度ということだろう。片品村はふたり続けて腰かけの教育長が務め、ふたりともが任期も全うせず、しかも、ふたり目は県からの出向だった、というわけだ。片品村もずいぶん虚仮にされたものだと思う。要するに、自主自立だ、片品は人材に恵まれている、とたびたび口にする千明金造にして、その人事能力は、この程度ということだ。
新年度からは、これまで総務課長を務めていた星野準一が、3月議会での教育委員会配属が認められ、新たに教育長として任命される。真面目だけが取り柄と言われている彼の教育長就任については、教育に関してはまったくの素人ということを危惧する声も聞く。行政の他の部署と違い、政治的中立性が求められる教育部門で、どこまでのことができるのか、厳しく監視してゆく必要がある。
それにしても、いちばん気の毒なのは、大人たちの思惑に振り回され、人間形成に最も大切な教育で、確たる理念も方針も怪しい教育行政の犠牲になっている片品の小中学生だろう。(木暮溢世)
教育長とやり取りをした6つめのコメントとは、DVDの上映会のことですよね。
教育長は、800人の会場に27人しか集まらなかった原因は「告知が行き渡っていなかった」からと考えているとのことですね。次回からは、全戸配布したDVDの冒頭に上映会の案内画像を入れておくと良いですね。DVD を見た方には告知されます。
え!DVDを見ることが出来ない方のための上映会!
冗談はさておき、教育長は特別職です。村政に関して2番目か3番目に権力を有している方です。その公務に関して村民から批判を受けるのは当然のことでしょう。そういう立場になったという意識がないまま平然と権力を行使し、安易に批判を封じ込めようとする発言をすることが、何よりも危険です。
これでは、片品の小中学校に通う子供を持っている方は、教育行政に意見など出来ませんから。
投稿: 杉山弘一 | 2010年4月 1日 (木) 08:48
「教育長とのやりとりをした6つめのコメントとは、DVDの上映会のことですよね。」
その通りです。私は、村が資料として、冊子とDVD『片品村の暮らしと伝統文化』を作り、村民の閲覧希望に応えられるように、数部用意しておくことには、反対ではありません。DVD再生機を持たない人たちのために上映会を開くことにも意味はある。ただ、私が無駄だと言うのは、全戸配布です。
飯塚前教育長は、全戸配布の目的をいくつか並べました。そのすべては、私に言わせれば、この事業にかかる費用を国から引き出すための、尤もらしい理由付けです。いかにも県職員らしく、行政にまつわるここらの術は熟知している。まんまと、文化庁から1000万円弱を引き出してきた。全戸配布は、彼が片品村教育長としての実績をアピールするための材料だった、と私は見ています。
飯塚!反論があるなら、実名でコメントを投稿して来い!いつでも受けて立つぞ。
彼には、尾瀬文学賞でも自らの実績をアピールしようとしていた節があります。この事業も、その主旨は否定しませんが、運営の仕方に幾多の疑問がある。昨年6月定例会(16日)の議事録、
http://www.vill.katashina.gunma.jp/soshiki/gikai/gikai-kaigiroku/kaigiroku/h21-5t-2.pdf
萩原一志元村議からの緊急質問を巡るやりとりを見れば、それは歴然です。千明金造が議会で嘘の答弁をしたことさえうかがわせます。
私は、人口わずか5300の小さな村といえど、その将来を担う子供たちの教育を真剣に考えるなら、教育長の役割は非常に大きいはず。飯塚は実績アピールに現を抜かしていたし、その前の教育長は2回の演劇をやって遊んでいた。教育長が、そんなことやって遊んでいる暇はないだろう、ということです。
いちばん問題だと思うのは、飯塚が上映会の挨拶で言った「愛国心につなげたい」です。右翼が街宣車で「右!」をがなりたてるのと、権力を有する立場の人間が「愛国心」を語るのでは、危険度が違います。リベラルでもコンサバでも、考え方は人それぞれです。ただ、どちらにしろ、一人ひとりが育ってゆく課程で、自然に身につく考え方の範囲でいい。思想信条の自由というのは、そういうことです。
投稿: 木暮溢世 | 2010年4月 2日 (金) 07:02