うまくやろうよ。
去る4日(木)、おそらく動員がかかったのであろうが、金造支持者を傍聴席いっぱいに集めて、授業参観のような空気の中で始まった09年度3月定例議会が、8項目の09年度補正予算と、同じく8項目の10年度予算を可決して、9日間にわたる日程を終え、12日(金)閉会した。
週が明けて16日(火)、長かった金造の正月休みも終えたらしく、村のホームページの『村長の部屋』の「新年明けまして・・・」の挨拶がようやく更新された。だらだらと予算の数字が並び、付け足しのような県内の話題には、中之条町と六合村の合併を、六合村と長野原町の合併と、首長としては単なる勘違いとは考えられないような間違いをし、特別職三役の報酬を削減しないことを、他の町村の例を引き、言い訳のように書いている。村の内外を問わず、誰にでもオープンなホームページに、広報に載せれば済むような村民向けの話題を書くことが、この媒体への無知と、この男の頭の中には金のことしかないことを表している。最後には、NHKの大河ドラマから引いた「一方聞いて沙汰するな」という言葉を、自らの戒めにする、とも書いているが、これは、聞く耳を持たない金造の、やっていることとは裏腹のきれいごとでしかない。おそらく、きれいごとという認識すらないのだろうが。
議会最終日の傍聴を終えて出て来ると、引っ越して早い時期に知り合った中堅職員と出会った。久しぶりの立ち話で、彼が言ったのは「うまくやろうよ」。私が役場に対して情報開示の請求をし、納得できないことに異議を申し立て、「市民の目!沼田」に行政批判を書いていることを知った上での「うまくやろう」である。私とて、望んで行政を批判しているわけではない。できれば「うまく」やりたいのである。ただ、彼の言う「うまく」と私の「うまく」には、大きな隔たりがある。要するに、彼の言う「うまく」は、臭いものには蓋をして、何事もことなかれ主義に立った、単刀直入に言えば、住民は行政に文句は言うな、ということであり、私が言う「うまく」は、役場が理に叶ったことをやっていれば、簡単に叶うのだ。情報開示の請求で明らかになった違法の数々を、決して認めようとせず、辻褄を合わせるために、ごまかしにごまかしを重ね、ごまかしきれなくなっても、まだ非を認めようとせず、私の感受性のせいだ、と言う奴が現れ、ついには「うまくやろう」と来た。つまり、村に聞く耳はなく、もちろん自らを顧みる気もさらさらないのだ。
立ち話をした中堅職員は、ついには「デザイナーなんだから、デザインの仕事をしていれば」と言った。実は、これとまったく同じ台詞を、某国立大学の研究室でまちづくりを専門に研究している学生も口にした。片品で生まれ育ち、日本で最高レベルの学府に進んだ彼の豊富な知識に感心し、主にメールでやりとりをしてきたが、沼田市市民活動センターの存在理由で意見が割れ、昨年の村長選に絡んだ議論で意見がぶつかったのをきっかけに、一時は、私が上毛新聞オピニオンに書いたコラムを、村の人には書けない視点と認め、洞察力を讃え、このブログに書いてきた行政批判を、血と汗の結晶の事実追求とまで言っていた彼が、ついには「木暮さんの職責はデザイナーだったはず…」と、私の行政批判に反対する、自説と矛盾することを口にしたところで、私は彼の資質を見限った。いみじくも研究者たる者が、関わっているNPOが沼田市から委託金を受け取っているとはいえ、星野巳喜雄の理不尽を前にして、てめえの損得を優先するのか、と呆れた。
3月定例会が開かれている11日、星野侃三議員の議会報告のブログの中に面白い話を見つけた。区長との懇談会の席で、議会だよりについて、行政と議会がうまくいっていない印象を与えるのでは、という意見が出たという。こんな男に、いつまで、やらせるのか。に書いたことを指しているらしいが、議会というものをまったく理解していない意見である。議会には、提案、提言以外に、大きな機能として、行政をチェックする役割がある。行政の言うこと、やることがすべて正しいなら、議会はいらない。すべての案件は、最後に議会が了として執行されるのだ。8つの行政区のそれぞれの区長は、所詮は持ち回りで選ばれるのだから、中にはこんなバカな意見を言う輩のいるだろうことは想像できるが、言ったのは8区の区長、佐藤八郎、むらづくり観光課の課長である。中学生や高校生でもわかりそうなことを、三流とはいえ大学まで出た奴が、何を勉強してきたのか、と呆れるしかない。こんなバカが、片品村では課長職に就いている。任命した金造も、このバカのどこを見て評価したのか。
「うまくやろうよ」。つまり、住民は行政にモノ申さず、議会は執行側に反対せず、ということでは、行政の独裁につながりかねない。隣の沼田市の議会を見れば、5分の3を占める多数派が市長寄りという。議会では、多数派のほとんどが一般質問もせず、ただ座っているだけらしい。採決になれば、市長側に「賛成」するのだろう。だから、市長のやりたい放題がまかり通る。この期に及んで、つまり、夕張化一歩手前にあるというのに、星野巳喜雄は、市のことも、もちろん市民のことも考えず、てめえの選挙対策としか考えられないことを平気でやる。それでも、座っているだけの議員、市役所の良いところを見よう、と言うバカな市民に囲まれて、星野巳喜雄の私腹だけが「うまく」肥えていくのだ。そうしてこれまで「うまく」やってきた結果が、夕張化一歩手前の沼田市の現状になっている。この先、財政が破綻せず4年間維持できる、という確たる保証もないのに、それでも「うまく」やりたい市民は、星野巳喜雄の胡散臭さに気がついていないらしい。
これは片品村にとって、対岸の火事ではない、他山の石として見なければならない、「うまく」やることがどういう結果につながるかを見る、身近な具体例なのだ。(木暮溢世)
「沼田市市民活動センターの存在理由で意見が割れ」たとのことですが、この論争もそろそろ終わりでしょう。
センターが開設して約3ヶ月、存在理由がはっきりしてきたからです。
市民が段ボール製のよろいを作り、市長を「殿」とあがめるようになることでしょう。
http://www.raijin.com/news/a/23/news04.htm
投稿: 杉山弘一 | 2010年3月25日 (木) 08:51
この記事で指摘した、中之条町と六合村の合併を、六合村と長野原町の合併とした間違いが、挨拶を更新した1週間後の24日、訂正された。この記事がきっかけになったかどうかは、知らない。
実は、平成の大合併が一段落した今になってのこの合併には、見過ごすにはもったいない裏話がある。当初進めた長野原町との合併話が物別れに終り、昨年当選したばかりの六合村の山本村長は、そのままでも任期4年間は自立してゆくのも可能だったのだが、少子高齢化、過疎化が進む村の将来を思い、まだ体力のあるうちに、村の方向性を決めることが最良と判断、合併の形態にはこだわらないという条件で、昨年6月、中之条町に合併を申し入れた。一方、中之条町の入内島町長は、国が進める合併による効率化には、諸事情で多くの疑問を持っていたが、同じ吾妻の仲間として他人事ではない、中之条町の「義」が試されているとして、受け入れることにした。その経過は、逐一ブログによって町民に報告し、合併特例債が有効な今年度中に、ということで、28日、新しい中之条町が誕生することになった。
さて、利根沼田である。千明金造には、自らと自分に与する勢力の利益を後回しにしてでも、村全体の将来にとっての最良を慮る意識があるか。他の町村の例を、特別職三役の報酬を削減しない理由に利用するより、山本村長の考えに学ぶべき点があるのではないか。星野巳喜雄は、どうだ。私腹を肥やすこと以外に、意識は働いているか。選挙のときだけ、市民にぺこぺこして、後は傲慢に見下してはいないか。
吾妻のふたりとは、人間の出来が違う、と言ってしまえば、その通りなのだが、品格も資質も欠落した、こんな奴らを首長に選んだ片品にしても沼田にしても、住民の出来も違うから、と言われたら、悔しくないか。
投稿: 木暮溢世 | 2010年3月25日 (木) 08:53
杉山さん、私もあの記事は見ました。さすが、市民活動センター、チーフアドバイザーの鈴木章夫さんだけのことはある。鎧兜、「うまく」できていますよね。最高学府の研究者、小さく生んで大きく育てる、と言っていましたから、そのうち、「バカ殿」が前後に家来従えて、大名行列ができるだけの鎧兜が揃うことでしょう。
投稿: 木暮溢世 | 2010年3月26日 (金) 07:05