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2010年3月15日 (月)

「市民の目・沼田」と偽市民派たちとの大きな違い

 沼田にもかつて市民の憤慨が大きな盛り上がりを見せた時代があった。そのとき表に出て活躍したのが市民派の仮面を付けた人々である。沼田の星とまで言われた沼田初の女市議が当時の運動の象徴的存在だった。特養老人ホームの悪辣な詐欺事件を告発、沼田の土建屋が景気回復の切り札として打ち出したエレベータ建設に反対した。

 そこに結集した市民たちの主張は当時のリベラル派、進歩派と言ってもいいし、穏健左翼と称してもそう遠くはずれることはないものだった。自民党が馬鹿の一つ覚えで繰り返してきた公共事業と談合という繁栄の構図と一線を画する新しさがあったように見えた。この市民たちが担ぎだしたのが星野巳喜雄だった。信じ難いことだが、星野はリベラルに理解のあるかのごとき言辞を弄していたのだ。

 しかし、市民運動の頂点に座った「沼田の星」を初め、布施議員、星野巳喜雄、こいつらはみんな偽者だった。その主張を磨く知性も理性もない、その場限りのお調子者にすぎなかった。沼田の星は、頑迷固陋な保守派の犠牲になったかのごとく自らを演出し、主義も主張もないただの酔っ払いにすぎない亭主に市議の席を譲った。この酔っ払いは情報公開に反対し、談合勢力のお先棒を担ぎと、沼田の進歩の足を引っ張ることだけをやっている。良心派の布施は、いつの間にか巳喜雄の忠犬ハチ公となり、市会議長として偉いさん気取り、てめえのコネなるものを使って市民に害をなしている。反省のかけらすらない。

 こいつらはそろいもそろって偽者だった。変革を期待する市民は見事にペテンにかけられたのだ。

 「市民の目・沼田」に集う面々は、少なくとも偽者ではない。それぞれ、全国区で仕事をしてきた経験を持ち、沼田の状況を外と内から客観的に分析できる。専門は違うけれど、それぞれの分野で名の通った人たちである。日本国憲法にある国民の権利、住みたいところに住める権利によりたまたま空気と水がダントツに優れたこの地に来てみたら、あまりにも政治が遅れていて、一般市民が蔑ろにされ、無知な阿呆の政治家が威張って悪政を行っていることに気づき、それを指摘することにしただけにすぎない。われわれはこのブログを完全に自前でやっている。民主主義だから、意見のある人は誰でも、主張をここに発表できる。

 われわれをアカ呼ばわりした沼田の旦那衆には笑ってしまった。センスが古すぎる。古すぎるなんてもんじゃない。腐ってカビが生えたのが乾いてドラキュラの骨みたいに埃になった言葉だ。君らこそ不死身の吸血鬼だ。でも、そろそろ吸血もやりにくくなってきた。「市民の目」がますます大きく君らをにらみつけている。(峯崎淳)

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