なぜコネが有効なのか?
布施辰二郎は、試験の成績が抜群だった志願者を蹴落とし、ぼんくらを採用させた。明らかに公正な選考に不法に干渉し、市と市民に不当な損害を与えた。なぜこんなことが不問に付されてきたか?答えはそれほど単純ではない。
まず、布施が道義的原則を持たない没義道漢であること。布施には、正義を尊いものとし、公人としてそれを護らねばならぬという原則がない。公と私の混同は、近代社会においては犯罪を構成するという自覚がない。言語道断な阿呆である。
しかし、布施の個人的不道徳性を指弾するだけでは、沼田の問題の本質は見えてこない。仮に布施を議員辞職させても、コネと情実がもの言う沼田の体質は変わらない。沼田は、現憲法下にありながら、近代化以前のメンタリティー(精神心理構造)の社会だからだ。
近代化以前の精神構造とはどんなものか?
たとえばアフガニスタンを見ればいい。アフガニスタンでは労働者の賃金は族長に支払われる。労働者個人に直接渡されることはない。自爆テロはそんな精神構造だから成り立つ。なぜなら、一般の若いアフガニスタン人はおそろしく信じやすい。目上の男は、自爆テロで天国に行った者には、とびきり別嬪の処女がよりどり見取なのだ、と吹き込む。こんな馬鹿馬鹿しいおとぎ話を若者は信じ、爆弾を抱いて大勢人の集まるところに出かけて行く。
沼田はアフガニスタンほどの前近代社会ではないが、市民たちが、権力者たちの流すデマを信じ込む信じやすさは、アフガニスタン並みである。「市民の目」のブログを書いているのは、アカだ、と言われればそんなものか、と信じる。いや、連中は幼児期の育ちに問題のある精神異常者だ、と吹かれれば、そうかと思い込む。要するに、聞いたことを自分で確かめ、真実でなければ断固否定する、という態度ができていない。
沼田の権力者は馬鹿のくせになかなか狡猾である。こうしたデマに弱い市民の弱点を承知していて、アフガニスタンの天国も驚くようなでたらめを平気で流す。
布施辰二郎がたとえ議員を辞めても、沼田の体質は変わらない。第二、第三の布施が出て来るだけだ。
市民が己の前近代性を骨身に染みて自覚せぬかぎり絶望的である。そのためには、日本国憲法を徹底的に読んで理解することから始めるしかないだろう。市長や市役所や市会議員たちがやっていること、あるいはやっていないことを、憲法に照らして検証し、おかしいことをおかしい、と言う勇気を持つことである。「市民の目・沼田」が行ってきた発言も、結局、憲法の原則に基づく常識的なものである。戦前と今日の最大の違いは憲法なのだから。(峯崎淳)
大衆は相当狡猾ですよ。
歪みが臨界点に達して爆発するまでわずかな利権を権力者と結託して守ろうとします。
崩壊して自分の過ちに気付くのが定番。
何時の時代も救いようはないです。
歴史上初めて科学技術の発展で大衆を救えるかもしれませんね。
投稿: ぶろん | 2010年3月15日 (月) 21:54