金造栄えて村廃る。
「一門といい破門といい、相撲界の言葉は古めかしい。伝統を守るための古めかしさならいざ知らず、古いこと自体が伝統になっては時代からこぼれる」。
朝日新聞、2月3日付け「天声人語」の書き出しである。先頃、マスコミをも賑わした日本相撲協会の理事選挙で、劣勢とされた貴乃花親方が当選したことを受けてのコラムは、「『誰の一票』まで勘定できた村社会だが、『一門栄えて相撲廃る』では本末転倒になってしまう。危機感から流れた票もあったように聞く。古い角界には謀反と映るかもしれない。だが『謀反人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀反である』という徳富蘆花の言葉もある。」と続く。これを対岸の火事と捉えるか、他山の石とするかでは、結果は天と地ほどの違いになる。
8日、片品村役場総務課長の星野準一と話した。2年近くにわたって私と住民課でやりとりしてきた問題について、住民課職員が書いた報告書に納得できない点がいくつもあり、その報告書とは別に、住民課の了承をとった上で、これは私の言い分を住民課が理解したからこその了承であるが、私自身の言葉で書いた報告書が、総務課長の判断で村長に上げられず、差し戻された理由を星野準一に尋ねた。
この問題の本質は、本ブログの昨年9月7日付け「筋や道義? そんなものはクソ食らえ?」に書いた、役場が私に対してとった禁反言の法理に反する対応であり、私が腐りきった片品村役場と徹底的に闘おうと決心したきっかけになった問題であるから、一歩も譲るわけにはゆかない。
星野準一は、差し戻す権限が総務課長にはないことを認めた上で、理由を「住民課の問題」とした。本質を見ろ、と言っても聞かない。禁反言の法理に反する対応を当たり前のようにする根本には、住民を下に見る役場職員のお上意識があるから、という指摘に、彼は私の感受性のせいだと言う。つまり、鋭い感受性で見られても困る、というわけだ。言葉を変えれば、そんなに厳しく見ないでよ、と。私にしてみれば、当たり前の知性と洞察だと思うのだが、彼はそうは見ない。おまけに彼は、役場に完璧を求められても困る、と言う。もとより、役場職員といえど人の子であるから、間違えることもある。それを仕方がないと捉えるか、直してゆこうと捉えるかでは、明日が晴れるか曇るか、雨が降るかの違いになる。要するに、私が言っているのは、混み合った電車で、原因がその揺れであるにしろ、隣の人の足を踏んでしまったら「ごめんなさい」と謝るのが、人として採るべき当たり前の態度だろう、ということだ。
役場が、決して自らの非を認めない、いまの姿勢をとっている限り、村は一向に良くはならない。それは、住民の言葉に耳を傾けようという意志がないことの表れであり、ごまかしにごまかしを重ねてでも自らの非を認めない村の根底に流れる意識である。と、これも私にとっては当たり前の知性と洞察だが、彼にとっては、私の感受性ということだろう。
村の公式ホームページの中の「村長の部屋」を開くと、施政方針に私の信念・政治理念として、説明責任、清廉潔白、公正公明・ガラス張りの村政、行財政改革を更に断行、の4つを謳っている。それぞれに「住民の声に最大限耳を傾け云々」「心清く私利私欲ない・隠し事のない云々」「公開を最大限行い、村民にきれいごとだけでなく『事実』を伝え云々」と、まあ、千明金造のやってきた4年間を見れば、どの面さげて、と思うような耳障りのいい言葉ばかりを並べているが、現場職員のやっていることを見れば、これら立派な御託の数々は、絵に描いた餅でしかない。
蛇足を承知で付け加えると、「村長の部屋へようこそ」と言いながら、このインターネット時代に、立春も過ぎ、スキーシーズン真只中というのに、いつまで「新年あけましておめでとうございます」なんだと指摘すると、星野準一は、他の自治体で首長が挨拶をまめに更新するか、と反論する。どこまでも聞く耳は持たないという姿勢には呆れるが、時節に合った挨拶も書けない村長なら、「村長の部屋へようこそ」などというページは削除するか、村の産業の大きな柱である観光にも農業にも無為無策なのだから、いっそ、ホームページ自体を閉鎖したら、どうなんだ。
朝日新聞、今日9日付けの社説「朝青龍騒動-ここから何を学ぼうか」と題したコラムのまとめに、こうある。「日本に暮らす外国人は増え続けている。こちらの考え方に合わせてくれる人は歓迎し、そうでない人は排除するというのは、もはや通用しない。同じ社会を構成する仲間として、相手にわかりにくい固有の習慣や伝統があれば、丁寧に説明し、理解を求める。あるいはこちらが変えるべきところは、変えてゆく。その積み重ねが、お互いの信頼を築いてゆくはずだ。多様な文化が共生する社会をつくるために『朝青龍騒動』から酌むべきことは、実は少なくないのである」。
このコラムの「外国人」を「外からの移住者」に置き換えれば、そのまま片品村ばかりでなく、利根沼田全体に当てはまる正論である。田舎暮ししませんか、と呼びかけながら、狙いが移住者の懐だけというのでは、片品は山賊村か、ということになる。(木暮溢世)
千明金造の信条が、「説明責任、清廉潔白、公正公明・ガラス張りの村政、行財政改革を更に断行、の4つ」だと聞いて呆れた。かつて日本人は満洲国という国をアジア大陸に拵えたが、その「五族協和の王道楽土」の公約を自ら踏みにじって、破滅の淵に沈めた過去を持つ。以来、日本人は嘘つき、というのが現地住民の変わらぬ信念だ。金造は、この嘘つき日本人の血をそのまま受け継いだ。このような嘘つきを糾弾しない片品、利根沼田の住民も同罪である。こういう男を選挙している限り、利根沼田は満洲のように破滅していく。
投稿: 峯崎淳 | 2010年2月10日 (水) 22:54
千明金造の信念・政治理念とやらを、彼がこの4年間やってきたことに照らして見れば、人は何を言うかではなく、何をするかなのだ、ということを彼は知らない。耳障りがいいだけの言葉で人の心をつかめると考えているとしたら、あまりにも短絡という点で、彼の知能のレベルはかなり低い。それでも先の村長選で勝ったことを考えれば、彼に投票した村民の知能のレベルも同程度ということだ。ただ、その人たちの名誉(?)のために言えば、金造の信念や実態よりも、地縁血縁が優先され、片品はいまだに時代遅れの「誰の一票」まで勘定できる村社会である、ということだ。彼が実態とはかけ離れた言葉を承知の上で言っているとしたら、とんでもない大嘘つきである。嘘の自覚もなしに言っているとしたら、これは危ない。精神構造に問題がある。もうひとつ考えられることは、千明金造が、ただ単に「清廉潔白・公正公明」の意味を知らずに言っているだけということ。いずれにしても、人口5300の小さな自治体といえど、こういう人物が首長でいることに呆れる。
投稿: 木暮溢世 | 2010年2月12日 (金) 06:26
金造村長の政治信条に情報公開が入っていないので安心?しました。一昨年から具体例を拝見してきましたが、片品村の情報公開はあの程度ですからね。恥ずかしくて情報公開の推進だけは入れられないでしょう。
え!?「ガラス張りの村政」は情報公開のこと?そんなはずはないでしょ。これだけは言葉通りで、役場の窓にガラスを張ることでしょ。たしかにガラスが張ってありますから。
投稿: 杉山弘一 | 2010年2月12日 (金) 15:24
片品村の情報公開はあの程度? 杉山さん、お言葉を返すようですが、よく読んでください。千明金造の「私の信念・政治理念」の中、◎説明責任には、住民の声に最大限耳を傾け…、とあり、◎公正公明・ガラス張りの村政には、公開を最大限行い…、とあります。そう、最大限です。あの程度の知能の最大限は、あの程度なのです。
恥ずかしくて情報公開の推進だけは入れられない? 実は、恥ずかしいという概念がないのです。だから、実態と乖離したことを平気で言えるのです。要するに、村民にきれいごとだけでなく「事実」を伝え…、とありますが、伝えるのは「事実」だけでいいわけで、つまり、信念・政治理念としては、きれいごとだけを伝えようと、それが千明金造の知能の程度なのです。それを恥ずかしいことと感じる知性がないのです。
ちなみに、◎清廉潔白には、星野賢二前村長が開拓した「心清く私利私欲のない・隠し事のない…、とあります。県知事選での公職選挙法違反で50万の罰金を食らう奴、ヒモとつるんで県を相手にNPO枠で詐欺まがいを働く奴が身近にいる環境で、心清く私利私欲のない清廉潔白の片品村政を開拓するのは、茨の道だったことでしょう。敢えてその路線を引き継ぐと言う千明金造ですから、勇気もきっと最大限です。類は友を呼ぶ、という諺、まあ、何事にも例外はあるようです。
投稿: 木暮溢世 | 2010年2月12日 (金) 21:42
あなたのいうとおり
投稿: 元村民 | 2010年3月 4日 (木) 01:13