ブログ内検索

  • Google

    WWW を検索
    ブログ内を検索

メンバーの裁判

« 沼田市議会日記① -あきれた星野市長の答弁他- | メイン | 給食センターの民間委託は撤回せよ(続) »

2009年12月24日 (木)

沼田はなぜ変れないのか?

 最近ひとりの優れた福祉の専門家が沼田から出て行くことを決めた。十年頑張ってみたが沼田は変らなかったというのがその方の感想である。
 何の知識もなく、どちらかと言えば愚かな人が土着の古顔だというだけの理由で、リーダーの位置を下りず、新しい知識や考え方を持つ人を「余所者」という理由で排除する。そのリーダーは自分自身とその側近たちの利益を優先し、不公平な運営をやっている。多数の会員たちは、これに憤慨を感じているのだが、リーダーたちに睨まれ、仲間はずれにされるのが怖くて、何も言い出せない。発言して、しっぺ返しをされた少数の人たちは、さっさと会を脱退し、独自に活動する孤独な道を選ぶ。このため、沼田はまったく変らないのだ。
リーダーが力を持つ根源には沼田の行政が出すわずかな補助金がある。このわずかな補助金により、リーダーは市役所の役人と癒着し、行政の言うなりになる。それをいいことに役所の係長などがわずかの便益の配分に差別やえこひいきをする。 この腐敗の構図を弱い市民たちは、仕方がないものと諦め、受け入れる。

 これを打破するのを弱者に期待するのは、無理だ。あるとすれば革命だが、革命はよほど切羽詰らないと起きない。日本の農民には凶作になると餓死に甘んじるところがある。姥捨ての習慣すらあった。一揆が起きることもあったが、沼田では聞いたことがない。かつて真田伊賀守が三万石だった年貢を十三万石に上げ、めちゃくちゃな苛斂誅求を沼田でやったことがある。これが凶作と重なったものだからたまらない。餓死が日常になった。これに反撥したのが茂左衛門(磔茂左衛門)とか市兵衛という義民たちで、茂左衛門は将軍に直訴という死を覚悟した行動に出た。文書による証拠がなく口碑に残るだけの義民だが、沼田にもかつてはそのような優れた人間が生きていた。真田伊賀守は改易になり、年貢は見直された。
 

 沼田にも「チェンジ」を掲げる新しい人が立つべきときが来ている。

 

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.kazelog.jp/t/trackback/308121/22713377

沼田はなぜ変れないのか?を参照しているブログ:

コメント

沼田の改革は名古屋の「河村市長」見たいな感覚を持ったリーダーが出ないとダメだね。歴代市長に人物が居なかったから、市の職員幹部は言われた事をやるだけだ。市政に尽くす気力が感じられない。長崎市長の様に市政に打って出る課長はいないものか・・・・。

先日の出来事。
 岡谷の交差点で信号待ちをしていると前の車の運転手がタバコを車外に投げ捨てた。そして、方向指示器を出さずに左折した。
 タバコを車外に捨てたのは、自分の車の灰皿は汚したくないが、道路は汚れてもかまわないと思っているからだ。方向指示器を出さないのは、周りの車のことを考えていないからだ。この運転手は、他人や社会のことを考えることの出来ない人間である。
 実は、この運転手は、福祉のリーダーである。何の知識もなく、愚かな、土着の古顔である。公職にあり、沼田では良く名の知れた人物だから正体を明かそう。
 慶福寺の住職、NPO法人利根沼田地域ボランティアセンターの理事長、(仮称)沼田市市民活動支援センター設置検討委員、沼田市沼田市俳句会の会長である「林弘安」だ。かつて、老人ホームの理事長が老人をだまして財産を騙し取ったと言う事件が起こったが、林はその社会福祉法人の理事でもあった。また、6月には利根沼田派遣村の副村長も努めた。典型的な偽善者である。
 こういう偽善者がでかい面をしている限り沼田は変われない。いや、悪くなる一方だ。沼田を良くしようと思ったら、林弘安を福祉やボランティアの世界から排除する勇気こそ必要だ。

 お聞きしたいことがあります。
 「最近ひとりの優れた福祉の専門家が沼田から出て行くことを決めた」とありますが、福祉には、高齢者・障害者・児童等様々な分野がありますが、どの様な分野で、具体的に沼田で何を「十年頑張ってみた」のでしょうか?

この方は職業として福祉を選び、老人、障害者、親から育児放棄された子供、などを生涯を通じて世話してこられた方です。知的障害を持つ高齢者を四人預かる地域ホームを運営しながら知的障害のある里子を育てていました。彼女は、沼田のタクシー運転手たちの間では「あの人には頭が下がります」と言われた方で、そういうハンディーのある人との共生を身をもって実践してきました。彼女が高校生の里子たちと沼田を去る決意を打ち明けたある医師は、「残念だが、いい選択をしましたね」と言ってくれたそうです。これは、沼田という町の絶望の深さを表わす言葉です。彼女はバスで移動する高齢者たちの誰とも親しくし、常に言葉をかけていました。町をふらついている若者たちも心に懸け、案じていました。「あの子は暗い目をしている・・・」など  と言って。
彼女は昨年長妻厚生大臣から表彰されましたが、沼田市がこれを祝福した話は残念ながら聞いていません。  

 峯崎様 教えていただきありがとうございます。沼田にも、そうした方がいらっしゃったのですね。
 その方は、沼田では福祉を向上させられないと言うことで、出て行かれたわけですか・・・。
 寂しいですし、沼田にとってはもったいない限りです。
 文面から察すると、その方はタクシーやバスを使われていたようですので、ご自身では車をお持ちではなかったのですか?であれば、移動手段の少ない沼田では生活しにくかったでしょう。
 ところで、預かっていた高齢の4人の知的障害のある方はどうされたのでしょう?
 気になります・・・。
 

[車がないことはハンディーではない」というのがその方の持論でした。「そのため障害者たちを公共の乗り物であるバスや電車に乗せて移動することになり、自然に共生を実践することができる。自分自身も含めて・・・」。これは決して負け惜しみではなく、沼田のような福祉の遅れたところであるからこそ、恵まれるチャンスだと考えていらっしゃった、と思います。四人の障害者たちは、彼女と志を同じくする人々が経営する福祉法人に託し、彼女が自費で建てた家はそのままその法人に寄付されたのです。
障害者たちは今まで住んでいた家に住み続けることができるのです。
福祉とはなにか? 沼田にもっとも欠けているのは、深い心による理解です。補助金をせしめて仲間うちだけで甘い汁を吸う制度ではありません。人間が生きることの深い意味を真摯に求め続ける人にのみ許される最も尊敬すべき職業のように私は考えます。
彼女は定年の年齢に達したので、職業としては退職しましたが、今後はボランティアーとして福祉に関わっていく、とおっしゃっていました。

コメントを投稿

2012年8月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック