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« 沼田のなにが問題なのか? | メイン | 沼田市議会日記① -あきれた星野市長の答弁他- »

2009年12月13日 (日)

沼田はどこで間違ったのか?

 今日の市政の堕落と停滞はいつから始まったのか? 沼田には星野のような大道芸の猿回しの猿みたいな男とか西田ハマグリのようなこそ泥しかいなかったのか?沼田の歴史をひも解いていくと、決してそうではなかったことがわかる。記者が注目するのは、かつて市長選挙で西田と戦って敗れた金子包幸という候補者である。長く町会議員を務め、市会議員、市議会議長を務めた、金子安平氏の長男である。包幸氏は国学院大学を卒業した後高校の国語教師として働いた人である。空手は師範クラスの腕で、苫小牧の道立東高校では野球部の監督としてチームを育て、甲子園に連れて行く。この方は沼田の榛名神社の宮司であった安平氏を継ぐため沼田に帰ってきた。沼田高校の先生となり、十五年ほど勤務した後宮司となり、神職に専念する。この人が、市長に立候補するのだが、彼が深く期する所があったのは沼田に大学を持ってくる、ということであった。沼田の最大の欠陥が知性の欠如であることを見抜いていた。さすが折口信夫の門弟だけある。

 しかし、沼田の人々は、折からの高度成長期の軽佻浮薄な馬鹿騒ぎに気を取られ、金子包幸の知性を捨て、西田洽司の飲ませて食わせる土建政治に足を掬われた。その結果、今日残ったのは、滅多に人の通らぬ望郷ラインと年に二億数千万円づつ返さなければならぬ借金である。さらに、言えば、文字が読めず書けない議員たちである。

 死児の年を数えても詮無いことであるが、金子包幸がもっと長生きし、市長になっていたら、沼田の状況はずいぶん違っていたろうと思わずにはいられない。大学があれば、知性を尊ぶ考え方が沼田にも定着したかも知れず、そうなれば、高度な理解力が必要な今日の諸問題にも、合理的な判断が出てくる可能性があった。

 沼田とて改革の必要は、少なくとも一部の市民は痛感している。そういう人々の輿望を担って女性議員が誕生したこともあった。しかし、この女は偽者だった。星野だって彼女らが担ぎ出した玉である。こんなインチキ政治屋に簡単にしてやられるお人好しが沼田の進歩派なのだ。

 最近、「肺炎球菌のワクチンを助成せよ」、とか「振興局長は無駄遣いだから廃止せよ」とかどこかで聞いた主張が市議会でなされているという。覚えがあるのも当然で、市民の目が以前から何度も主張してきたことがらである。沼田の市会議員がパクリをやっているのだ。われわれが主張していたときには、理解できなかったらしい。今頃になってようやくこれらが明らかにする星野市政の駄目さがわかってきたのだと思いたい。君ら議員が単なる月給泥棒でないことを、パクリでも構わないから、どんどん言い給え。市民の目は度量が大きい。君らのパクリが市民の目の主張を正しく理解しているかぎり、細かいことは言わない。だからパクるならよく勉強してパクリ給え。月給泥棒よりはるかにましである。(峯崎淳)

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