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2009年11月17日 (火)

言論と沼田

 言論とは自分の意見を述べることで成り立つ。
 それにしても不可解なのは、市民の目のアクセスがときに一日に千の大台を超えたたこともあり、普段でも五百を越えているのに、市会議員から寄せられる意見がゼロなことである。事情通に聞くと、市会議員でまともに文章が書けるのは何人もいないし、たとえ多少書けたにしても、意見を生み出す頭がないから、結局黙っているしかないのだという。要するに、低能ぞろい、ということなのだ。低能者とは知能が普通以下の人という意味だが、それは意見を言わない理由にはならない。アメリカのように民主主義が徹底しているところでは、馬鹿な人も堂々と意見を言うことを知っている。それをみんな黙って聞く。沼田の市会議員が意見を発表しないのは、民主主義が育っていない証拠ではなかろうか。ものごとを決めるのに十分に意見を述べ合い、多数決で決める習慣がない。

議員たちがブロッグに反論もせず感想さえ書けないのは、民主主義というものがお互いに意見を言い合うことで成り立つことの自覚が足りないからだ。なかには、市民の目沼田の書き手たちは、沼田を牛耳っている”旦那衆”に逆らう連中だから、そこに意見を書けば、旦那衆に歯向かうことになるのを恐れる、という見方もある。枯れ尾花に怯える意気地なし、というしかない。

 沼田が活性化しない最大の原因は、その知的怠慢、その知的懶惰(らいだ)にある。誰が阿呆ばかりで知的活気に乏しいところに来たいと思うだろう? 町興しと言い、都市開発総合計画など尤もらしいお題目は並ぶが、行政に知性がなく、市長は葬式に出ることしか関心がなく、議員は白痴も同然、と来ては、活性化などするわけがない。

 二十一世紀の世界では、ものを考えないものは滅びる。ビジネスマンも農家も区別はない。智を磨くしか生き残る方法はない。市民の目沼田は、意見を持つすべての人々に解放されている。無料である。(ただし、誰が見ても白痴と判定するたわごとは削除される。)(峯崎淳)

 

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