GMの凋落と沼田
GMが車製造業としての企業生命の終わりを迎えている。かつてアメリカ経済は四輪で走ると言われたが、そのとき自動車メーカーの王者だったのがGMである。シュブロレからキャディラックに至る身分の上下に似た商品構成は、アメリカ人の出世願望とみごとにマッチしていた。
それが今ではすっかり凋落し、キャディラックはガソリンをがぶ呑みする阿呆な大型車として軽蔑される。工業世界の変遷の速さに驚かざるを得ない。
GM がなぜ駄目になったか、いろいろな見方があるだろう。経営のまずさを指摘する声もある。図体が巨大すぎて変化に対応しきれなかった、という人もいる。
しかし、わたしが言いたいのは、GMの失敗の原因や責任のことではない。近代の工業というものは、そうした浮沈から逃れることは至難だということである。近代が近代であることの本質をそこに見るのである。GMとの競争に勝ったかに見えるトヨタにしても、十年後も世界一であるかどうかわからない。賭けをするなら、そうでない方に賭けるほうが安全だろう。
わたしは以前にこのブログを借りて、農工両全の思想を紹介した。茨城県知事だった岩上二郎の唱えた考えである。
今沼田を考えて見ると一目瞭然だが、昔からの農地があり、兼業農家と貶められながら、農業が盛んである。貶められている理由は、きっと工業ほどの収益が上がらないからだろう。また従事している者が老人が多いからでもあるかもしれない。
しかし、この農業があるお陰で、われわれは新鮮で豊富な野菜類や果物類を安く手に入れることができる。沼田に住んでいれば、輸入野菜に頼らなくても健康な食生活ができる。小さな軒下ほどの畑で取れた野菜をおすそ分けしてもらえる。
東京でこんな豊かな暮らしをするには努力とカネと運が要る。
すばらしい空気を吸い、おいしい水を飲み、体にいい食物を摂る。わたしは沼田は理想郷に近いと思っている。
ただ気になることがある。それは、沼田の政治を支配している雰囲気がよくないことだ。沼田を理想郷と思い、沼田を維持し、将来を深く考えているなら、素直にそう宣言してほしい。そして、それにふさわしい政策を展開してほしい。
工業のどんどん移り変る。農業はあまり変らない。土を耕し、太陽光線の恵みを受けて作物を育てることは同じである。民主党は人の命を大切にする政治を唱えている。沼田は何を大事にするのか、はっきり宣言してもらいたい。
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