ひとり、またひとり。
片品村村長選が終わった。結果に空しさを感じ、幾人もの表情に悔しさを見たとき、脳裡に浮かんだイメージが吉田拓郎の歌に重なり、それを翌日のブログに書いた。その後、このブログを開くたびに、私の中に忘れかけていた拓郎の「祭りのあと」が流れる。もう何日もたち、打ち拉がれているわけでもないのに、誰も新たな投稿をせず、そっとしておいてくれるなんて、いくら弔い好きの市長のところの市民だからって、それは優し過ぎはしませんか(笑)。
とまあ、冗談はさておいて、あの選挙戦の賑わいの中でいくつかの噂話を聞いた。曰く、もう1期やらせてやるべえ、なぜ対抗馬がいるんだ、奴はまだ若けえから、もう1期勉強してからでいいんじゃねえか。どれもが、このままがよかんべえと思った2048人の中の意見だろう。村の現実を見ようともせず、行政の裏にある腐りきった真実を知ろうともせず、首長選びにまで年功序列を持ち出し、4年に1度のお祭り騒ぎに浮かれる。こんな意識の人間が多数を占める中で片品の選挙が繰り返され、いまの片品村がある。
アメリカに黒人初の大統領が誕生し、日本でも政権交代が実現したというのに、片品村では、相も変わらず"小さくても輝く村"を目指して、これまでの4年間がそうだったように、これからの4年間も何も期待できないまま、時が歩みを止めてしまうのか。
とはいえ、片品をなんとかしたいと思った1949人の人たちは、その思いを持ち続けよう。4年前の11月に行われた村長選と今回の選挙を比べると、面白い数字があるのだ。前回は人口5839人に対して、投票総数4246(投票率92.08%)、有効投票数4195(無効51)の内、千明金造2192票対星野旭氏2003票。得票率で見ると、投票総数の51.63%が金造、47.17%が旭氏、有効投票数の52.25%が金造、47.75%が旭氏である。今回は人口5374人に対して、投票総数4031(投票率92.07%)、有効投票数3997(無効34)の内、金造2048票対萩原一志氏1949票。得票率で見ると、投票総数の50.81%が金造、48.35%が一志氏、有効投票数の51.24%が金造、48.76%が一志氏である。前回の得票数の差189が今回99に減ったのは、人口の減少によるところもあるだろうから、単純に比較はできないが、得票率に注目すると、金造は有効投票数で1.01%を減らし、一志氏は旭氏のときより1.01%増やしている。年々100人ずつ減り続けている人口が4年後に5000人と想定し、投票総数と有効投票数を仮に今回の減少数で想定すると、投票総数3816、有効投票数3799となり、得票率1.01%は38.37人に相当する。今回の差99をそのまま4年後に想定しても、22に減り、逆転は手の届くところにあるのだ。
もうひとつ、私が頼もしく感じたのは、笠科神社の前庭に集まった多勢の若い人たちである。ふだんはどこにいるんだろうと驚くほど多勢の、息子や娘ほどの歳の若い人たちが、片品をなんとかしたいと思っているのを知ったのはこころ強かった。私は気に入って引っ越し、いま住む片品を良くしたい思いに自負はあるが、この村で生まれ育ち、これからの村を担ってゆく若い人たちの村に対する思いは、私のそれとは比べるべくもないことは容易に想像できる。
片品をなんとかしたいと思った1949人の人たち、結果は残念だったが、あの日の悔しさを忘れずに、萩原一志氏が声を涸らして蒔いた種を、みんなで大切に育てよう。あの日、笠科神社の前庭に集まって悔しい思いをした人たち、このブログを読んで、片品の真実を知ったと涙を浮かべて私に話しかけてくれた若い人たち、実名でコメントが書けるように勉強すると言ってくれたあなた、私と一緒にアンテナを磨こう。磨いたアンテナを千明金造村政に向けて、不公平、不公正を監視しよう。必要なときには、一緒に声を上げよう。ひとり、またひとりと集まる声が、やがては片品をなんとかする大きな力になる。
(木暮溢世)
片品村の選挙を通して小暮さんのみずみずしい感受性に心を打たれました。だから若い人が集まってくるのですね。沼田の若い人はどこにいるのでしょう。沼田で片品のように若い人たちが現状を変えようと出てこないのはどうしてでしょう。「沼田では頭がいい子は市外に出て行ってしまう。一人ぐらい頭の悪い子がいないと親元に残ってくれない」とジムで誰かが言っていました。
山﨑のぶ
投稿: 峯崎淳 | 2009年10月30日 (金) 20:57
世の中には誉められて伸びるタイプがいますが、私の場合は? 間違いなく図に乗ってつけあがる方ですから、嬉しいけれど、ほどほどに(笑)。
この投稿を読んだ沼田のある知人から電話をもらいました。冒頭の冗談が通じなかったらしく、片品をなんとかしたいと思った1949人を励ます投稿をしたいと。彼曰く、沼田の7対3と比べると、片品の51対49は民主主義の成熟度の証しだと。
丁重に断りました。住んでみなければわからない。そもそも、役場がお上だと思っている村に民主主義などありえません。地から涌いて来るでもなく、天から降って来るでもない、闘って勝ち取るのが民主主義なのですから、現実を見ようとしない、事実を知ろうとしない、声を上げない人たちに民主主義など実現するわけがありません。そんな人たちに、結果に出た数字だけを単純に結びつけて、沼田と比べれば片品の民主主義はあと一歩だなんて評価をしたら、1949人を励ますどころか、このままがよかんべえと思った2048人を図に乗らせつけあがらせるだけです。「目には目を、歯には歯を」なんてチンピラのような言い分だけを実践する首長と同じメンタリティーの同類なのですから、間違いない。
投稿: 木暮溢世 | 2009年11月 2日 (月) 15:59