民主党の脱官僚と沼田
民主党の脱官僚とはどの程度のものだろうか。それを測る最高の目安は民主党が警察行政をどうするかである。前政権が長く続くうちに、日本のあらゆる組織が官僚化し、制度疲労を起して惨憺たるありさまとなっている。中でも顕著なのが警察である。裏金という幹部による公金の横領が公然とまかり通り、現場のモラルは戦後最低にまで落ちている。警察を根本から立て直すには、相当に思い切った改革が必要である。三百八議席の勢いの民主党が本気になってかかれば、相当のことができるはずである。私は最終的に警察庁の廃止まで視野に入れるべきだと考えるのだが、果たしてそこまでの認識が民主党にあるかどうか。警察を非民主的にしている原因の一つが、警察庁による全国警察の一元支配である。そしてそれを可能にしている柱がキャリア制度である。これに手をつけることができるかどうか。出来なければ、脱官僚などと言っても、単なる掛け声に終るだろう。
キャリア制度とは、上級公務員試験一種を通ったエリートを幹部候補として採用育成する制度だが、警察のような現場を抱えた現業官庁にこの制度を適用するとさまざまな矛盾が生じる。つまり、現場経験が浅いエリートが指揮を執ること、現場に携わる者の評価を行うこと、など不合理が起きる。現在警察のキャリア制度は警察という権力機構を維持するための制度という色合いが濃く、現場の能率を著しく低下させている。しかし、これを廃止することは、公務員制度の根幹に関ることなので決して容易ではない。
警察には元々国家権力(秩序)の維持という側面があり、それには上位下達の組織が都合がいい。警察庁による全国警察の支配はそれを体現したものである。従って、キャリア制度を警察に限って廃止することは、警察を国家権力から切り離すという側面があり、これは権力の最も嫌うことである。だから、警察改革は進まないのだ。
このような警察改革を進めるには、情報公開の徹底が必要である。今日まで警察は、捜査上の秘密を守るため、と称して、情報公開を拒んで来た。今後は、それを言うなら個別具体的にそれを立証する義務と責任を警察当局が問われる形にしなければならない。
沼田の市政も、警察改革に優るとも劣らぬ改革が必要だ。現在の無能と怠慢の行政を改善するには、情報公開を徹底させるしかない。星野の得意なひたすら決断を先に延ばし、うやむやのうちになし崩しにものごとを進めるというやり方は許されないことをはっきりさせるのである。沼田市民は馬鹿ぞろいだと言われる。今のままではそう言われても仕方がない。星野の悪政に声も挙げないからだ。県で最低の市政にいつまでも黙っているのでは、市民は馬鹿ばかりと悪口されても仕方がない。(峯崎淳)
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