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メンバーの裁判

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2009年10月19日 (月)

思考停止の5年間。

 私の投稿がこのブログに初めて載った翌2月21日、反村長派のある議員から連絡があり、これまでに何度も村についての話をしてきた。千明村政に承服しかねる点では共通しているものの、根本のところは大きく違う。私が訴えるのは、あくまで公平公正であり、そこに従来からの村民と外から移住して来た住民との垣根はない。片品には、これに加えて、現村政に与するかしないかの線引きもある。東京から移住して来た私には、都会と地方の格差を実感するだけでなく、時代の格差まで感じるところである。地方の疲弊からくる暮らしの厳しさはみんなに共通しているはずなのに、あっちだこっちだと言っている場合ではないと思うのだが…。
 9月に入って、現職が出馬を表明し、いよいよ村長選が近づいてきたが、反村長派の議員から聞いて驚いたことがある。萩原一志が行く先々で、合併について尋ねられるというのだ。5年前の合併か自立かを巡る論議の中で、合併推進を唱えた彼が、またまた合併を持ち出すのではないかという懸念を口にし、中には、合併を言っていた彼が、いま自立を言うことを「ぶれている」と責める輩さえいるということだ。これには、驚きを越えて呆れ果てた。この人たちにとって、時間は5年前で止まり、それとともに思考も停止したらしい。
 5年前を思い起こせば、小泉政権が国政を担い、三位一体の改革を掲げ、平成の大合併を進めていたときである。その改革の実態が地方に疲弊をもたらすものであることが明らかになり、小泉から安部、福田、麻生と内閣がめまぐるしく変わり、ついには政権が民主党に交代したいま、国の状況の変化に応じた対応を考えるのは、首長を目指す政治家としては当たり前であり、それを「ぶれている」と責める側の貧しい頭脳こそ停止したままなのだ。
 そもそも5年前、住民が自主自立に合意して以降も、片品村はそれまで通りの単独の片品村なのだ。千明金造がいまになっても「自主自立」を口にすること自体、自主自立の意味を理解していないか、彼の思考が5年前で停止しているか、5年という時が彼を置いてきぼりにして脇を通り過ぎていったのだ。別の角度から解釈すれば、5年前の住民投票で心情的に自主自立を支持した人たちの情緒の部分に、杞憂という無用の心配を煽っているのだ。
 いまさら片品村がどこかの自治体と合併する? それが杞憂だと私が断言する根拠になる実例を紹介しよう。中之条町と六合村の合併だ。詳しくは中之条の議会だよりにあり、入内島町長がブログ6/132129 7/131)に自らの言葉で町民に語っている。
 さて、これを読んで、片品村がどこかと合併する懸念を感じる人がいるか。6月12日に六合村からあった合併の申し入れを、市町村の合併の特例等に関する法律の期限が切れる来年3月31日まで、中之条町では、時間が足りないという中で作業が進んでいる。仮に萩原一志が当選し、すぐに合併を言い出したところで、どこと合併するというのだ。沼田市は、経常収支比率3連覇にもあるように、押しも押されもしない県内トップで、堂々の3連覇、片品村より2歩も3歩も夕張に近いところまで行っている。そんなところと合併しようという馬鹿はいないだろう。仮に相手がいたところで、特例債の期限の来年3月末までに間に合うはずがないのだから、本気で合併を心配する人は、自らの無知を恥じ、もう少し勉強をしたほうがいい。
 合併を持ち出して、理不尽な言いがかりをつけているのは、おそらく千明金造を応援している側だと想像するが、萩原一志には「お気の毒さま」としか言いようがない。(木暮溢世)

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