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2009年10月12日 (月)

『沼田市政に未来はない1』-文化人を理解できない沼田市長星野巳喜雄氏

 星野市長が就任した年、私は児童文学作家「岩崎京子氏」の呼びかけで、児童文学講演会を立ち上げた。バブルの時代に生まれ、幼児期を過ごした子どもが中学生になる頃である。岩崎氏は、バブルの時代に幼児期を過ごした子どもたちの将来が心配だと言われた。岩崎氏は是非沼田市長に挨拶をしたいと希望されたので、私は市長との面談を申し入れた。
  岩崎氏は著書を何冊か持ってこられ、市長に手渡された。星野市長はその本をテーブルの端にさっと置き、話を始めた。話の内容は、以下の通りであった。

 いつものように大きな声で、「僕は沼田市長の星野です。就任したばかりです。県議を四期務めまして、あのまま続けていれば県会議長になれたのですが、残念です。沼田市長になって大変です。僕は、自転車で通勤しているんです。狭い借家に住んでいます。」と、児童文学作家岩崎氏に挨拶した沼田市長星野氏の話の内容である。岩崎京子氏は、半世紀以上にわたり教育界や子どもの本の世界に功績を残され、文部科学省から表彰された人物である。

 星野市長は講演会のチラシに教育委員会の後援がつくように働きかけたり、講演当日祝電を寄越したり、細かいところでは動いてくれたが、大きなところでは何も理解していなかった。峯崎氏が星野市長のことを「葬式市長」と書かれているように、これが沼田市長の実態なのである。岩崎氏は、現在89歳で、なお全国を行脚されているが、おそらく沼田市は全国的にも珍しい街だと思われたことだろう。市長と市民のレベルは同じである。文化人の岩崎氏の鏡が、沼田市長星野巳喜雄氏のこっけいさを良く映し出したと言えるだろう。   ペンネーム  ざしきわらし

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『沼田市政に未来はない1』-文化人を理解できない沼田市長星野巳喜雄氏を参照しているブログ:

コメント

沼田の大きな問題の一つは、市長にも、市会議員にも知性がありそうな人がいないこと。学歴や何処の学校かなどを言っているのではない。知性、つまり知識と知恵が見当たらないということだ。人間の質が相当に劣悪なのが揃ったとしか言い様がない。
教育予算を削ったため学校ではブラスバンドの楽器の修理費もなくて困っているそうだ。星野の予算などというのは、その程度のものであり、それを唯々諾々承認した市議会も大たわけものである。民主党が「事業仕分け」を始めている。沼田も現在市政に携わっている馬鹿どもでは駄目だから、構想日本にでもお願いして、仕分け人を頼んだほうがいい。馬鹿どもが、これ以上めちゃくちゃにしてしまわないうちに。

 文学に限らず、あらゆる芸術は自己の表現である。内にないものは、逆立ちしようが絞ろうが、出てはこない。鑑賞する側にも、表現者の内なるものに感じ入る要素があって、それが感動につながる。つまり引き出しの中身が多いほどいい作品につながるし、それに響き合う鑑賞眼につながる。それが峯崎氏の言う知性である。
 芸術に限らず、人間のあらゆる言動は自己の表現である。内にないものは、どうじたばたしても、出てはこない。「大きなところでは何も理解していなかった」。つまり大きなところを理解する知性がなかったということ。細かいところにしか働く思考回路がないということである。それが政治と認識し、そういう人物を選んだ側も同類ということである。
 片品の村長選が迫ってきた。片品村民の知性が問われるときである。違法行為の隠蔽を図り、与する側がつるんで好き勝手を働いてきた現職を応援する側は、それが政治と認識する知性の乏しさで同類である。いまさら先祖返りを望まないから、小さい問題には目をつぶってという人には、白票という選択肢がある。多くの人たちが最も懸念しているあの問題に、萩原氏が真っ向から対決する意志の有りや無しやを知りたければ、直接彼に尋ねればいい。
 いずれにしろ、10日後には片品村民の知性の程度がわかる。

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