群馬県議会の議決と沼田
群馬県議会が民主党政府に八ッ場ダム建設中止を撤回する要求を決議した。県議会では自民党が圧倒的多数派なのだから反民主党を標榜するのは不思議ではないが、ダム建設を続けろという主張に説得力があるとも思えない。要するに、公金垂れ流しを続けろ、ということに尽きる。治水とか利水のもっともらしい正当化の理屈などどこえやら、「とにかくカネのばら撒きを止めるな」という低次元の本音が露骨になっただけである。自民党が役人と結託してやってきた政治の正体をむごたらしく曝け出した。政府は中央の頭だけ民主党に替わったが、地方はまだ自民の尻尾をつけたままである。
前原大臣が地方にとぐろを巻く自民党の尻尾を撃退するには、国交省がこれまで行ってきた八ッ場ダム建設の情報を洗いざらい公開すればいい。現地の賛成派と称する連中と国交省の役人がどんな関係を持ち、立ち退き補償金などをどのように分配してきたかみな白日の下に曝け出すのである。
沼田の市政を牛耳って来たのは尾身幸次を親分と仰ぐ連中で、自民党の悪しき体質を自らの体質にしている臭気紛々たる人々だ。親分がこけたため、すっかり当てがはずれ、どっちを向いて歩けばいいかもわからずおろおろうろうろ、狼狽している。もともと自分の頭で考えるのは、お互いの足を引っ張る悪巧みぐらいで、時代の流れを読むとか、想像力を働かせて未来を考える能力などまるきりないのだから仕方がない。
国民が喘ぎながら官僚を背負って歩く国、と見られていた日本の国で、初めて官僚の重石が外れるという奇跡が起きそうなのだ。特権に守られた役人を背負って行くことにくらべれば、25%の排ガス削減など大したことではない。
沼田市民も鳩山由紀夫が国際公約したこの路線に沿った方向に沼田の未来を築くことを模索するべきだ。沼田には、大都市にはないきれいな水ときれいな空気がある。森林がある。沼田の自然環境は実に豊かなのだ。これを生かすも殺すもわれわれ次第である。本物の自然環境を志向しても大都会では無理だが、ここでは手にはいる。私にはこんな贅沢をあまりありがたがっている様子もない沼田市民は現実を知らなさすぎると思う。
26%温暖化ガス削減は人類の生き残りを賭けた路線と見ることができる。地球環境はクリティカル・ポイント(これを越えれば破局になだれ込む限界点)の近くにまで劣化している、という認識が人々の共通のものになりつつある。
だとすれば、沼田が選ぶ将来はこうした認識に裏打ちされたものでなければならないだろう。
例えばエネルギーの自給化である。沼田には油田がない。原子力発電所もない。逆に言えば、脱化石燃料化、脱原子力依存化がしやすい、という利点がある。市の方向をエネルギー自給におき理想都市沼田を考えるなら、東京や大阪などでは持ち得ない理想をわれわれは掲げることができる。東北の寒村葛巻がやっていることが沼田にできないはずはない。
沼田に欠けているのは、そうした理想を提唱し住民の合意を実現する指導者である。その意味で、今の市長も市会議員も落第である。優柔不断を批判されると頭に血が上り、側近に「奴の下ネタを洗え」と命じるような市長では、そんな志の低さでは、駄目なのだ。
理想は、体を張って命懸けで追求する本物の理想でなければならない。民主党の喜びそうなことを言えば補助金が出るだろう、というようなさもしい魂胆ではすぐ息切れする。
地方の時代と言われる。地方が自らの理想像を掲げ、倦むことなくそれに邁進すれば道が開ける時代が来るという意味だ。(峯崎淳)
今日の週刊ポストに八ツ場の面白い問題が掲載されています。推進派住民の代表として前原大臣に抗議書を手渡した萩原昭郎のゴルフコンペ問題です。
単なる地主であるこのおっさんの誕生日を祝うために小寺前知事、土建屋(沼田の業者や元沼田土木事務所長も含む)、国土交通省の役人などが集まって、ゴルフコンペや100人規模の大宴会をやっていたというものです。
八ツ場は利権の塊としか言いようがありませんが、忘れてならないのは、沼田の談合勢力も深く関与しているということです。
沼田の区画整理事業もまったく同じ構図で進んできていると言うことです。とん挫しそうなところまで、八ツ場ダムと同じです。
投稿: 杉山弘一 | 2009年10月 5日 (月) 20:47