自民党の敗因と沼田
自民党の敗因を巡って議論がなされている。小泉改革の市場原理主義が格差を生み、住みにくい世の中になったから負けたのだ、というのが大方の一致した見方のようだ。しかし、本当にそれだけのことだろうか? 惨敗の原因はもっと深いところにあるのではないか。自民党がそれに気づいて深い原因を摘出しない限り再生はますます遠のく。かつての自民党にはものを深く考えることのできる人がいたが、今日総裁選挙に名のり出ている三人を見る限り、期待はできそうもない。私が深い原因と考えるものを最も端的に表わしているのは、先年森喜朗元首相が行った「日本は天皇を中心とした神の国」という発言である。何たる独善!何たる知的怠慢!発言が物語るのは、森喜朗の認識が半世紀以上も経った今日も大東亜戦争当時のままであるということだ。このような知的な怠慢こそ今日の自民党の劣化を象徴している。森が今なお自民党の領袖の一人として重きをなしている事実は、党自体も知的緊張感に乏しいことの証拠である。保守主義とは知的に死ぬことではない。単なる世代交代で解決する問題ではない。自民党は、森喜朗に代表される知的脳死を自覚し、公然と認め、脳死に至った病因を突き止め、抉り取る知的手術を求められているのだ。その勇気がなければ、敵の失策のみを期待する二流の野党として低迷するしかない。
この知的脳死は地方にも及んでいて、例えば現沼田市長の星野巳喜男はかつて自民党群馬県支部の幹事長だった。星野も、その市政運営を見る限り、脳死に近い無能さである。口を開けば、マックス・ウエーバーだのモンテスキューだのとカタカナの名前を濫発するが、田舎の無知な民衆を驚かす単なる虚飾にすぎない。西欧近代の民主主義の精神を星野が理解しているとは到底思えないからだ。この程度の男が幹事長だった事実が、自民党の地方組織の劣化のひどさを示している。後援会が高齢化した、という話だけでは済まない深い敗因があるのだ。星野の前後に県自民党の幹事長を務めた連中が各地の市長になっているようだが、一人の例外もなくダメ市長である。地方政治からもこのような知的脳死の自民党勢力は一掃される運命にある。沼田市民は準備を始めるべきである。民主党は地方に自由な財源を渡す政策をやろうとしているようだが、星野の如き手合いがいたのでは、カネを渡しても意味がない。地方の受け皿をきちんとすることを優先すべきである。(峯崎淳)
「サメの脳ミソ、ノミの心臓」の森喜朗ですね。この名言は、現職の首相が弱小出版社を名誉毀損で訴るきっかけになったことでも話題をさらいました。
これを機に政治家が名誉毀損の訴訟を相次いで起こすようになりました。同時期に、言論弾圧につながりかねない個人情報保護法も制定されました。NHKに対する安部、中川らの弾圧も同時期に起こった事件でした。自民党とは名ばかりで、自由でない民主的でない本性をむき出しにしていった時代なのでしょう。
巳喜雄市政もこの時代の流れに順調にしたがったものです。コバンザメの脳ミソ、ケジラミの心臓とでも言いましょうか。
投稿: 杉山弘一 | 2009年9月25日 (金) 08:45