市民活動支援センターについて考える(4)
市民活動支援センター設立準備会第4回会議の議事録がようやく公開された。職員体制についての議論が進んでいるので、事実を明らかにしておく。
センター長を含めた3名の公募職員がセンターを運営するとの触れ込みであったが、実態は市の職員2名がセンター運営の中心的役割を担うのである。公募予定の3名の職員は、時給制の臨時職員である。センター長の勤務時間は、15時から20時くらいで時給が800円台、2名のスタッフの勤務時間は夕方から20時くらいまでで時給が700円台だ。昼間は2名の市職員が担当するというのだ。
これでは、3名の公募職員はおまけにすぎないのではないか。2名分の正規職員の職場を確保するのが真の目的ではないか。そう、勘ぐらざるをえない。
このような勤務条件で、臨時職員にどのような仕事を期待するというのだろう。どのような責任を負わせることが出来るというのだろうか。市の正規職員の給与を時給換算すれば、3000円以上になる。センター長が有能な方で長としての責任を負うとすると、あまりにも不公平ではないか。
先般、消費生活センターの職員の待遇(有資格者で極めて多忙なのに非常勤だそうだ)があまりにも悪いので、その向上を求める運動が行われていた。これと同じ問題だと思う。一方で、能力も不要で、責任もほとんどない振興局長の年収が1000万円というのだ。あまりにも不公平だ。
ここで、興味深い記事を紹介しよう。市長が進めようとしている市民協働が何をもたらすのかを考えるきっかけにして欲しい。(杉山弘一)
「官製ワーキングプア」と「市民」の感覚
「ワーキングプア」という言葉はもはや定着した感があるが、2008年頃から、「官製ワーキングプア」に関する報道も目立ち始めた。これは、行政が直接雇用する非正規職員(臨時・非常勤職員)や、外郭団体で働く労働者、さらには、指定管理者や市場化テストなどで「官製市場」に参入した民間企業等の労働者の処遇があまりにも劣悪なことから、行政みずからワーキングプアを作り出していいのか、という批判の中で生まれた言葉である。
自治労や自治労連の各種調査によれば、保育所、病院、図書館などで市民サービスを担っている臨時・非常勤職員の多くは年収200万円未満であるとされ、ボーナスも支払われないことが多い。ボーナス支給日になると「身分の差」を思い知らされてつらい、というのはよく聞く話である。そこで、かねてより、労働運動は、これらの職員にわずかでも一時金等を支払わせようと努力してきた。もっとも、そのレベルは控えめである。例えば、大阪府枚方市の場合、非常勤職員の年収は一時金を合わせても正規職員の5割程度にすぎない。したがって、均等待遇の理念からも、その処遇はさらに改善されるべきという方向性は広く共感してもらえるに違いない、と思っていた。
ところが、である。近年、非常勤職員に対する一時金や退職金支給が違法な公金支出だ、と主張する住民訴訟が増えているのである。その根拠とするところは、地方自治法が、常勤の職員には「給料」と「手当」を支払えるが、非常勤の職員に支払えるのは「報酬」のみと定めているからというものである(地方自治法203条の2、204条)。総務省も、旧自治省の時代から、この条文を機械的に解釈して、非常勤職員に一時金(期末手当等)、退職金(退職手当)は支給できないとしていた。
しかしながら、恒常的な職に就き、常勤と変わりなく働き、場合によってはかなりの残業もしているのに、名目が「非常勤」という理由だけで一時金等が一切支給できないとするのは、あまりにも実態を無視した議論である。そこで、近年、労働実態が常勤的であるときには、これらの「手当」の支給は可能とする裁判例が増えつつある(例えば、東村山市事件・東京高判平20.7.30、枚方市事件・大阪地判平20.10.31。いずれも裁判所ホームページに掲載)。
私が問題にしたいのは、非常勤職員に対する一時金等の支給を違法と主張する「市民」の感覚である。彼らはいったい何のために住民訴訟をしているのか。自治体が一時金等の支給をやめてしまったら、それでいいのか。彼らは、これらの職員が福祉や社会教育など住民サービスの最前線で献身的に働いている事実を知らないのであろうか。低賃金労働者によるサービスを享受してきた「市民」の立場からすれば、本来、正すべきは、正規職員との格差と処遇の劣悪さであり、声を上げるべきは、それを改善する方向ではないか。それを顧みず、差別と貧困の温存にしかつながらない「権利」行使は、正義に悖るものではないのか。
「官製ワーキングプア」問題で問われているのは、こうした「市民」の感覚でもある。
城塚健之弁護士 労働判例983号(2009.9.15)の「遊筆」より
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