千明金造は、即刻、辞職せよ!
千明金造は、産業廃棄物不法投棄疑惑について、自らの言葉で真実を語れ!
現片品村村長、千明金造による産業廃棄物不法投棄についての怪文書を、私が書いたと疑われた件について、8月29日、「姑息な真似はしない。」に書いた。とはいえ、私が書いたものではないという客観的証拠があるわけではないので、あらぬ疑いを持たれたことは釈然としない。そこで、私なりに知ったことをコメントに書いた。その後、千明金造の疑惑について、8日に始まった第8回定例会初日に萩原日郎議員から出た緊急質問について、この質問を議案として取り上げるかどうかが賛成6名、反対7名で否決になったまでの顛末を、9日のコメントに書いた。ただし、否決の直後、金造が議長席に近づき、議長に何かを言い、暫時休憩になった。議員経験のない私から見ても、この流れに不自然なものを感じた。
今日、ある議員から聞いて、傍聴席からは知ることのできなかった不自然な流れの中にあった事実を知った。つまり、金造は議長に対して、緊急質問が議案として否決になったのだから、記録から削除して欲しいと言ったそうだ。要するに、すべてなかったことにしてくれ、と言うことだ。議事録にも載せず、議会だよりにも載せないでくれ、と言うことだ。よほど村民には知られたくないのだろう。
これが、何を、意味するか。
千明金造による産業廃棄物不法投棄が確実にあったということである。怪文書にある「現村長は、以前、あるメーカーの下請け工場を経営していた時、製品の洗浄水を小川に流し、下流の魚が死んだり、産業廃棄物の有害物質を近くの土地に埋めたりした」ことが事実であることを、自らが認めたということだ。何年も前に、金造が道ばたで立ち小便をしたという類いのこととは、問題の次元が違う。
環境問題を避けては通れない時代に、環境保護のシンボルである尾瀬の麓の片品村の村長として、金造がいままずやるべきことは、自らの存在を含めた自らの環境をきれいにすることだ。任期満了を待つ必要はない。即刻、辞表を書くことだ。それでもまだ、村長席の座り心地に未練があるなら、一度、身を引いて、小川に垂れ流したという洗浄水の汚染データと、近くの土地に埋めたという有害物質の詳細な調査データを示して、自らを総括した上での考えを謙虚に語り、全村民の信を問うことだ。
緊急質問について反対に回った村長派の7名の議員のうち、飯塚美明と星野千里もこのときの金造の議長への申し入れには疑問を呈し、暫時休憩の控え室で金造自らが事実を語る方がいいと言ったそうだ。それならなぜ、本会議の場で反対に手を挙げたのか。
つまり、私が片品村の議会さえ信用できない理由はここにある。村長派は何があっても村長に与し、反村長派は何が何でも反対する。そんな二元論的判断でいいのか、ということだ。私がこのブログの場を借りて書いてきたことは、元を糾せば、すべてこのあっちかこっちかの二元論的判断に端を発しているところに問題があるという指摘だ。
人為は、そもそも危ういものなのだ。そこをよく考えよう、というのが私の主張だ。大切なのは、他力。つまり、かいつまんで言えば、「お天道さまが許しはしません」ということだ。私が言う親公平公正、反不公平不公正とは、そういうことだ。(木暮溢世)
住民が意見を言う手段が怪文書しかない時代は、議事録から削除すれば、なかったことに出来たでしょう。しかし、ブログの出現で状況は変わりました。もはや、これまでの隠蔽工作は通用しなくなりました。それに気づかない村長は時代遅れの遺物です。
もっとも、片品村の救いは、村長に事実を語る方がいいと進言した側近議員がいたことです。沼田市長にはこういった進言をする側近もいません。
投稿: 杉山弘一 | 2009年9月11日 (金) 07:08
失敗のない人間はいない。一度の失敗は仕方がない。人間の値打ちは、失敗をした後その跡始末をどうつけるかで決まる。証拠を隠滅してなかったことにし、うやむやにするというやり方は、最も愚かなやり方である。千明金造は、環境を汚染するという失敗をした。そして今それをごまかそうとして、自分が下種で、到底人の上に立つリーダーの資格などないことを、自分で証明したのである。
投稿: 峯崎淳 | 2009年9月11日 (金) 08:40