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メンバーの裁判

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2009年9月 7日 (月)

筋や道義? そんなものはクソ食らえ!

 沼田市の入札についての記事があったので、では片品村ではどうなのか、私が経験したむらづくり観光課のポスター作成にまつわる一例を取り上げてみよう。
 東京赤坂から引っ越して丸1年たった04年6月始めにオフコースの元メンバーだった3人を呼んでライブをやったことで、役場は私の存在と職業を知った。林聖子元むらづくり観光課長から、これまで村が作ってきた観光ポスターについての感想を聞かれ、「大金をドブに捨てましたね」と答えた。尾瀬のハイカーの数がピーク時の半分に減っているのだから、他に切り口を探したらどうかという意見と、尾瀬以外にも白根、武尊、7つのスキー場と、周辺の自治体が羨むような豊富な観光資源も含めて考える必要があることも添えた。
 秋が深まった頃、その年度の予算で制作を進めていた前橋の印刷屋からのプレゼンテーションがあり、役場職員には判断できないからと、同席しての意見を求められた。同業のデザイナーの仕事に対してあれこれ言うおこがましさを感じ、所詮は感覚の違いでしかない表面処理について、私ならこうするというだけの意見で、その場をしのいだ。そもそもコンセプトもない案に、正直な意見を言うとしたら、一から考え直したら、と言うしかないのだ。
 このとき、林聖子は05年3月に予定されている入札参加資格審査の手続をとってくれと私に要請した。役場の仕事はできるだけ村内の業者に出す方針であることと、癒着や裏金などの疑惑を持たれないためにも、一般競争入札による公正な方法をとる方針であるとの説明があった。いまさら審査などされたくないからと断ると、審査といっても税の滞納があるかないか程度だからと言って、彼女は重ねて手続をとるように要請した。「来年のポスター制作をお願いしたいから」とまで、彼女ははっきりと言った。
 バブルが弾けて以降、毎年予算が削られてゆく厳しい状況の中で、何度もコンペに参加し、その都度、フリーの弱い立場は嫌と言うほど経験していた。制作一本で食っているクリエーターにとって、運転資金の足しにでもなればと制作費をサービスで出してくる代理店や大きな印刷屋の見積もりには太刀打ちができない。作品の内容で勝負するしかないのだが、さほどの遜色がなければ、やはり金額が左右する。
 そうした状況を経験を通して知り尽くしていた私は、落札する可能性が極めて低いことは承知で、役場との付き合いを考え、05年3月に入札参加資格審査の手続をとった。
 にもかかわらず、05年度、06年度のポスター作成に際して、むらづくり観光課から一般競争入札への声がかからなかった。これは、民法(明治29年4月27日法律第89号)第1条第2項に、「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行われなければならない。」とあり、民法で謳う信義誠実の原則から導かれる禁反言の法理に反する。つまり、平たく言えば、林聖子の案内に従って2階に上がった私の後ろから、彼女がはしごをはずしたということである。人として、筋の通らないことをしたのである。要するに、それはないだろうって話だ。
 声をかけなかったことについて考えられる理由はふたつある。そのひとつ。04年10月に発表された60人の上毛新聞第13期オピニオン委員のひとりに私が選ばれ、林聖子は、私が書く年7本のコラムで片品村を宣伝してくれるものと決めてかかっていた。村の人間が村に不都合となるようなことを書くはずはないと決めてかかっていた。しかし、群馬全域で私の視点が問われるコラムに、村の都合を斟酌する必要はない。私は感じていた村のおかしな点を意見提言として書いた。私にとって当たり前の行為は彼女の意に添わず、彼女には批判としか捉える資質しかなく、批判を好機と捉える志の高さもなかった。
 もうひとつ。広報かたしな05年2月号に、06年度から向こう10年間の総合計画策定への参加の呼びかけがあり、手を挙げた19人の顔合わせもないうちの4月号で、埼玉のコンサルが作った「尾瀬の郷」構想が発表された。住民投票で自主自立を決めたばかりの村にとって初めてといえる事業をコンサルに丸投げしたことと、形ばかりの住民参加に、おかしいと声を上げると、それも林聖子の意に添わなかった。
 この2点だけを見ても、むらづくり観光課長だった林聖子がお上意識を持って、住民を上から見ていたことがわかる。住民は行政の思惑の下にあるという理解なのだから、お上に楯突くとは何事かという気持ちだったのだろう。村長の補助機関である課長は、入札で誰を指名するか、誰から見積りをとるかに関して裁量権を有しているとはいえ、この程度の認識で裁量権を濫用されたのでは、住民としては納得できるはずがない。これは「権利の濫用は、これを許さない。」とする民法第1条第3項に違反し、明らかな違法行為である。そもそも民主主義とは、民が主であることを理解できない林聖子の知能程度を表す実例でもある。この程度の女が課長職を務めるのが片品村役場なのだ。
 05年度、06年度のデザイン部門での入札参加資格取得済みの全指定業者のリストと、両年度ポスター作成のための入札に参加した全業者のリストおよびその入札金額についての情報開示を請求したところ、デザイン部門全16社のリストと、両年度は随意契約により相手方を決めたので、入札に関する公文書は存在しないとの答が返ってきた。随意契約? 癒着などの疑惑を持たれないためにも、一般競争入札による公正な方法をとる方針であるとの林聖子の説明には、どれほどの意味があったのか。
 そもそも、随意契約には、費用対効果の面で、入札による契約よりも分がある場合にこそ、住民の納得が得られるはずである。例えば、100メートルの距離の歩道を整備するにあたって、当初75メートル分の予算が組まれ、残り25メートルについても、間をおかず予算が組まれることが想定される場合に、残り分について、75メートルを担当した業者に発注する方が、現場事務所設定や重機準備に経費が安く済むメリットがある。こうした場合には随意契約然りというわけだ。
 両年度のポスター作成に①随意契約を選択した理由と、②いかなる基準で全16社の資質を計り、何を尺度に見積書提出を2社に限定したのか、③その2社の社名と見積り金額について情報開示の請求をすると、①については、規定の限度額以内であれば随意契約ができることとする要件を示してきたが、これは随意契約にすることができる条件であり、随意契約を選択した理由を求めた私への答にはなっていない。村は、地方自治法施行令(昭和22年5月3日政令第16号)第167条第2項にある随意契約でできる要件のうち、同条第1号の価格以内だから問題はないと言い、確かに裁量権の逸脱はないにしろ、入札参加資格審査の手続をとってくれと言った林聖子の説明からの流れがあり、禁反言の法理に反する事実があったことを踏まえれば、村は随意契約を選択した理由を私にきちんと説明する道義的責任がある。
 林聖子や千明金造が05年度、06年度のポスター制作を受注した業者からいくらのバックマージンをとったかは知らない。それぞれの業者にふたりの身内や友人知人がいたかどうかも知らない。つまり、公正が期待できる一般競争入札の方法をとらず、随意契約を選んだということは、裏金や癒着など、あらゆる疑惑の可能性を否定できないのだから、疑惑につながる裏がないと言うなら、その証拠は奴らに揃えてもらおう。
 ②については、明確な資質も尺度も答えず、2人以上の者から見積書を徴さなければならないという要件だけを答えてきた。要するに、政令の要件の範囲であり、山間僻地の村独自の定め、要件は用意されていないということだ。ただし、皮肉な視点からひとつ考えられる要件を上げれば、それは、村のことすべてが奴らの思惑次第というわけだ。
 林聖子による、筋の通らない、禁反言の法理に反する事実があった上での随意契約を選択した理由と、2社を選択した根拠が不明であると異議申立てをしたところ、「名前は伏せてくれ」と言う片品村情報公開・個人情報保護審査会(以下「審査会」という)は、この件の原因になった禁反言の法理の点をスルーし、政令が定める随意契約にすることができる要件を上げ、②については、保管する情報のすべてを開示したものであるとして、村の判断を妥当とし、その答申を受けて、村は、村にはまったく非はないという決定を下した。
 審査会は、村長からその識見を認められて任命されたはずであるが、審査会にふさわしい識見を有しているとは到底考えられない。要するに、名前も明かさない奴らの言うことを誰が聞けるか、ということだ。そもそも審査会は、異議申立てがあったときに対応する諮問機関なのであるから、少なくともひとりは弁護士、あるいはそれに匹敵する法律の知識を備えている人物である必要があるが、法律の知識を備えていれば、審査会が特別職の公務員でありながら、「名前を伏せてくれ」はあり得ないのだ。
 つまり、法を守ろうという意識のかけらもなく、というより、日本語で書かれた法律を理解さえできない知能と、人としての筋を通す意味もわからない、道義なんてクソ食らえの片品村は、地方自治体を名乗ってはいるが、その実態は、これまでこのブログに書いてきた数々の違法の事実も含め、まともな地方自治体の体をなしていないのだから、その指定を即刻返上し、国なり県の直轄になる方がふさわしい。
 また、観光と農業が大きな産業の柱の片品村で、ペンションや民宿を始め、観光に関連する仕事を担うすべての人たちに、私がこの情報開示請求で知った事実をお知らせしよう。
 05年度、06年度に関して、村はそれぞれ群馬県内の2社と3社に、観光ポスター企画案と見積書の提出を依頼し、その2年とも、「尾瀬の郷片品村」をテーマに、「貴社独自のデザインで提案いただき、こちらの希望に添った物を選考させていただきます」という依頼をしているが、デザインが専門である私から見て、この依頼の仕方はあり得ない。そもそも「貴社独自のデザイン」に任せる場合、その制作者の名前がセールスポイントになるほどの知名度と卓越した感覚、技術を備えている場合に限られる。簡単な例を上げれば、デザイナーでいえば浅葉克己、カメラマンなら篠山紀信、イラストレーターでは和田誠、コピーライターをあげれば糸井重里などといったところだ。ただし、これらのクリエーターひとりのギャラだけで見積り金額を上回るから、もともと依頼は成立しないのだが。
 もっと厳しい現実を明かせば、広告業界で一線で通用するクリエーターは群馬にはいない。いるとしても、活躍の場は東京であるはずだ。多少の異論反論を覚悟で言えば、青山、赤坂、六本木で石を投げればクリエーターに当たると言われるほど多勢いるクリエーターに肩を並べられる程度のクリエーターも群馬にはいない。そうした才能はすべて東京に集中している。地方都市に一線の才能がいないわけではないが、ごく少数であり、しかもそれはほぼ六大都市に限られる。横浜でさえ東京のベッドタウンであり、そこに事務所を置くクリエーターは、東京と比べれば、わずかだが差は認めざるをえない。それが日本の広告業界の実態の一面である。
 つまり、片品村は、広告のいろはも知らないむらづくり観光課職員が、発注の仕方も知らないまま、だからと言って勉強をしようという気もないまま、一線では通用しないクリエーターに任せ、作品の評価もできないむらづくり観光課職員が良否を決め、毎年の観光ポスターを作っているのが現実である。しかも、環境省の出先機関である片品自然保護官事務所が「原油高や8月の悪天候により利用客が少なくなる要因が見られる時期もあったが、国立公園化による地元を中心としたPRの効果もあり、入山者は前年並みとなった」と言う08年度を見ても、尾瀬国立公園誕生という要素がありながら、入山者は前年並み。3年連続で推移している35万人前後という数字も、ピーク時の半分でしかない。村は、すでに結果が数字に出ているこんな宣伝効果もないポスターを作り、毎年大金をドブに捨てている。その費用を負担しているのは、観光に携わるあなたたちでもあるのだ。
 こんな無知、無能、無策のむらづくり観光課に、黙って宣伝広告を任せていられることが、私には信じられない。その結果が観光客数に出ているのに、あなたたちの生活がかかっているのに、なぜ「ノー」と言わないのか、私にはわからない。納税は国民の義務だからと、村税徴収嘱託員まで使って税金を取り立てられるのだから、それに見合う行政サービスを求めることは住民の権利である。なぜ、それを行使しようとしないのか、私には、どうしても理解ができない。
 蛇足だが、林聖子はいま村の行政相談員をしている。なぜ、こんな女がと思うし、他にもっとふさわしい人間がいるだろうと思うが、聞けば総務省の委託によるらしい。霞ヶ関の視野に入っていないのは容易に想像できるが、前橋から見ても、山間僻地の片品村は、まっ、どうでもいいということか。
(木暮溢世)

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コメント

 05年度、06年度のポスター作成に際して「貴社独自のデザインで提案いただき、こちらの希望に添った物を選考させていただきます」という依頼をしている以上、村内業者を見積もり依頼から除外する正当な理由は見あたりません。木暮さんを除外したのは村に楯突いたからとしか考えられません。言論の弾圧です。
 やっかいなのは、片品村に限らずアホな自治体は、「楯突いた業者を契約対象から除外するのは当然だ。何が悪い。」と本気で信じていることです。
 もっとも、あの最高裁でさえ、このような風潮の蔓延はまずいと思ったのでしょう。06年10月26日、これに釘を差す判決を出しています。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20061026161947.pdf
 これは、自治体の契約事務を担当している職員なら誰でも知っているような大きな判決です。
 そこで提案です。しかるべき機関に片品村の随意契約はこの判決の趣旨に反しているので、損害賠償請求をしたいと相談されてはいかがでしょうか。もちろん、片品村のしかるべき機関とは行政相談員です。
 どうなることやら。

 そもそも、私が村の不正と闘おうと決心したきっかけがこの件だ。私の中にある不正を嫌う気持ちを刺激して、村との闘いに村が背中を押してくれた(笑)。特に、村長がやりやすくなったと言う与野の数がイーブンになった2年前の村議選以降、村は、役場を生ゴミと言いながら、それに摺り寄る小バエ銀バエを重用し、ズブズブの関係を作って目に余るやりたい放題を重ねてきた。次々に明らかになる不正の数々が、次々に私にエネルギーをくれている(笑)。
 このブログのカテゴリー「片品村」に私が実名で書いてきたことは、すべてが事実である。役場が繰り出す違法の数々、それをごまかす詭弁の数々、それらはすべて私が確かめた事実である。昨年10月に5件の情報開示請求に始まった不正の追求は、わずか1年足らずで9件の異議申立て、1件の住民監査請求につながった。この異常な状況にもかかわらず、それでも村は、情報公開・個人情報保護審査会と監査委員を抱き込んで、絶対に非を認めない。観光にも農業にもビジョンのない村に、無法だけがある。
 もういい加減、こんな猿芝居のような学芸会は終わりにしようじゃないか。「仕方がない」はもう止めよう。いまそこにある不正に「ノー!」と言おう。それを放っておいては、何も変わらないし、何も生まれない。
 それとも、あなたも人間捨てて小バエ銀バエになって、甘い汁のおこぼれが欲しいか?

ポスターは、絵や芸術写真と似ているが、全く違うものである。何処が違うか? 絵や芸術写真は、作品自身が目的だが、ポスターはそうではない。何らかの目的があってその目的を達成するための手段が、ポスターなのだ。林聖子課長は、そうした認識が曖昧なまま、芸術作品を注文するような気持ちでポスターを発注したようだ。おかしなことになったのは当然の成り行きである。今までの発注もこの伝でやっていたから、目的に役に立たない芸術作品ができ、大金をドブに捨てることになったのだ。林聖子が全知全能を絞って考えなければならなかったのは、何のタメにポスターを作るか、ということだったのだが、それを考えるには、ポスターはどんなことが出来るか、ということを知らなければならない。その前に、片品村は貴重な村の予算を遣って村のために何をすればいいか、決める必要がある。村の目的である。これは林聖子の手に負える範囲を超え千明金造の責任領域であろう。もしその結論が尾瀬に来る人を増やすということなら、まず、どのようなメッセージを来る見込みのある人々につたえればいいかを考え、それを伝えるべき最善の経済的媒体を選定しなければならない。仮にポスターという媒体が費用対効果において最善となったときに初めて発注することになる。広告代理店は莫大な金を使って調査をやり、結論をみちびき出す。(しかし、そんなカネがないが、時代と市場の動きに敏感な広告屋の鋭い直感と天分豊かな制作者にお願いし斬新なポスターを作っていただく、という方法がある。バクチである。)
このような仕事をする分野を広告戦略および制作という。千明金造のするべきことがマーケティング戦略づくりである。片品村役場にはちと荷が重過ぎるようだ。専門家の知恵を借りようとしない傲慢には呆れるばかりである。すぐそこに、現役のばりばりがいるのに。才能豊かなクリエーターがいるのに、こんな田舎に!自分の幸運に気づかず、折角のチャンスをどぶに捨てるとは!
三顧の礼を尽くすべき相手にエストッペル(信義則違反)で怒らせるとはなんというもったいない!片品村民は林聖子と心中したいのだろうか?

午前中の議会を傍聴した後、午後から行政相談に行ってきた。しかるべき機関の行政相談員、林聖子には当事者としての自覚はまったく感じられず、持参した最高裁の判決も何処吹く風。私の言うことも判決も、理解さえできていない様子で、「損害賠償請求? 村に対してでしょ? やればいいんじゃないですか」。すでに辞職して役場職員ではないからか、何を言っても他人事。これには呆れて腹も立たず、テーブルをはさんで向かい合って話しながら、コミュニケーションさえとれないちぐはぐだけが残った。異星人? まっ、彼女から見れば、私が確実に異星人なのだろう。確かに違う時代を生きている。同じ日本人でありながら、流れている血が違う。
午前の傍聴の休憩のとき、ロビーの喫煙コーナーでたまたま監査委員と出会った。尾瀬国立公園記念事業の補助金の流れについて、監査委員と情報公開・個人情報保護審査会の見解の食違いを言うと、「審査会? それ、何ですか」。嗚呼、私は誰? ここはどこ?

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