格差と沼田(その4)農工両全の思想
鹿島アントラーズの本拠地鹿島は太平洋に接する臨海工業地帯の中心市である。ここにある広大な鹿島港には、鉄、石油などのプラントが並び、例えば住友金属(株)は製鉄、製鋼、圧延の一貫工程を持ち、自動車工業に不可欠の圧延鋼(鋼鉄の薄い板)を生産している。
現在の広大な鹿島港を見れば、昔からここに港があったと思い勝ちだが、そうではない。ここの海岸は名うての砂丘地帯で、延々と続く砂浜であった。鹿島港は、岩上二郎という当時全国一若い知事の、「茨城県民の貧しさを何とかしなければならない」というひたむきな思いから生まれた人造港なのだ。
太平洋の大波が押し寄せる砂浜に港を造ることは不可能とされていたのを、あっさりひっくり返したのは、北海道の苫小牧だった。砂を掘っても海が漂砂と呼ばれる砂を運んできて埋めてしまう、と信じられていたのを、猪瀬寧雄という土木技術者が独自に発明した調査方法によりある一定の深さ以上に掘り下げれば、砂は問題にならないことを発見した。
岩上二郎は、田子の浦に掘り込み港をつくった経験を持つ第二港湾建設局の坂本信雄に相談した。「鹿島に港をつくりたいと考えているのですが、むりでしょうか」
坂本は答えた。「できると思いますよ。苫小牧も出来ましたし、私が手がけた田子の浦も太平洋に面した掘り込み港でした」
坂本は技術的に解決すべき問題はいくつかあるが、最も大切なのは人だ、と言った。つくるとすれば工業港である。工業港だとすると十万トン級の巨大船舶を入れることを想定しなければならず、背後地として一千万坪の土地が必要となる。「その手当てはあなたにやっていただくしかない」と坂本は言った。
鹿島の土地はほとんどが民有地だった。いくら貧しいとはいえ、農家があり、漁師の家があり、人々がそこで生計を立てている。坪百円で買収するとしても一千万坪だと十億円、坪千円だと百億円になる。茨城県の予算総額が百億円そこそこ。そんなカネが出せるはずがない。
しかし岩上二郎は挫けなかった。この土地に住んで目を覆うような貧困に喘ぐ人々をどうしても救いたかった。どんな困難に遭おうともそれはやらねばならぬ使命なのだ、と岩上二郎は決心していた。
岩上二郎は後に自ら筆をとり、”農工両全”の思想について説明している。しかし、折から高度成長期に差し掛かっていた日本で真面目に耳を傾ける人は少なかった。岩上が救おうとした貧困に喘ぐ人々を支持基盤としているはずの反体制側からも「独占資本の手先」と攻撃された。
農業切捨ては、あくまで利潤の追求を第一とする資本主義の本質に根ざしたものであったが、岩上は「狭き門よりは入れ」というキリスト教の聖書マタイ伝の教えに従い、「命にいたる道」 を選ぼうとした。岩上は「キリストの十字架を通して神を信じる」クリスチャンだった。どういう意味かというと、キリストは「救世主」であると名乗って、ローマの圧政下にあるエルサレムに入った。民衆はキリストがローマのくびきから解放してくれるものと期待したが、キリストは「神の国の福音」を説くばかりでローマを追い払う英雄ではなかった。失望は怒りに変った。「ペテン師を十字架に架けよ」と要求したのである。キリストは自分を十字架に架けた人々ために祈りながら死んだ。「私も十字架は避けられまい」と岩上は考えていた。そのとき岩上は瓜連(うりづら)という小さな町の町長をしていた。「そのとき自分はイエスのように、自分に石打つ町民たちの救いを願い続けられるだろうか?」岩上二郎はそんなことを真剣に悩む男だった。
岩上は町長を一期務めただけで町政から身を退いた。私欲が跋扈する政治の汚さに耐えられなかったからだ。町長を辞めた岩上は茨城キリスト教短期大学の講師をしながら、演劇活動に打ち込んだ。
そこへ農村運動の活動家で農協の実力者である山口一門という男が、県知事に立候補してくれと言ってきた。「あなたに当選して知事になってくれというんじゃない。当落は問題じゃない。あなたは熱心なクリスチャンだからわかってくださると思うんだが、農民の政治教育のために、選挙という何よりの場を利用したいのです。あなたには、そのために”犠牲”になって立候補してほしいんです」。
「犠牲になってくれ」という山口一門の頼みは岩上の泣き所を衝いた。
奇妙な選挙運動が始まった。岩上自身は、自分に投票してくれとは、ただの一度も言わなかった。しかし、蓋を明けてみたら、四選を目指した自民党の現職に十万票以上の大差で当選していたのである。
知事になった岩上が改めて思い知ったのは、茨城県の後進性と、とりわけひどい鹿島町、神栖町、波崎町という海岸に沿った地域の貧しさだった。例えば、神栖の高校進学率は二十二パーセントで、これは、全国平均五十三パーセントの三分の一をわずかに超えているだけで、全国四十六都道府県中四十四位の茨城県の数値(四十四パーセント)のそのまた半分でしかなかった。
鹿島南部には、鉄道がない。舗装道路もない。幹線道路をバスがたまに通るだけ。道路が悪すぎ、自転車でさえ走れない。むろん高校などあるはずもない。
考えに考えた末に岩上が得た着想が、鹿島灘の怒涛が押し寄せる砂浜を掘って港を造ることだった。商業港はむりである。商社もないし、第一商社活動に必要なサービスを提供する伝統も能力もない。工業港だ。それも十万トン級の船舶が悠々出入りする巨大工業港である。
しかし、岩上は国家権力の下請けとして開発を進めるつもりはなかった。貧困に喘ぐ地域住民を救うためには、そうするしかなかったのだ。「”農工両全”は、不幸なものに味方し、悲しきものに涙し、人類永遠の平和を求めようとする思想だった。現実に不幸なものが存在し、同じ太陽の恵みに浴しえない環境にあるもののため、何とかレベルアップを図ろうとしているのに、道路も、鉄道も、港も、工場を誘致することも、すべて独占資本に奉仕するとして糾弾されるべきであろうか? あるいは、故意に所得の格差を増大させ、階級分化を助長させようとしている、と非難されるべきであろうか?」
この血を吐くような叫びが岩上の本音であった。「資本主義社会において、農工両全の可能性を見出そうとするところに困難があり、悲しみがある。現実の矛盾が露呈されるところに、人間性の追及があり、政治行政の課題がある。きわめて困難ではあるが、資本の論理を人間のものにひきつけるまでは、あくまで人間の勝利を求めつづけて行こうとしているところに、私の基本姿勢があることを理解していただきたい」。
農工両全は、その後どうなったか? 人々は高度成長に酔いしれ、農を省みなかった。農業を粗末にする国民は滅びる、とヨーロッパ人は堅く信じている。
米国式の新自由主義に玉を抜かれた自民党は、農業を荒廃させたばかりか、日本社会そのものまでおかしくしてしまった。麻生太郎は、今頃になって行過ぎた市場原理主義を是正するなどと言いだしている。しかし、現象の後追いをする軽薄さに希望はない。政権交代は必然であろう。
ただし、岩上二郎の成熟した思想性の高さを思わせるものは、民主党にもない。
岩上二郎が瓜連という小さな農業の町から生まれたのを見れば、沼田からだって高い思想性を持つ、高潔な政治家が出ていい。西田、星野と続いたダメ市長の悪政は、沼田を県でも最も遅れた後進市にした。財政は破綻に瀕しているのにムダ使いは一向に止まない。
ここらで、われわれは立ち止まり、周囲を濁らぬ目で眺め、どうすればいいか、じっくり考えようではないか。(峯崎淳)
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