片品語録
東京から片品に引っ越して6年がたった。その間に聞いたいくつかの耳に残った言葉がある。都会の感覚には絶対になじまない、そのいくつかを上げてみよう。価値観の違いと言われれば、確かにその通りなのだが、観光と農業の片品村にとって、首都圏、特に東京、神奈川の人たちの感覚を知るヒントにはなると思う。聞く耳を持っていればの話だが。()内は言葉の主。
まわりと同じことをしろ。そうしないと受け入れられない。(近所の人)
つまり、300坪の土地を借りて畑をやれと言う。引っ越して来たばかりの私への、彼の善意からの言葉はわかるが、畑をやりたくて片品に引っ越したわけではない。そんな私の思いは一顧だにしない。要するに「個」は後回しということだ。何事にも集落優先、「個」の意識があるのかさえ疑わしい。
住民票はどこ?(星野千里)
初対面での初めての言葉。つまり、住民届けを済ませ、村の住民にならないと信用しないという意味に私は解釈した。ただし、この女のところに転がり込んで隣で亭主面をしている男は、住民票を高崎に置いたままという。愛があれば土地の差なんて、というところか。そもそも、人を信用するかしないかの尺度に住民票を持ち出すことが星野千里の思考回路を表している。この女、上毛新聞尾瀬支局に配属された記者にも同じ質問をしたらしい。片品村では、この程度の女が議員を務めている。
県が片品に目をかけてくれているときに、片品の人間が県を批判されては困る。(前々むらづくり観光課長)
引っ越してきた翌年、上毛新聞社から声がかかり、04年11月から書くことになった「視点オピニオン21」に「県職員の見識を疑った」と書いたとき、当時の女課長からそう言われた。小寺が金正日で、片品は喜び組か。そもそも、片品に引っ越したとはいえ、私は役場の下部組織に属したわけではない。表現の自由もあるし、何より群馬全域で私の視点が問われるコラムに、私の考え以外の思惑など斟酌する必要もない。ちなみに、私がその見識を疑った県職員が、いま片品村の教育長を務めている。呼んだ方も呼んだ方だが、呼ばれた方も呼ばれた方。いったい何を考えているんだか。
ああいう人、片品では初めてだから、どう対応したらいのかわからない。(前々むらづくり観光課長)
上に書いた女課長が同級生にこぼした言葉である。答は簡単。5400人の村民と同じに対応すればいい。それが公平公正ということだ。そもそも、5400人の村民一人ひとりに合わせた対応ができる能力もない女のつけあがった勘違いである。直属の部下の複数に「課長と話しても…」と言われてしまうレベルの女が課長を務める。それが片品村役場である。
タイミングが悪いんだよ。(板金塗装工)
上毛新聞社から「視点オピニオン21」に意見提言を書かないかと声がかかったのは、引っ越して来た翌04年。私個人と上毛新聞社との間の契約である。県も村役場も一切関係ない。板金塗装工の彼の認識にあれこれ言うつもりはないが、私は、片品村の住民にはなったが、役場の下僕になったつもりはない。私の意見提言を書くときに、県と村の絡み、役場の都合は、私の関わるところではない。
役場が金をくれるから。(産直農家)
村役場がお上意識で住民を下々として見ている。そんな印象を持った私に、ある産直農家の人が、ほとんどの村民は役場をお上と思っていると言った。理由を尋ねると、「役場が金をくれるから」と。この乞食根性が日本を一億総乞食国家にした。その費用、816兆。役場がくれたという金を、子孫の世代が背負わなければならない。この国家的犯罪の主犯は自民党、補助金をもらった人々は、故意はなかったとはいえ、間違いなく共犯である。私の独断だが。
村との付き合い方を知らない。(元闘士)
ある朝、まだ寝ているときに、彼が怒鳴り込んで来た。確かに、村との付き合い方は知らないが、具体例をあげてくれと尋ねた。彼の奥方がラベンダーを焼酎につけ込み、香りが染み込んだ原液を水道水で薄め、コロンとして商品化、そのラベルのデザインを頼まれた。不純物に不純物を加え、不純物で薄めて、雑菌の繁殖はないのかが引っかかったが、彼女には考えがあるようだったので、それ以上言うのは止めた。印刷屋に頼む規模でもなく、当初は自前のプリンターで対応したが、一枚一枚手差しの作業中は完全に拘束される。しかも、ほとんど原価、売れてからでないと金は払えないでは、仕事としては付き合いきれない。ウィンドウズ用のデータに変換、用紙の型番も伝え、印刷は自分でやってくれるように言って、手を引いた。これが、気に入らなかった。しかし、デザインは私の生業であり、趣味でやってきたわけではない。
彼があげたもうひとつの例。仕事の合間を利用してモザイクの技法で尾瀬のあれこれをモチーフに、生活雑貨の小物を作っているタイル工の若者と知り合った。アートとしてやりたいと言う彼に、早い時期にデッサンを習うことを薦めたが、これが余計なお世話だったらしい。アートの世界では、どんな分野であれデッサンから始める。村との付き合いはそんな当たり前を否定するらしい。だったら、いつまでも尾瀬をモチーフにあみやげ品を作って、スーベニ屋に置いてもらったらいい。せっかくの技術がもったいないとは思うが。怒鳴り込んで来た元闘士、いま村会議員をやっている。あの頃の熱は忘れないでほしい。
昼寝をしていたから、30分後に出直してくれ。(前教育長)
下小川の川のほとりにある「少年哲学堂」の世話人をしていた人から言われ、初めて訪ねたときの言葉である。無礼な奴だと思ったが、世話人の顔を立てて家に戻ると、15分ぐらいして「準備ができたから」と電話が来た。再び訪ねると、昼寝をしていたと言ったときと同じ浴衣のまま、いきなり牧水と山頭火をかまして来た。15分は、世話人に電話をして、私の簡単な身元調査に費やしたらしい。私を計っているのか、自らの文化人であることをアピールしたいのか、いずれにしろ、無礼な対応に呆れた。
この男が翌年、片品村教育長になった。私から見ると、彼は知識をひけらかすことに終始し、村と県からの230万の補助金を使って2回の演劇をし、任期1年を残して腰かけの職を辞め、逃げるように家族のいる埼玉に帰った。初めて教育のプロが来ると歓迎した連中も、やりたかったのは演劇かと、背を向けたらしい。役場の人事にまで口を出していたことに反発もあったと聞く。
村で生まれ育ち、村民性を熟知した上での傲慢にほころびが出たということだろうが、そもそも、こんな資質の人物に騙されることに問題がある。
異議な?し。(自称ジャーナリスト)
第3次片品村総合計画策定に際して、住民参加の呼びかけがあった。手を挙げた19人が集まらないうちに、あらかじめ埼玉のコンサルが作っていた「尾瀬の郷」構想が発表された。筋が違う。何のために呼びかけたのか。策定委員長(前教育長)が「みなさんが集まった席で、村長が決定案として自分の考えを発表することがおかしいですか?」と声を荒げ、唯々諾々の3人が「異議な?し」。直後に村長が立ち上がり「申し訳ありません」。この辻褄、どう合わせるのか。要するに、形ばかりの住民参加。どこを切っても金太郎飴の総合計画。黒を白と言い張る教育長に、「何事もおっしゃる通り」のひとりは、いまは村議のひとり。いい加減にしてくれ。
気に入らなければ、出ていけ。(民宿経営者)
2年前の村議選で、当選が決まった後開かれたある村議の祝勝会で、後援会長が「これで少しは村のことがわかっただろう」に続いて言った言葉。無投票とはいえ、応援した候補が当選し、酒も入って気が大きくなっていたのだろう。ただ、私がどこに住むか、こんな下衆な奴にとやかく言われる筋合いはない。周りに言い過ぎを指摘され、この男、いきなり土下座をした。みっともない。男なら堂々としていろ。
それより、気になったのは、夕方5時に当選が決まり、1時間後にはテーブルに並んだ豪華な刺身、寿司の盛り合わせの数々。場合によっては、これが出陣祝いになっていたらしい。ということは、投票になっていれば、公選法違反の「供応」にあたるんじゃないのか。
私、木暮さんて人、大嫌い。(主婦)
知り合いから、○○の奥方がこう言っていたと聞いた。この人を私は知らない。顔も名前も、存在さえも知らない。○○のがついていたから、○○の奥方か、という程度で、何の感慨もない。星野千里の仲良しだと聞いて、なるほどとは思った。ただ、それだけ。まっ、よその奥さんから「好き!」と言われても、困るけどね(笑)。
文章に書いて公表するのは、喧嘩を売るってことだ。(土木業者)
上毛のオピニオンに書いたときもそうだったが、「市民の目!沼田」に初めて村のことを書いたときも、こう言われた。とり方も人それぞれだが、どうとるかによって、その人が垣間見えたりもする。実名で書いている以上、どんな反応が来ようと向き合う覚悟はしている。逃げも隠れもしない。いつでも、誰とでも話す準備はできている。そもそも、事実を確かめた上で、法律や条例、規則に照らしておかしいと言っているのだから、喧嘩を売られたととるか、村の運営を改善し、活性化するための貴重な情報源ととるかは、千明金造の村政に取り組む志による。
何故、そんなことをするのか、わからない。(元主婦)
「市民の目!沼田」に村の批判を書くことについて、こう言われた。確かに、何の得になるわけではないのだから、損得でしかモノを考えない人にはわからないだろう。ただ、村の現状は、昨日までみんながやってきた結果である。引っ越して来てからの6年間について、私は5400分の1の責任があると思っている。肯定できない現状がある以上、その責任を果たすために、おかしいことはおかしいと声を上げようと思っている。「許せない」という、単純だがはずせない理由もある。
従兄弟なんで、よろしく。(集落の人)
前回の村長選のとき、近所の人から電話でこう言われた。同じ集落に住んでいることが、彼の従兄弟への支持につながるという考えを私は持っていない。あくまでその人物次第だ。このブログに書き始めて以来、私を完全に反村長派と捉えている人がいるようだが、村長派か反村長派か、そういうあっちかこっちかの二元論も私の構図にはない。敢えて言えば、第三極。親公平公正、反不公平不公正である。片品村が変われるとすれば、そこにしか可能性は残されていないと見ている。次の村長選が2ヶ月後に迫ってきた。いまのところ、あっちとこっちにひとりずつ。どっちが勝っても、シフトが変わるだけだと思っている。果たして、第三極から出る人物はいるのか。私? ん? そもそも、他所者を村長として迎えようという度量があれば、こんな村にはなっていない。
(木暮溢世)
大変な才能である。この文章を読むと片品村がまるでパンツの裏までよく見えて来る気がする。このような方を大事にしない片品村とはなんという人材豊富な村か、と驚く。よほど人材が溢れているのだろう。いや、正確には、溢れていると思っているにちがいない。沼田もそうだが、本当に住民のことを考えてくれる人を、尊重するどころか、必死になって貶めるのが、利根沼田の特技なのだ。そして、狡知に長けた詐欺師にころりと騙されてしまう。私がいつも感じるのは、「下から上は見えない」ということ。利根沼田の住民は、そう言っては失礼だが、最低である。自分たちのレベルより上は見えない。つまり、何も見えないのである。
投稿: 峯崎淳 | 2009年8月22日 (土) 13:52