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2009年8月20日 (木)

ダルタニャン君に反論する

 ダルタニャン君のコメントにコメントする。以下ダル君のコメントを黒で、峯崎のコメントを赤で書く。

「非公開=密室という論理のすり替えは、おかしい。既に木暮記事に対してコメントをつけましたが、会議を非公開にしても、議事録を公開すればいいでしょ。杉山理論だと、ゼロベースで議論して、議論は全部公開で、誰でも等しく意見を述べられればいい会議だと言うことになりますけど。それはフォーラムと呼ばれる意見収集の機会(consensus building、p(Public involvment)の話であって将に動かんとする瞬間の意思形成(disition(decisionのことか?) making)の場ではありません。後者の会議の非公開が非合理だというなら、その根拠を示すべきだと思います。前者と混同されているのは良くない。

現代英語のforumは、place of or meeting for public discussion; periodical etc. giving opportunity for debate etc. ; という風に定義されています(COD/オックスフォード・コンサイス辞典による)。つまり、「公衆が集まって討論する場所、また集会」のことです。カタカナのフォーラムも英語と同じなら、公衆が討論する場はすべてフォーラムということになります。ダルタニャン氏が言う、意見収集の機会のことであって、意思形成の場ではない、というのは、意見としては認めても、それは常識的理解とはずれているようです。
もうひと言付け加えるなら、ダル君、よく知りもしない英語を持ち出さない方がいい。Decision making のdecisionの綴りを間違えるようでは、失礼だが、君の英語力は中学以下だ。CODという辞典は英語を書く多くの人が、アメリカ人も含め、最も信頼して使っている英語辞典です。沼田にもこういう辞典を使って英語を書いている日本人がいるんだ。なめてはいかんよ。

 杉山氏が指摘したのは、市民意見の反映と情報公開の推進を提言した同じ人が、「市民活動支援センター設立準備会」を非公開にしたことの矛盾である。宮崎嘉久委員長が、先週会議を開いて、今後も住民の傍聴を許さず非公開の密室で審議を進めることを決めたのは、以前言っていたことと真向から矛盾するではないか、と杉山氏は問うているのだ。宮崎嘉久は二枚舌ではないか、と私なら端的に言うところだが、杉山氏は気品があり、穏やかに指摘している。私と違い、個人攻撃は氏の好むところではない。

故に、議事録公開に反対していないのに、宮崎さんを名指しして隠蔽だというのは、良くないですよ。絶対に良くない。それでも隠蔽だというのなら、ぜひ隠蔽の定義を教えていただきたい。

ダル君、君は少し頭が悪すぎないか? 非公開=秘密会=隠蔽誰だってわかる単純明快な等式だよ。おまけに、議事録まで削除しているんだぜ。

そうすると杉山さんは自分の思い通りにならないと全部嫌なんでしょうけど、だったら委員に公募すればよかったじゃないですか。また市民活動センターは公設公営にするから、いずれ条例化するでしょう。そのときパブリックコメントにかけるでしょうから、ぜひ、ご意見を言ってはいかがですか? またいずれ応募する市民活動センターの運営委員になったらよろしいんですよ。

以前市長の悪口を書いたら、お前が立候補したらどうだ、と言ってきた仁がいた。私には行政能力はないし、今更勉強する気もない。しかし、気に入らない市政に文句を言う権利はある。馬鹿なことは馬鹿なことだとはっきり言う権利がある。

ただし、アリーナとフォーラムの違いは踏まえるべきであって、そういうのを全部混同して議論をした気になるのは良くないです。

「アリーナとフォーラムの違い」とは何のこっちゃ? arena と forumのことかね? それなら辞典に出ている。アリーナは、ローマ時代井の円形劇場の中央部分のことでそこでいろんな競技が行われたことから、「闘争の場」という意味になった。フォーラムは先ほど見た通りだから、ダル君、君が言いたいのは、闘争の場と議論の場を混同してはいけない、ということかね?

ゼロから議論をするときに淀川方式をとるのは合理的だと思います。協働推進会議なんかは、ゼロから議論しているんだらか淀川方式でやるべきでしょうね。でも市民活動センターは既に前年度検討会議が答申をだしたわけで、それに基づく会議なのだから、別に淀川方式でやらなければならない理由はない。

杉山氏は非公開に憤慨しているのであって、ゼロから議論をやり直せなどとは、全く言ってない。

積極的にクローズにする理由はないと思いますが、逆に積極的にオープンにする理由も見当たらない。どうするかは、局所をと洗えて(局所を洗う? 不潔なのは臭うけど誰もそんな話はしていない)あげつらうことをせずに、全体の流れで考えるべきです。全てオープンにしたところで、「そもそも活動センターの検討自体がおかしい」と頓珍漢なこと(そんなことは市長に言え!)をいう人が出てくるわけで、この産みの苦しみの時期に議論が深まるとは思えません。

ダル君、杉山氏が言っているのは、非公開でなく公開せよ、ということ。公開にしたら、誰が「活動センターの検討自体がおかしい」と言いだすんだ。傍聴人がかね? それとも委員かね? 委員なら非公開にしても言うよ。それとも非公開なら言えない理由があるのかね?ダル君、君の議論は支離滅裂で議論になっていないよ。

むしろ、「中身を一旦創ったあとで、お披露目会や定期的なセンターの見直しで様々な問題に対応していく」という結論の方が、この段階では合理的です。

杉山さんの市民活動=情報公開、市民による市政参加ですよ。それは市民活動の片方だけでしかない。なんでそんなに矮小化してとえらるのか、逆に聞きたい。市民活動なんて、行政とは無関係にやりたいようにやればいいでしょ。市民活動には2つの流れがある。ひとつは、自分のやりたいことをやりたいようにやること。もうひとつは、自分たちの活動で分かった地域の課題や問題を、行政に突きつけて政策を改善していく参加・運動。杉山さんは、この二つを混同しているんですよ。市民活動センターは、前者を支援するのであって、本来のカタチの協働が後者です。この後者の役割を市民活動センターに期待しても、そもそもセンターの目的外なのだから、検討する必要がないでしょ。

ダル君、君の議論はありもしない亡霊に向って槍を突き出す気の触れた突撃兵みたいだ。杉山氏はなにも混同なんかしていない。君だよ、勝手に混同を拵えているのは。そういうのを捏造と言うんだ。

そもそも与えられていない役割を、やってないから、市民活動を阻害しているなんていうのは、詭弁でしかないと思いますが。

この文章は、論理的に破綻している。が、君が言いたいのは、宮崎会長には、会議を公開にする役割は与えられていない。その与えられていない役割を会長は当然やっていない。それを捉えて市民活動を阻害していると言うのはお門違いだ、と言いたいのでしょう? 公開にするというのは、誰かに与えられる役割、なんかではないよ。そこが君の大きな間違いだ。情報公開の精神、現代自治制度の基本原則が公開なんだ。この原則に反することを行う場合にこそ、その理由を開示し、市民の許しを乞うのが会長たるものの義務だ。宮崎嘉久もかつての言動がウソでなければ、この原則を認めるはずだ、そうだろう、宮崎さん。

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ダルタニャン君に反論するを参照しているブログ:

コメント

峯崎さん、反論になってませんよ。あなたやっぱり団塊世代でしょ? 支離滅裂とか、とりあえず、相手を貶める用語を使って、自分を優位に見せようとする。「今日闘えないやつが、明日闘うといっても僕は信じない」というアジテーションの上手いひとを知っていますが、そういうのもう流行らないですよ。

その程度じゃ、ダルタニャンを釣るのは無理ですよ。英語のつづりの間違いを鬼の首を取ったかのように宣伝して、何がしたいんですか? 品性が卑しいのは、ご自身も認めるところなんですね。彼は、あっさり謝ると思いますよ。

また貴方ご自身がアリーナとフォーラムの知識が無いために辞書だけ引いて満足してるのは、多分僕より全然年上だと思うんですけど、なんか情けないです。「市民参加と合意形成」って本読んでますか? 手持ちの知識だけで、議論吹っ掛けてもダメですよ。(アリーナ、フォーラムでグーグル検索しましたか? http://www.ef.cuc.ac.jp/KYOMU/grad/info/06pub/20061209/streaming/ppt/ihdp20061209-021.htm

そういう手間を惜しんでいるのに、人のミスは許せない。それでもそれを通せば立派ですけど、あなたも同じミスしてるでしょ。

「情報公開の精神、現代自治制度の基本原則が公開なんだ」というけど、そもそも現代自治制度って何ですか? ちょっと検索すれば、それが基本用語じゃないことわかるでしょう。ダルタニャンのは批判しておきながら、自分も同じことをする。そういうのを語るに落ちたというんですよ。いい年して。要するに現代行政の基本原則のことを言いたいんですか? だったら、その原則は情報公開だけじゃないでしょ。他の原則はどうするんですか?木を見て森を見ず。それもまた情けない。

ダルタニャンがいう、あげあしをとらずに、できることろからやるしか社会は変わらないという問いかけに、何一つ答えず、人の細かいミスをあげて、貶めて満足に浸る。そういう貴方みたいな人ばかりだから、沼田は良くならないし、若い人が育たない。ご自身を省みる必要があるんじゃないですか。人のミスをあげておいて、自分も同じミスをする。本当に情けないです。

御託は判りました。情報公開、情報公開と言い続けてください。批判にもならなアジテーションは、ほぼ生き甲斐なんでしょ。本当に世代を感じます。非建設的。貴方みたいな立派な人がいるから、沼田市が変わらないんだと良くわかりました。

管理人のひとりとしてお願いします。
峯崎さん、表現を少しおだやかにするように配慮願います。
unoさん、団塊世代とか、個人の出生に関する問題はこの議論とは関係ないので、謹んでください。また、議論の範囲を無意味に広げるのも避けて下さい。反論は相手の発言の範囲に絞るように心がけて下さい。
以上、議論が暴走しないためのお願いです。
 なお、この問題は私が提起したことですので、ダルタニャンさんのコメントに対しては論点を整理した上で、丁寧に反論をしたつもりです。できたら、この整理に添った形で、論点毎に議論を展開して下さい。また、お三方の了解が得られれば、論点毎に議論を整理した記事を立ることも考えます。

uno さん
 私はアリーナとフォーラムの知識はまったくありませんでした。せっかくアドレスを教えていただいたので、原科論文を読んでみました。その範囲での私の理解を書きますので、間違いがあればご指摘をお願いします。
 日本は批准していないオーフス条約(環境に関する、情報へのアクセス、意思決定における市民参加、司法へのアクセスに関する条約)の中で市民参加の条件として3つの段階が示されています。
フォーラム(情報交流の場)  情報へのアクセス
アリーナ (合意形成の場)  意思決定における参加
コート  (異議申立ての場)  訴訟へのアクセス
 市民参加はフォーラム、アリーナ、コートという枠組みの各段階において公共空間での議論が保障されなくてはならないというものです。
 しかし、これはあくまでも市民参加の問題であって、合意形成の場への参加といっても、議会の決議や庁義にもとづく決裁という自治体の意思決定行為そのものに住民が参加することではありません(法的責任を負えない者に意思決定権限もない)。あくまでもそれ以前の段階の意見聴取手続に過ぎないのです。(市民参加が有効に機能してくれば、結論は近づいてきます。)
 そうしてみると、特定のテーマについて諮問し答申するという審議会への類はすべて、自治体の意思決定(議決・決裁)の前段としての意見聴取手続ですから、アリーナに分類されるのだと思います。フォーラムに分類されるのは、沼田で言うふれあい広場など市長との懇談会や公聴会の類でしょう。
 「淀川方式」も行政の諮問委員会である淀川水系流域委員会に関するものですからアリーナです。この点は、原科論文に「八ッ場ダム計画の問題 極めて不合理な意思決定、参加の場が不十分」とある事からも明らかです。答申を出す審議会を、フォーラムに分類するのは無理があると思います。
 淀川方式とはアリーナの枠組みにおいて、意見聴取、形だけの応答から、意味ある応答の段階に高めるための努力・工夫と評価すべきでしょう。審議会の実質化です。
 また、オーフス条約では、3つの枠組みすべてにおいて、公共空間での議論を求めています。これは、審議会を含めた市民参加の場を公開にするということを意味しているのだと思います。審議会が非公開で良いと言う見解とは真っ向から対立するものです。

uno君、君のアリーナとフォーラムの定義は、Newspeakの類だよ。つまり、そんな定義は、英語の普通の解釈ではなく、誰かが恣意的に定義しただけ、その誰かの本を読んでないものにはちんぷんかんぷんだ。その本をまるで福音のように崇めるのは君の勝手だが、それを読んでいない者を無知呼ばわりするのは、狂信者のすることじゃないか。たとえその本が、優れたものであっても、読みたくない者は読まなくて構わない。Newspeakというのは、ジョージ・オーウェルのつくった言葉で、Ingsocという名の一党独裁の社会主義専制国家では、体制(ビッグ・ブラザー)が言葉を支配し、言葉は特別の意味を持つ。例えば、doublethink という言葉は、相反する二つの考えを同時に持ち、二つとも受け入れる思考方法のことだ。沼田のエライ人に好く見られるから、われわれにもよくわかる。片方で情報公開をしろ、と言いながら、会議を非公開にするなどというのは、まさにそれだね。
でも、Newspeakはオーウェルを読んだことのない人には、意味がわからない。
uno君のアリーナとフォーラムも下手をすればそれに類する。そんな区別は、一般的、常識的な英語とは言えない。その知識がないからといって相手を全共闘世代と極めつける、感心できない論法だよ。もっとも、私ははるかに年上だが。

 アリーナとフォーラムの定義が書いてあるのは(unoさん紹介)、日本学術会議IHDP分科会、日本環境共生学会で東京工業大学の原科幸彦教授が講演でつかったレジュメです。
それなりの権威があるものです。
 ここに、ダルタニャンさんが激しく気にしておられた公人についての記述もあります。
「公人とは通常、議員や公務員など、公職についている人のこと。」
 しかし、議員は公務員ですから、この定義は間違いです(同教授はこの後が言いたくて社会学的な意味で安易に書いたのでしょうが)。公人とは、公務員や公選による公務員の候補者と定義するのが一般的です。
 権威者だってこういう初歩的な間違いをおかすのです。だから、行政の言うことを鵜呑みにしない「市民の目」が必要なのです。

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