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メンバーの裁判

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2009年8月19日 (水)

小さな街で起きた大きないじめ事件

-いじめに過去はない-

 松谷みよ子著『わたしのいもうと』という作品は、「絵本 平和のためのシリーズ」に入った作品である。実話を元に書かれ、「わたしのいもうとのはなし きいてください……。」という語り口で始まる。いじめにあった妹は自殺してしまう。作者は作品の前書きの中で、いじめについて、「自分と同じでないと許せない。誰かを差別することで自分を保つ。ほんのいたずらだったのに、加害者はそう思っている。忘れてしまう。いじめを見過ごすことは、アウシュビッツへの道だと思う。」と語っている。

 市内で1年半前に起きたいじめ事件。被害者が被害届を出せば、大事件になるいじめを、学校と市教委は隠ぺいした。情報開示で書類を取ると、黒塗りばかりであった。学校はいじめをお互いのふざけあいと書いている。事件の本質に関わる説明部分を、学校は「他」とのみ記載し、事件が何もなかったかのように、市教委に報告した。市教委は事実を詳しく知りながら、その報告書を県教委に報告した。
  私は、再発防止のためにずいぶん動いたが、解決まではいかなかった。市教委に再調査・再報告書の提出を求めたが、市教委は何もしなかったからである。
   なぜ、学校と市教委がこの事件を隠ぺいしたか?
  加害児童に有力者の子どもが関わっていたことと、それを公表するとあまりに大きな事件となること、この二つの事が考えられる。

 私は、松谷氏が実話を元に、『わたしのいもうと』という作品を書いていじめについて問題提起をされたように、この問題を小さな街の過ぎた事件にしてよいとは思わない。あちこちでいじめに遭い、なやみを抱える子どものためにも、この件をどこかで公にしなくてはいけないと考えている。いじめを隠ぺいしたと考えられる、学校、市教委、そしてこの有力者、この闇とどのように向き合うか、思案中である。 ペンネーム  ざしきわらし

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コメント

 ペンネームで書かざるをえないざしきわらしさんの心中をお察しします。そのことが大きな問題でもあると思いますが。
 この件については、前から聞いていましたが、私なりに思うところを。「再発防止のために」という目標、大き過ぎませんか? お仕置き次第では、この件に加害側で関わった子供達の再発は防げるかもしれない。しかし、毎年毎年新しい一年生は誕生するわけで、再発そのものを防ぐのは難しいと思います。 徹底的に追求するなら、先ずは足元からという原則にしたがってやったらどうですか?
 子供の事件ですが、問題の根っこは大人達の対応にありますよね。公表するとあまりに大きな事件になるからって、そうなると困るのは関わっている大人達でしょ。子供達のことなんかまったく考えていない。 報告書に「お互いのふざけあい」と書いた、おそらく担任教師だと思うけれど、こいつがそもそもふざけているわけで、その報告書を「了」とした学校長、教育委員長、少なくとも、こいつら3人の名前を公にして、誰がどう関わったか、その演じた役割を公表したらどうでしょう。いくらろくでもない連中でも、まさか関わった子供達に影響が及ぶような出方はしないでしょう。それさえ信用できなかったら、追求は諦めるしかないけれど。
 私個人としては、有力者の名前を公にしてもいいと思っています。だって有力者なんですから、テメエの子供を守る力ぐらいあるでしょう。知力は知らないけど、体力はありそうだし(笑)って、茶化しちゃいけないけれど、自分の子供のしつけもできない人物がいるにふさわしいポジションじゃない。
 批判をどう捉えるかは、批判される側の資質も問われるわけで、教育に携わる人間には、それなりの資質と、それにふさわしい志を持っていてほしいと思いますよね。それがあって、結果として再発防止も期待できるわけですから。

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