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メンバーの裁判

« 格差と沼田(その2) | メイン | 小さな街で起きた大きないじめ事件 »

2009年8月17日 (月)

市民活動を阻害する人達

 元愛媛県警の仙波敏郎さんと並んで興味を抱いている元公務員がいる。宮本博司さんだ。元国土交通省近畿地方整備局河川部長、いわゆるキャリア官僚だった方である。
 宮本さんが注目されるようになったのは、10年前、建設省の淀川工事事務所長時代に、行政の諮問委員会である淀川水系流域委員会を立ち上げたときからだ。同委員会は徹底した情報公開の方針をうちだし、4年半に及ぶ議論の末、事業中のダム計画凍結という異例の結論を導き出した。異例中の異例の出来事である。これを政治家ではなく、現職のキャリア官僚がやったのだ。
 行政の諮問委員会で、どうして、そんな結論が導き出せたのか。その手法が興味深い。まず、同委員会の透明性を確保するため、事務局業務をお役所ではなく民間に任せたのである。そして、中立な審議をするため国の計画原案を当初から示さなかったというのである。その結果、会議は4年半で450回にも及び、激論のあまり委員がどなり合う事もしばしばだったという。「結論ありきではなく、開かれた住民参加の場で、きちんと議論しましょうよ。」という簡単そうで実は難しいこと。それが、住民のための河川行政を願う一人の官僚の信念と知恵で実現されたのである。

 淀川水系のダム建設については、その後も紆余曲折があるらしいが、淀川水系流域委員会の手法は「淀川方式」と呼ばれ、河川管理のあり方だけでなく、審議会のありかた、ひいては住民自治(=民主主義)のあり方にも大きな一石を投じた。この意義は大きい。

 今、官僚バッシングの嵐がすざましいが、こういうときこそ仙波さんや宮本さんのような本物の公務員を見分ける目を持たねばならない。一律に官僚批判をするのではなく、本物の公務員が誰かを見抜き、大切にしなければいけない。

 この宮本さんが、7月20日、群馬県にきて講演をされた(仙波さんも7月31日に群馬にきている)。八ツ場ダムに反対する方たちが招聘したものである。私は、残念ながら都合が付かず、講演を聴く事は出来なかったが、参加した方によると、評判通り信念と知恵が滲み出た講演だったそうだ。

 八ツ場ダム問題については、賛否両論があるが、反対派が必ずしもダム不要論者ではない宮本さんを招聘した真意は、単に反対を主張することではなく、「結論ありきではなく、開かれた住民参加の場で、ダムの必要性をきちんと議論しましょうよ。」と言うことにあるのだと思う。ダムには賛否両論あるだろうが、こういう活動が行政から自立した市民活動であることは間違いない。

さて、我が沼田市である。

 昨年の「市民活動支援センター設置検討委員会」(宮崎嘉久委員長)は、当初から市の原案を示し「支援センター設置を決めるのが目的だから、それに沿った会議でなければ目的が達成できない。」(第1回会議)と反対意見を封じたうえで審議を行った。また、「市民活動支援センター設立準備会」(宮崎嘉久委員長)は、先週会議を開いて、今後も住民の傍聴を許さず非公開の密室で審議を進めることを決定した。議事録も削除されたままだ。いずれも、「淀川方式」に逆行するものである。「結論ありきではなく、開かれた住民参加の場で、ダムの必要性をきちんと議論しましょうよ。」の対局を行くものである。

 これらの愚行が、住民のための行政を願う宮本さんのような本物の公務員の信念と知恵を踏みにじるものであることは言うまでもない。そればかりでない。行政の支援を受けることなく自主的に宮本さんを招聘した市民団体の方々の努力も踏みにじるものだ。自主的な市民活動を阻害するものだ。また、6年前の「沼田市まちづくり市民参加検討会議」(三河洋三座長、公募委員だけで構成され、市が原案を提示することなく公開で審議された準淀川方式の審議会。)の提言を反故にするものでもある。同会議の委員による自主的提言という市民活動を阻害し、沼田市の市民参加を大きく逆行させるものだ。

 これらの愚行をおこなった両委員会の委員長は、市民意見の反映と情報公開の推進を提言した「市民協働推進基本方針検討委員会」の委員長でもあった。また、住民参加と情報公開の推進を盛り込んだ第5次総合計画を審査し妥当であると答申した「沼田市総合計画審議会」の会長でもあった。情報公開を唱える方が、実は情報隠蔽に加担している。ここに沼田の悲劇、いや喜劇がある。

 誰が、市民活動を阻害しているのか、明らかだろう。(杉山弘一)

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市民活動を阻害する人達を参照しているブログ:

コメント

非公開=密室という論理のすり替えは、おかしい。既に木暮記事に対してコメントをつけましたが、会議を非公開にしても、議事録を公開すればいいでしょ。杉山理論だと、ゼロベースで議論して、議論は全部公開で、誰でも等しく意見を述べられればいい会議だと言うことになりますけど。それはフォーラムと呼ばれる意見収集の機会(consensus building、Public involvment)の話であって将に動かんとする瞬間の意思形成(disition making)の場ではありません。後者の会議の非公開が非合理だというなら、その根拠を示すべきだと思います。前者と混同されているのは良くない。

故に、議事録公開に反対していないのに、宮崎さんを名指しして隠蔽だというのは、良くないですよ。絶対に良くない。それでも隠蔽だというのなら、ぜひ隠蔽の定義を教えていただきたい。

そうすると杉山さんは自分の思い通りにならないと全部嫌なんでしょうけど、だったら委員に公募すればよかったじゃないですか。また市民活動センターは公設公営にするから、いずれ条例化するでしょう。そのときパブリックコメントにかけるでしょうから、ぜひ、ご意見を言ってはいかがですか? またいずれ応募する市民活動センターの運営委員になったらよろしいんですよ。

ただし、アリーナとフォーラムの違いは踏まえるべきであって、そういうのを全部混同して議論をした気になるのは良くないです。ゼロから議論をするときに淀川方式をとるのは合理的だと思います。協働推進会議なんかは、ゼロから議論しているんだらか淀川方式でやるべきでしょうね。でも市民活動センターは既に前年度検討会議が答申をだしたわけで、それに基づく会議なのだから、別に淀川方式でやらなければならない理由はない。

積極的にクローズにする理由はないと思いますが、逆に積極的にオープンにする理由も見当たらない。どうするかは、局所をと洗えてあげつらうことをせずに、全体の流れで考えるべきです。全てオープンにしたところで、「そもそも活動センターの検討自体がおかしい」と頓珍漢なこと(そんなことは市長に言え!)をいう人が出てくるわけで、この産みの苦しみの時期に議論が深まるとは思えません。

むしろ、「中身を一旦創ったあとで、お披露目会や定期的なセンターの見直しで様々な問題に対応していく」という結論の方が、この段階では合理的です。

杉山さんの市民活動=情報公開、市民による市政参加ですよ。それは市民活動の片方だけでしかない。なんでそんなに矮小化してとえらるのか、逆に聞きたい。市民活動なんて、行政とは無関係にやりたいようにやればいいでしょ。市民活動には2つの流れがある。ひとつは、自分のやりたいことをやりたいようにやること。もうひとつは、自分たちの活動で分かった地域の課題や問題を、行政に突きつけて政策を改善していく参加・運動。杉山さんは、この二つを混同しているんですよ。市民活動センターは、前者を支援するのであって、本来のカタチの協働が後者です。この後者の役割を市民活動センターに期待しても、そもそもセンターの目的外なのだから、検討する必要がないでしょ。

そもそも与えられていない役割を、やってないから、市民活動を阻害しているなんていうのは、詭弁でしかないと思いますが。

行政官の周囲をうろうろし、審議会や諮問委員会の長に成りたがる爺さん、婆さんがいる。行政の手伝いをして、勲章にありつこうとする俗物であるが、問題は、そういう俗物には、見識というものっと無縁で、役所に媚びることしか能がなく、結局市民の利益をふいにする手合いが多いことである。沼田を群馬最低の市にするのに手を貸してそんなに嬉しいか?

ダルタニャンさん、たくさんのコメントありがとうございます。一度に回答する体力もないし、議論が紛糾しないように、一つの問題毎に回答しようと思います。
 まずは、「非公開=密室という論理のすり替えは、おかしい。」について。
 国会や地方議会は、非公開の会議を「秘密会」(憲法57条1項、地方自治法115条1項)と読んでいます。これを審議会(行政委員会)に類推適用し、「秘密会」を「密室で審議」と表現したまでです。論理のすり替えも飛躍もありません。なお、国会や地方議会での秘密会も議事録は情報公開法、情報公開条例の非開示理由がない限り公開しなければなりません。

ダルタニャンさん、続きです。
「会議を非公開にしても、議事録を公開すればいいでしょ。」について
 良くありません。
 第1に、国会や県議会のTV中継が、議事録の画像だけになったことをイメージすれば解りやすいと思いますが、傍聴と議事録の閲覧では得られる情報の量、質がまったく違います。
 第2に、非公開ならば議事録をすり替えたり都合の悪い発言を削除しても解りません。また、議事録にすべての審議内容が記録されるとも限りません。
 したがって、会議を非公開としたと言うことは、会議を傍聴することでしか得られない情報の提供を拒んだと言うことであり、その限りで情報隠蔽なのです。

 関連するので、少し飛びますが、「故に、議事録公開に反対していないのに、・・・隠蔽だというのは、良くないですよ。」について。
 会議の公開非公開は(議会の本会議など法令で決まっている場合を除いて)その会議体が判断できることですが、議事録の公開は情報公開条例で決まっていることであり、会議体が判断出来ることではありません。
 よって、同準備会で議事録の公開の可否について議論したとすれば、それこそトンチンカンな越権行為なのです。仮に、議事録の非公開を決めたとしても、その議決は違法かつ無効です。

 もう、ひとつ関連で、「積極的にクローズにする理由はないと思いますが、逆に積極的にオープンにする理由も見当たらない。」について
 ほぼ同じメンバーで構成された昨年の設置検討委員会の第1回会議で会議の公開を決めていること、これまで、市民参加検討会議、市民協働推進会議、市民協働推進基本方針検討委員会など市民参加・市民協働に関する審議会がすべて公開とされてきたこと、私が委員会宛に公開の申し入れをしていることなどからすれば、同準備会は積極的な理由があって、秘密会と決めたと考えます。
 仮に同準備会が、積極的な理由もなしに非公開と決めたとすれば、それは、住民の知る権利を理由もなく侵害したことであり、不要な疑念を市民に抱かせることにもつながる愚行です。
 なお、私は審議会は原則公開の立場をとっています。審議会を傍聴することで得られる情報は主権者である住民のものであるからです。情報公開条例16条6項が、わざわざ「情報公開審査会を非公開とする」と規定しているのも、公開が原則だからです。また、昨年の議会活性化検討委員会でも、議員がこれらの審議会に「(委員になるのではなく)傍聴に行くことが大事だと思う」(大竹議員)と審議会の公開が原則であることを前提とした議論がなされています。

<「秘密会」を「密室で審議」と表現したまでです。>とさらりと言うんだけど、まったく意味が違うとおもうんだけど・・・。辞書引いたけど。テロ対策問題を審議する秘密会と、密室で審議することは、全然機能が違うんじゃないですか。密室審議と、非公開の会議も意味は全くうよね。これを皆おんなじだと判断するんが、普通なんですか?

ダルタニャン氏が、いつも指摘するんだけど、情報公開の対象とその意味を本当にわかってますか?もちろん、こちらの認識不足だったら謝りますけど。この検討会議は、条例に基づく付属機関なんですか? そんな条例しらねぇから、市長の私的諮問機関だと思んだけどどうですか。私的諮問機関と、議会や国会の秘密会と、教育委員会などの行政委員会と、情報公開審議会などの条例に基づく付属機関とは、全く違うと思うのですがどうですか? 国会や議会の情報公開のルールが適応されるんですか? その根拠を教えてください。杉山さんは、これを全て同じだというんですか。行為に公共性があるって論理で? それは無理があるってダルタニャン氏に指摘されてましたよね。

これも私の勘違いだったら謝りますけどね。実体が重要なんでしょ。私的諮問機関なんて公務員と同等の待遇を受けてないでしょ。それなんにみなし公務員とか準公務員なんですか? 無理があるんじゃないですか? ワンワンと鳴く動物を、猫と名づけるのは杉山さんの勝手ですけど、それはやっぱり犬ですよ、とダルタニャン氏が言うと思います(笑)。

杉山さんも、峯崎さんも。あまりにも行政が憎くて眼鏡が曇っていませんか? ダルタニャン氏の指摘の意味わかってますか? 市民のあげあし取って自己満足に浸る暇があったら、市民のレベル上げるために建設的な努力をしませんか? センターを潰すのではなくて、育てていくことを考えませんか?って、言ってるのが判りませんか? みなさん全共闘世代ですか? 最初は面白かったけど、結局、若い世代がこのブログに関るのは不毛なんかね。

会議の公開についての参考情報です。
神奈川県の愛川町の自治基本条例
http://www.town.aikawa.kanagawa.jp/reiki_int/reiki_honbun/ag23303661.html

(会議の公開)
第15条 町の審議会、審査会、その他の附属機関及びこれに類するもの(以下「審議会等」という。)の会議は、法令又は条例等に特別の定めがあるものを除き、公開するものとする。ただし、次の各号のいずれかに該当するときは、当該会議を公開しないことができる。
(1) 会議において、愛川町情報公開条例(平成16年愛川町条例第2号)第6条各号の規定に該当する情報に関し審議するとき。
(2) 会議を公開することにより、公正かつ円滑な審議が阻害されるおそれのあるとき。
2 町は、前項に規定する審議会等の会議を開催しようとするときは、会議名、開催日時、会場、議題、傍聴の方法その他必要な事項を事前に公表しなければならない。ただし、会議の開催が急を要するときは、この限りでない。
3 町は、第1項に規定する審議会等の会議を開催したときは、原則として会議録を作成し、会議資料を添付して公表しなければならない。

我孫子市自治基本条例(案)
残念ながら否決されたものです。
(審議会等の傍聴者の発言機会の保障)
24条 市議会と行政は、審議会等の会議を原則として公開するとともに、傍聴者に発言の機会を保障しなければなりません。

ダルタニャンさん、続きです。
会議の種類、運営方法に関してです。

1 以下のご意見に対してまとめて回答します。

「それはフォーラムと呼ばれる意見収集の機会の話であってまさにに動かんとする瞬間の意思形成の場ではありません。」「前者と混同されているのは良くない。」
「ただし、アリーナとフォーラムの違いは踏まえるべきであって、そういうのを全部混同して議論をした気になるのは良くないです。」
「後者の会議の非公開が非合理だというなら、その根拠を示すべきだと思います。」

 審議会は執行機関の諮問機関ですから、自治体を代表して意思決定をする権限を有していません。意思決定をする権限は執行機関(この場合は市長)にあります。市長は、審議会の答申を参考にして、独自の責任で意思決定をします。つまり、審議会は参考意見聴取の場でしかないのです。よって、貴説にしたがった場合でも、審議会はすべてフーラムに分類されるのです。
 そして、市長という執行機関は独人制ですから、会議で意思決定をするわけではありません。意思決定にかかる会議の公開・非公開の問題はおきません。もっとも、これは机上の理論で、実務上は市長一人で執行機関としての意思決定をしているわけではないでしょう。答申を参考にしつつ、部長会、庁議で意思決定をすることが多いと思いのだろうと思います。今回は、これらの会議を公開しろと言っているわけではありません。(これも公開しろと言う意見もあります。庁議の議事録を公開している自治体も多い。)

2 「杉山理論だと、ゼロベースで議論して、議論は全部公開で、誰でも等しく意見を述べられればいい会議だと言うことになりますけど。」について

 原案を提示しないということはゼロベース(意味によりますが)で議論することではありません。私の考えは、むしろ逆で、良い会議には、入念な事前の準備が不可欠です。
 この点、裁判員制度を思い浮かべれば解りやすいと思います。裁判員はゼロベースで有罪無罪、量刑を判断するわけではありません。出来るはずがありません。その前に、公判前整理手続と言うのがあります。そこで、検察側と弁護側の主張が異なる部分を裁判官が調整して整理するのです。これが重要で(だから異論もある)、裁判員は公判に提出された争点についてだけ、判断していくのです。この際、各争点について、裁判官が原案を与えることはありません。
 審議会もこれと同じで、事務局が事前に論点を抽出し整理して、委員に整理した形で提示すべきなのです。ここが重要なのです。原案を提示しないと言うのは、各論点毎に諮問者がどちらの案を採用したいかを明示しない言うことです。
 例に出たので触れますが、市民協働推進会議が提言をまとめることが出来なかった最大の理由は、この論点整理がされていないからなのです。諮問者側が何が論点になるかさえ把握していなかったからなのでしょう。そのような状態では、専門的な知見を有しているわけでもなく、調査権限もない委員は、小舟で大海に投げ出されたようなものです。何を審議して良いのか解らなくなってしまい(そもそも諮問者が解っていないのですから)、議論が発散してしまうのです。

unoさん、コメントとありがとうございます。
 質問なのか、ご自身の意見なのか、他の方の意見の引用なのか、よく解らないので、整理して頂けるとありがたいです。 
 そして、私が引用した文書はちゃんと読んで下さい。長い資料を読みもせず、よく解らないことは、調べもせずに、意見なのか質問なのか、ぼやかしたままにして、何でも私に調べさせるというのは、甘えすぎだと思います。
 また、会議の公開問題、情報公開のルール(条例)の問題、審議会の法的性格の問題、審議会の委員の身分の問題、論評の対象の問題(名誉毀損の問題)は関連はありますが別の問題ですので、これも整理して頂けるとありがたいです。
 なお、市民センター新設についてのご意見をお持ちのようなので、この点は、コメントではなく、記事として投稿してみませんか。私は、市民センター新設には反対ですが、必要論を掲載する事は大歓迎です。非公開の審議を擁護することよりも建設的だと思います。

審議会の公開に関する参考情報です。
毎日新聞の記事です。
http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20090805ddlk40010404000c.html
「直方市の小中学校の規模や適正な配置を検討する市教委の諮問機関、市立学校通学区域審議会(会長・河鍋好一福岡教育大参与)は4日、市中央公民館で初会合を開き、今後の会合を非公開とすることを決めた。傍聴に訪れた市民からは「密室の審議になる」と批判の声が寄せられた。」

ダルタニャンさん、続きです。

委員に公募、パブリックコメントについてです。

1 「それでも隠蔽だというのなら、ぜひ隠蔽の定義を教えていただきたい。そうすると杉山さんは自分の思い通りにならないと全部嫌なんでしょうけど、だったら委員に公募すればよかったじゃないですか。またいずれ応募する市民活動センターの運営委員になったらよろしいんですよ。」にについて

 この部分は失言でしょう。
第1に、「そうすると」が何を受けているのか不明です。
第2に、隠蔽云々やその前の会議の公開問題をうけているとすれば、そのことと私が「思い通りにならないと嫌だ」ということは論理的につながりに欠けます。
第3に、嫌だという感情は内心の問題であり、内心にとどまる限りその自由は絶対的に保障されます(憲法19条)。私が「思い通りにならないと嫌だ」と発言したのならともかく、内心にとどまっている限りは批判の対象とはなりません。内心を批判することは、踏み絵同様、内心の自由の侵害になりかねない違憲行為であり、論争においてやってはいけないことです。
第4に、委員になったとしても、思い通りになるわけではありませんから、「嫌なんでしょうけど」から、「公募すればよかった」は論理的なつながりに欠けています。
第5に、後段であなたが言われることは「意見を言うなら、委員になって言うべきだろう。」という命題です。この対偶は、「委員でなければ意見を言うな。」ということになります。そうすると、委員でないあなたが意見を言うことも否定されてしまいますから、主張自体が論理矛盾を含んでいます。また、これような主張は、例えば交通弱者の意見を排除することになりかねません。審議会の開かれる時間帯は仕事の都合が付かない人の意見を封じることにもなります。つまり、憲法で保障された請願権や表現の自由を侵害し、市民参加の推進を阻害しかねない暴論です。

2 「また市民活動センターは公設公営にするから、いずれ条例化するでしょう。そのときパブリックコメントにかけるでしょうから、ぜひ、ご意見を言ってはいかがですか?」について

これは、前提事実の誤認に基づく発言です。
沼田市にパブリックコメント制度はありません。私も委員の一人だった市民参加検討会議、市民協働支援センター設立のきっかけとなった市民協働推進基本方針、さらには市議会などいろいろなところでいろいろな方が、同制度の創設を何度も提言されていますが、市長の返事は一貫して否定的です。やる気がないのです。
もちろん、センターの条例制定時もパブリックコメント募集なんてあり得ません。それが、市民参加を阻害したい人達が蔓延している沼田市の実態です。

ダルタニャンさん、最後です。
市民活動支援センターの役割について。

1 「杉山さんの市民活動=情報公開、市民による市政参加ですよ。それは市民活動の片方だけでしかない。なんでそんなに矮小化してとえらるのか、逆に聞きたい。」

 前段のあなたの主張は主張としては解りますが、後段の質問に結びつけてしまうと議論になりません。たとえが悪いですが、これでは、「おまえはバカだ」と言った後に「何でおまえはバカなのか」と聞いているようなものです。バカになった理由がわかるくらいだったらバカではないでしょう。

2 「市民活動なんて、行政とは無関係にやりたいようにやればいいでしょ。」

 NPO法人を勝手に造るわけにも行かない、勝手に公民館を使うわけにも行かないなどの手続的な例外はありますが、基本的な趣旨はまったく同感です。

3 「市民活動には2つの流れがある。ひとつは、自分のやりたいことをやりたいようにやること。もうひとつは、自分たちの活動で分かった地域の課題や問題を、行政に突きつけて政策を改善していく参加・運動。杉山さんは、この二つを混同しているんですよ。」

 私の「やりたいこと」は、「地域の課題や問題を行政に突きつけて政策を改善していく参加・運動」です。それを「やりたいように」やった結果が住民訴訟なりこのブログです。私の場合、両者を分けようがないのですから、それをもって、二つを混同していると言われればそのとおりです。

4 「市民活動センターは、前者を支援するのであって、本来のカタチの協働が後者です。この後者の役割を市民活動センターに期待しても、そもそもセンターの目的外なのだから、検討する必要がないでしょ。」

 後者の役割はセンターの目的外だという点について賛成です。
 しかし、あなたが「でも市民活動センターは既に前年度検討会議が答申をだしたわけで、それに基づく」と引き合いに出す同答申は、「協働によるまちづくりを具体的に推進するため、市民活動を育成・支援する拠点施設(仮称)「沼田市市民活動支援センター」の設置」と言っているのです。
 これを素直に読む限りは、あなたのいう「後者の役割」つまり「本来のカタチの協働」を支援し活性化させることが、今造ろうとしている支援センターの目的、役割なのです。
 そうすると、答申は、あなたや私の考えとはまったく異なるのです。

5 「そもそも与えられていない役割を、やってないから、市民活動を阻害しているなんていうのは、詭弁でしかないと思いますが。」

 答申が、あなたや私が「与えられていない役割」だという「本来のカタチの協働」の支援をしようとしているから問題なのです。だから、支援とは名ばかりで実質は阻害になるといっているのです。
 あなたがいう「前者の役割」つまり「自分のやりたいことをやりたいようにやる市民活動」を行政が支援することについては害があるとまでは思いません。しかし、少なくとも12市でもっとも財政難の沼田市が、施設を新設し、新規職員を募集してまでやることではありません。現状の公民館や同施設内にある社協のボランティア活動支援センターを改善することで十分でしょう。
 結局、これほど意見が食い違った原因は、あなたは支援センターが「自分のやりたいことをやりたいようにやる市民活動」を支援するはずだろう想像し、私は「本来のカタチの協働」を支援すると想像していたことにあります。これこそが、意見の分かれ目となった論点なのです。
 そうすると今準備会がやるべき事は、行政が本音では、どんな市民活動を支援するつもりなのか。「自分のやりたいことをやりたいようにやる市民活動」なのか、答申にあるように「本来のカタチの協働」なのかをはっきりさせることだと思います。そして、この問題に関心を持った私たちがやるべき事は、行政や準備会にそれを明らかにするように求めることなのです。
 その結果、基本方針や答申のとおり、後者だとすれば、あなたの立場からは、それは「与えられていない役割」だよ、ということになり、私の立場からは有害だから止めろということになります。大きな食い違いはありません。
また、前者だと確認できれば、財政上の問題が残りますが、これも、あなたと私に大きな食い違いはありません。

ようやく方向が見えてきたようです。

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