格差と沼田(その2)
沼田市は県内でも最も遅れた市である。情報公開のランキングでは、群馬県の他のどの市よりも遅れている。行政も住民も最も意識が低い。県庁あたりで、沼田と言うと、滅多に口には出さないが、「ああ、馬鹿ぞろいの沼田か」という顔をされる。
どうしてこんなことになってしまったのか? 答えは、長年の農業蔑視の風潮と関係がある。工業、とくに高度工業を重視し、農業を蔑むのが、この国の指導者の共通した価値観となって久しい。高度工業社会こそ最も進んだ社会と、政治家も民衆も信じてやってきた。その陰で農業は、自立心に乏しく、能力もない、二、三流の人士が仕方なく従事するものと馬鹿にされてきたのである。そのような蔑視に晒されるうちに、農業者は誇りを失い、想像力を失っていった。昭和の初めに、農業の改革に取り組み、農村の尊厳回復運動を行った橘孝三郎は、農村の青年は、初めは知識欲に燃えていても次第に、盆踊りと猥談に仲間入りし意欲を失っていく、と言っている。
江戸時代から明治大正昭和まで日本の為政者が採った農業政策の本質は蔑視である。百姓は国の宝などと言いながら、百姓には人間の尊厳を認めなかった。
平成になって、高度工業社会が行き詰った。今度の金融危機はアメリカのカジノ資本主義の破綻だが、その影響は全世界に及んでいる。昭和初期の不況とよく似ている。全く無関係な日本の農民がひどい目に遭っている。農業をアグロ・ビジネスとして見直すとか、山間の過疎村に入って農業コンミューンをつくる試みなどが話題になっている。エコロジーの観点から農業の重要性を唱える人もいる。
やっと、農村蔑視、都会崇拝の価値観を見直すチャンスが出つつある。昔と違って農業は草取りのような単純労働が決まりではなくなった。その代わり、貧困から抜け出したければ、市場のメカニズムを知り、想像力を働かすことが要求される。しかし、農業の尊厳はカネさえ儲かれば得られるとは限らない。農業者の人生、生き方としての農業が、土を相手に作物を育て収穫して暮すことの深い意味を再発見しなければ、すぐもとの木阿弥になってしまうだろう。
新しい農本主義者が登場するときが来ている。
市の情報隠蔽は巳喜雄市長になってから際だっています。一般市民に対してだけではなく、議会に対しても情報を隠蔽しています。
一例として、昨年11月6日の議会活性化検討委員会での議員の発言を紹介します。
「情報が入ってこなくなった、情報は確かに伝わってこない。」(片野議員)
「当局の情報公開が原点、(これが)あまりにもなさすぎる。資料が出てこない。」(高橋議員)
「我々には、大事なことで来年度に向け予算内容がまったくわからない、3月に(予算案が)出てきたら審議するのはおかしいのではないか。(当局は)12月頃から中味を見ながら精査してやってきているわけで、その(予算編成過程の)情報が流れてこない。」(大竹議員)
「西田市長のときは、12月に全員協議会で財政、教育問題を説明している。・・・今の市長はやっていない。」(高橋議員)
「当局が何ら説明していないから、成り行き任せ。将来に目的を持って訴えてくるものが何もない。」(相田議員)
「市長もそうだし、当局も普段何をやっているかわからない。・・・経過がどうなっているのか、情報を出す場を設けて欲しい。」(大東議員)
議会もこういう情報をもっと積極的に公表すべきですが・・・
投稿: 杉山弘一 | 2009年8月17日 (月) 10:33