地方自治と沼田
徳川時代のガバナンスの真髄は農民を「生かさぬよう、殺さぬよう」に扱うことだった。「依らしむべし、知らしむべからず」情報秘匿こそ統治の極意とされた。
星野市政と沼田市役所は、まだ徳川時代の夢を見ている。カネがない、カネがないと口癖のように言いながら、ムダを省き、冗費を節約しようとはしない。星野が再選されるために、カネをばら撒く。それを知られないためにも、情報は出来るだけ隠す。
江戸時代の農村にも金持ちはいた。金貸しである。田舎の大地主の先祖を辿ると必ずといっていいほど質屋が居る。百姓にカネを貸す。返せない。土地を取り上げる。こうして土地持ちになる。そういう土地持ちの旦那衆が愚民を脅し、沼田を牛耳っていた。戦後の農地改革で不在地主が追放されたとはいえ、なんとか生き延びた旦那衆がいまだに強い影響力を持つ。
沼田に今必要なのは、反乱である。旦那衆などと威張っていても、元は百姓の膏血を搾り取った寄生虫の末裔である。もう大した力はない。民主主義とは民が自主的に代表を選ぶことだ。愚民扱いに終止符を打つのだ。
今度の選挙では、旦那衆の元締めである自民党と新興勢力の民主党という構図ができている。にわか作りの底の浅さが気になるものの、国民を愚民扱いしてきた自民党の傲慢不遜よりはましだ、と思う人が増えている。民主党が勝っても沼田がよくなるとはかぎらないが、沼田の票がどのように分かれるかは、沼田の将来に大いに関係する。七十四歳の老人が多数を取るようなら、彼の当落に関らず、沼田の将来は暗い。自民党は組織の締め付けを厳しくし、懸命に差を詰めようとしているようだが、風向きまで変えるのは難しかろう。小選挙区制では、結果が極端になることがすでに証明済みなのだから。
タイトル間違っていませんか?
「痴呆自治と沼田」では。
投稿: 杉山弘一 | 2009年8月13日 (木) 06:56