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メンバーの裁判

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2009年8月 6日 (木)

世間の常識以下?片品の識見

 「跳ねても黒豆」の中に書いた「名前は伏せてくれ」と言う片品村情報公開・個人情報保護審査会(以下審査会という)の3人の委員の氏名を公開しないことは、片品村情報公開条例(以下条例という)第7条1号ウに違反し、違法であるとして、7月22日、村に対して異議申立てをした。
 つまり、条例第7条1号ウによれば、「公務員等(地方公務員法(昭和25年法律第261号)第2条に規定する地方公務員をいう。)の職務の遂行に係る情報に含まれる当該公務員等の職及び氏名に関する情報」は非公開に出来ないとされており、地方公務員法第3条第3項2号によれば、「法令又は条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程により設けられた委員及び委員会(審議会その他これに準ずるものを含む。)の構成員の職で臨時又は非常勤のもの」は特別職の地方公務員である。そして、審査会の委員は条例第18条によって設けられた委員会の構成員の職である。したがって、氏名であっても非公開にはできない。ちなみに、条例第18条第5項には、「委員は、識見を有する者のうちから、村長が委嘱する。」とある。
 識見。広辞苑によれば、識見とは、「物事を正しく判断・評価する力。見識。」とある。つまり、審査会の3人の委員は、物事を正しく判断・評価する力、見識があると認められた者の中から選ばれ、その職を村長から委嘱されたのである。しかし、私は世間並みの常識はわきまえているつもりであるが、その私から見ても、「名前は伏せてくれ」と言う審査会の3人の委員に、物事を正しく判断・評価する力、見識があるとは思えない。
 3人の委員が審査会委員への就任を打診された時点で、仮に、上に書いた条例、法律の細かい条文までは知らなかったにせよ、それが村の公的な立場のものであることぐらいは想像できたのではないかと思う。なにしろ、識見があると認められた3人なのだから。加えて、知らなかったなら、打診を受けた時点で尋ねるなり、識見を有する3人にだからこそ誠意を期待するなら、受諾をする前に審査会の意味するところについて自ら調べることもできたはずである。にもかかわらず、3人の委員は「名前を伏せてくれ」と言う。
 行政不服審査法(昭和37年法律第160号)の規定に則って異議申立てをすると、村は審査会に諮問することになっている。その審議を経て審査会から出る答申を踏まえて村が決定を下す。7月22日に行った「審査会の委員の氏名を公開しないことは違法である」という異議申立てを「名前を伏せてくれ」という審査会が審議する。「跳ねても黒豆」に寄せられた杉山弘一氏からのコメントによれば、「泥棒が泥棒を捕まえるとはこのこと?」とあるが、いずれ出てくる答申を見れば、片品村が認めた識見の程度がわかる。わずかにでも世間の常識のレベルを上回ることを期待はするが、果たして…。(木暮溢世)

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世間の常識以下?片品の識見を参照しているブログ:

コメント

 検索サイトに「情報公開審査会委員名簿」と入力するとたくさんの自治体の委員名簿が出てきます。
いくつかピックアップして、審査会に証拠提出したらいかがでしょうか。立証趣旨は、多くの自治体で委員名簿が公表されており、不都合は起きていないこと。もっとも、情報公開に関して識見がある方たちですから、既にこの程度のことはご存じで、必要ないででしょうか。

「こんなバカな話があるか」と、私もすぐに検索してよその状況を知りました。クリックひとつで解るのに、役場はおそらくその手間さえ惜しむ。光が通じたことで、村も都会並みになったと思い込んでいるんでしょう。リアルタイムで情報を得られることは確かにいいことですが、それを手の内のものにして活かしてこそ価値があるのに、そこに頭が働かない。
面白い一例、村のHPの村長の挨拶、6月1日まで「明けましておめでとうございます」だった。めでたいのは、お前の頭だろ。ペンションや民宿の人たちにちょっと聞けば、お客がどうアクセスしてくるかが解るのに、そこに頭が働かない。それでいて、知名度上げたい、お客には来て欲しい。金を落として欲しい。奴の頭は、棚から落ちて来るぼた餅などないことも知らない。
その村長が識見を見込んで委嘱した審査会だから、まあ、想像はつきますが。村長がしばしば口にする言葉に「片品は人材に恵まれている」がありますが、そもそも優秀な人材に恵まれていれば、千明金造は村長をやっていない(笑)。

昨日は裁判員のニュースで持ちきりでした。裁判員の氏名は公開されませんが、映像と声はテレビでも放映されました。
裁判員なみに、顔写真を撮って公開しろというのはいかがでしょう。ぜひ、識見のある方のお顔を拝見したい。

コメント遅くなりましたが、この分野で最近関心があることはいかのとおり。以下、市民社会の醸成という観点から。

1.情報公開と説明責任の混同
情報公開は必要条件であって、十分条件は説明責任である。なぜか、情報公開を声高に叫ぶ人はこれを混同する。結果、情報が公開されても、中身のない回答がかえってくるだけ。理由が理由になってない場合に説明責任を求めることを義務付けた条例も最近増えてきた。ただしそれは、情報公開条例ではなく、自治基本条例である場合がほとんど。

2.会議の非公開
情報公開のための審議は、非公開でなければならないのは当然だ。公開するかしないかを決める会議を公開で行うのは矛盾だから。

一般的な審議会でも、意思決定に関わる会議は非公開でも問題ない。自由な議論や深い議論を公開すると、揚げ足を取られたりする。本音で議論するのは大切だ。ただしその際は、フォーラム機能を別途動かすべきだろう。

ただし、会議(meeting)と検討過程(deliveration or disscussion)は別だ。判例若しくは、論文で、埼玉あたりの自治体が、審議会は非公開であるべきだが、「議事録を求められたら公開しなければならない」と裁定したのを見たことがある。

その際でも、誰が何を発言したのかと発言者を特定できる部分(発言の前に氏名があれば)は黒塗り、非公開情報も黒塗りにする必要がある。

3.科学的手続…検証可能性
要するに検証可能性を残さないと、行政手続法上は不可だといってるんだと思う。
・審議会委員の名前を非公開にはできない。すなわち、審議会委員がかかる利害に中立なのか、外部から検証できなければならないからだ。
・審議会委員の肩書きも公開すべき。どのような肩書きとどのような職能で参加しているかを明らかにすべき。能力のない人が裁定を下していないか検証できなければならない。
・発言者は黒塗りにするのが妥当だが、議事録を公開すべきである。

そうすると通常は、利害関係のない弁護士と学識経験者で構成するしかないんじゃないだろうか。田舎の自治体は探してこないといけないから大変。というか、最初から気をつけないとコストがかさむな。

ダルタニャンさん、横やり失礼します。
1 行政の説明責任は、司法的救済が得にくいという問題があります。情報公開であれば、異議申し立てや非開示決定の取消訴訟などの司法的救済を求めることが出来ますが、説明義務違反があった場合、「もっと詳しく説明せよ」との答申や判決を求めることは困難です(そもそも、説明は司法の対象となる行政処分ではない)。情報公開だけを声高に叫んでいる(=司法的救済まで求める)ように思えるのは、両者を混同しているのではなく、こういう事情があるからではないでしょうか。 
 なお、私も委員だった「市民参加検討会議」が、6年前に、行政の応答義務(説明責任)を定めた市民参加条例(自治条例)を造ろうと沼田市長に答申しています。それに猛反対しているのが、市長以下市幹部、大部分の市議、市民協働推進会議などその後の審議会の大半の委員です。
2 一律に会議を全面公開とするのも適切ではありませんが一律に「意思決定に関わる会議は非公開でも問題ない。」も行き過ぎだと思います。会議の性質、構成員の性質などによって、検討し判断する問題でしょう。
 議事録の発言者氏名の黒塗りも同様だと思います。今話題の裁判員の評議は氏名も含め一切非開示ですし、氏名を含め全面開示すべき議事録もあります。手前味噌になりますが、群馬県情報公開審査会は、県議会の会派代表者会議の議事録を発言者氏名を含め全面公開すべきとしました。以下を参照下さい。たしかに、これじゃ見せたくなかったろうねという議事録でした(笑)。
http://www.pref.gunma.jp/download/toushin66.pdf
3 まともな情報公開審査会を町村毎に持つのは、事実上不可能です。政策的な判断ではないし、審議の回数も少ないのですから、広域圏で共有すべきです。今回のことで片品村も気づいたことでしょう。

コメントありがとうございます。

私は市民社会の醸成からという観点からの問題提起ですが、逆に杉山さんのビジョンを知りたいです。現状の問題点を指摘しているのは分かりますけど、何のために指摘しているのかが分からないのです。市民自治の実現という点では当方と共通してると思うのですが、そのために何をすべきだと考えていて、だから情報公開が重要なんだと、言っていただけるとよく分かるのです。私は、市民自治→市民の育成→だから協働事業じゃなくて市民活動センターという図式です。

1.について。
説明が下手くそなのは、別に行政に限らず、私もそうなんですよ。情報公開が進んだって、説明が下手なヤツがいたらそこで終わりです。説明力を向上させるのは、これが分かりにくい、ここを説明せよと対話をとおして相互学習するしかない。それは情報公開→書面のやり取りでは絶対に進みません。だから公共的対話空間を整備する必要があって、だから、みんな自治基本条例でやるのだと思います。

けれども、市民参加条例に行政が反対するのは、そうでしょうね。市民社会組織のレベルが低ければ、批判合戦ですから。行政にクレームなんてつけようと思えばいくらでも付けられる。市民社会が醸成されていると、市民同士の自助作用が働くのですけど、それが期待できないから市民参加条例には反対なんだと思います。

だから、公共的対話空間をつくるためにも、市民活動センターが重要だと。ここのブログの皆さんは、どんなビジョンがあって、市民活動センターを批判するのか良く分からないですが。いや、批判するのは分かるし、批判しどころ満載なんですけど、批判のための批判にしか聞こえない。ビジョンが見えないから建設的に見えないので残念ですね。

2.について。
そうですね。私も一律に非公開でよいとは言っていません。

これも私の理念の問題ですが、一般的な審議会を如何に透明にしようが、多様な主体が意見を言って、情報を持ち寄らなければ、議論の質は改善しないと思います。(情報公開などの特殊なものは個別の論理があるのは当然です。)

それでいま思いついたので建設的な指摘をひとつ。このブログ公人、私人、審議会委員など性格の違うものを一緒に扱いすぎだと思います。県議会の議員は、公人だし市民に選ばれているのだから、氏名公開は当然でしょう。だけど普通の審議会は行政委員会なんだから、審議会の委員を公人扱いするのはおかしいですよね。そして別の日のブログで真下さんネタなんですけど。いまは公人じゃない=私人なんだから、何をどうしようが真下さんの勝手だと思いますけどね。私人が何をしようが私人の勝手だろと。夫婦が何で思想信条まで一身同体じゃなくちゃいけないのかと、誰かさんが突っ込むのを期待しているのですが(笑)。

3.については、一見そうだと思いつつも、地方自治を放棄する可能性があるので、ペンディング。ある自治体の問題は、その自治体内で解決すべきじゃないかとも思うのです。

そうすると通常は、利害関係のない弁護士や学識経験者で構成するしかないんじゃないだろうか。
「そうしてください」。
田舎の自治体は探してこないといけないから大変。
「でしょうね」。
最初から気をつけないとコストがかさむな。
「そうすればいいんじゃないですか。コスト? そりゃ、必要なものは必要なんだから」。
と、言うしかありません。突き放した言い方に見えるかもしれないけれど、こう言いたい気持ちも想像できるでしょ。なにしろ、去年の10月の5件の情報開示請求から始まって、出てきた文書に疑問を感じて、異議申立てしたり、新たな開示請求をしたり。1年もたっていないのに、異議申立てが9件、監査請求が1件です。出てきた答は、私から見れば詭弁ばかり。このブログの場を借りて書いてきたこと以外にもいろいろあって、正直、これで自治体と言えるかと呆れています。と言うか、5件まとめてやったせいで、ときどき交通整理はするんですが、頭の中、こんがらがっています(笑)。

ダルタニャンさん
1 情報公開が重要なのは、それが市民社会醸成の必要条件だからです。
2 期待された突っ込み(笑)です。
私は、公人、私人という分類ではなく、行為の公共性を批判して良いかの判断基準としています。つまり、公共性のある行為のみを批判の対象としているつもりです。このへんの考え方は、以下が良くまとまっているのでご覧下さい。
http://www.telesa.or.jp/consortium/provider/pdf/provider_041006_2.pdf
もっとも、至らない点もあると思いますので、ご指摘いただければ削除、訂正も含めて検討します。なお、情報公開審査会など法律・条例にもとづく審議会の委員は特別地方公務員です。また、法律・条例にもとづかない諮問機関であっても、自治体の政策決定に関わる以上そこでの言動は公共性を有していますし、特定の政党・候補者を支持し、選挙運動の先頭に立つ行為も公共性があります。なお、私のような住民訴訟の原告も自治体を代位している以上、その範囲で公共性があります。その言動が批判に晒されることは当然です。だから、談合事件の時も私を批判する中小業者の方々(市長らに騙されて訴訟に巻き込まれた)と直接面会し、訴訟の意味を説明し情報を提供してきました。
 次に、夫婦で思想信条が異なることですが、これはまったく問題がありません。しかし、夫婦で「基本的な政治的立場は共通していると」公言し、それを利用して選挙運動をしていたとなれば、選挙民に対する詐欺的行為ですから指摘されたような批判を受けるのは当然です。
http://www2.wind.ne.jp/yoshie-m/fukuryu/F58.htm

夏休みしていました。
1.について
私の質問は、杉山さんのおっしゃる市民社会ってなんですか?と聞いているのです。

要するに情報公開が進めば、どんな社会になるんですか? 本当になるんですか? そのやり方が、本当に合理的なんですか?と聞いているのです。

市民活動センターを作って、市民を育成・支援するほうが合理的ではないですか?ということです。

杉山さんもご理解いただけているようでありがたいのは、情報公開は必要条件です。私が聞きたいのは、十分条件です。必要条件は数多ありますが、要するに杉山さんの理想とする世界に近づけるための十分条件の提示をして欲しいという趣旨のコメントです。


2.について
全く議論になりませんね。私は、選挙で選ばれた公人と、みなし公人と、私人は分けて考えるべきだと提案しているのです。杉山さんは、全て行為の公共性があれば同一に扱えるといっていますが、その根拠はなんでしょうか? 

相変わらずいくつかの議論が混成しています。まず公共的行為とは何か。公人の情報公開はどこまで可能かくらいは区別して議論して欲しいです。

まず率直にお聞きしますは、何をもって「行為の公共性」というのでしょうか? アーレント、ハーバーマス以降、どこでもいつでも公共空間ができてしまうわけだから、行為の公共性なんて何も言っていないと同じことですよ。行為の公共性というのなら、真下さんが、私人として政党を応援したり、ある法案に賛成、反対とか何をしようが、勝手じゃないですか? じゃあ、世の中の人が政治に関心をもったら、全て公共性があることになるし、井戸端会議にも公共性が発生するのでは?
 

私人の真下さんを批判する行為に公共性があるというのなら、その判断の根拠をお示しいただきたいと思います。そこからなら議論が広がるでしょう。楽しみにしています。

公人の情報公開の範囲について
情報公開審査会の委員が、みなし公人だとして、だから直接情報公開の対象になるというのはおかしいのではといっているのですが、意図が伝わりませんでしたか? 公平・平等に情報を扱える実体的正当性が問われるから、氏名を公開にするのであって、みなし公人だから氏名を公開するのではないと指摘したのですが・・・。

最後の真下ご夫妻が、選挙民に対する詐欺的行為を働いたという事実は知りませんでした。それは既にオーソライズされた事実なんだと、受け止めてよろしいのでしょうか? 単なる価値判断じゃなくて、事実として真下夫妻が選挙民に対する詐欺的行為を働いているんだということで、よろしいですかね?

木暮記事は、常に事実をもって議論するので言い方のハード・ライトはありますが、事実は事実なので気になりません。ただし、その他の方は事実よりも価値判断を優先し、かつ事実なのか憶測なのか分からないことがあるので、非常に危なっかしいと思います。

ダルタニャンさん、遅くなりましたが、市民社会についての私の見解です。回答になっていないかもしてませんが。

1 「私の質問は、杉山さんのおっしゃる(熟成した)市民社会ってなんですか?と聞いているのです。要するに情報公開が進めば、どんな社会になるんですか? 本当になるんですか? そのやり方が、本当に合理的なんですか?と聞いているのです。」

以上いずれも、私には解りません。難しすぎます。ただ、一つの漠然としたイメージですが、多様な市民活動が存在する社会がいいなと思っています。そのためには情報公開が必要だと思います。

2 「市民活動センターを作って、市民を育成・支援するほうが合理的ではないですか?ということです。」

 少なくとも、市民活動センターという名前のハコモノだけを造るのは非合理的(無駄)だと考えています。準備会を非公開で行う、委員の意見を議事録に掲載しないなど準備段階でミソの付いたセンターであればなおさらです。このような行政下で造られたセンターは自律的な市民活動(=多様性を認める)にとって害こそあれ、利益などないと考えています。
 また施設が必要なら、既存の公民館の運営を改善し、市民センターと改名すれば済むことです。多くの自治体でやっていることです。そもそも、答申が言う地域自治には各地域にある公民館を活用する方が適しています。
 また、市民活動を育成・支援するなどと言ったおこがましいことは考えたこともありません。いったいどなたが育成支援する役割を担うのでしょうか。私には想像付きません。私自身の活動が行政に育成・支援されるなんて想像しただけで鳥肌がたちます。みんな違って、さまざま、バラバラ、一つの方向に向かわない、これこそが市民活動の良いところなのだと考えています。

3 「杉山さんもご理解いただけているようでありがたいのは、情報公開は必要条件です。私が聞きたいのは、十分条件です。必要条件は数多ありますが、要するに杉山さんの理想とする世界に近づけるための十分条件の提示をして欲しいという趣旨のコメントです。」

私は、成熟した市民社会とは目標にするものであって、到達するものではないと考えています。人類が続く限り、届くことのない永遠の目標でしょう。これで十分という条件など考えられません。考えるべきではないとさえ思っています。

ダルタニャンさん、遅くなりましたが、論評に際しての公人、私人の区別問題についての私の見解です。

1 「全く議論になりませんね。私は、選挙で選ばれた公人と、みなし公人と、私人は分けて考えるべきだと提案しているのです。杉山さんは、全て行為の公共性があれば同一に扱えるといっていますが、その根拠はなんでしょうか? 」について

議論にならないなら止めましょう。といいたいところですが、ブログの運営に関することでもあるので回答します。

選挙で選ばれた公人という定義は間違いです。この定義だと民間選出の閣僚は選挙で選ばれていませんから公人ではないということになります。例えば、参議院議員になる前の竹中平蔵大臣も、公人ではないということです。沼田市で考えても、振興局長、副市長は公人ではないことになります。また、公人と私人が同一に扱えるといっているのではありません。詳細は以下の3で説明します。

2 「相変わらずいくつかの議論が混成しています。まず公共的行為とは何か。公人の情報公開はどこまで可能かくらいは区別して議論して欲しいです。」について

 公共的行為とは適当な言葉ではありませんでした。社会生活上の行状(私生活上の行状に対比するものとして)といった方が適当でした。
 つぎに、公人の情報公開ですが、原則は、社会生活上の行状については公開、私生活上の行状については非公開だと考えています(例外あり)。
 なお、公人どころか行政と関わりを持った私人(しかも私生活上の行状に近い部分)の情報をどこまで公開するかというのが、現在の問題の一つです。例えば、市長交際費の相手方情報です。市に功績があった民間人に病気見舞いや香典を出した場合、その民間人の氏名をどこまで公開するかという問題です。この点、群馬県は私人だろうが全面公開です。世の流れも全面公開です。沼田市はいまだに公人も含めて非公開です。
なぜ公開しないか。個人情報保護が表向きの理由ですが、本当の理由は違います。相手方の名前を明らかにすると、私みたいな奴が、その方に本当にもらったか聞き取り調査をするからです。そんなことされるとネコババしていることがばれます。だから、全面公開になるとその年度から交際費が減ります。捜査協力者への謝礼である警察の捜査報償費なんかすべてこの手口です。すべて幹部がネコババしているのです。

3 「まず率直にお聞きしますは、何をもって「行為の公共性」というのでしょうか? アーレント、ハーバーマス以降、どこでもいつでも公共空間ができてしまうわけだから、行為の公共性なんて何も言っていないと同じことですよ。行為の公共性というのなら、真下さんが、私人として政党を応援したり、ある法案に賛成、反対とか何をしようが、勝手じゃないですか? じゃあ、世の中の人が政治に関心をもったら、全て公共性があることになるし、井戸端会議にも公共性が発生するのでは?」

アーレント、ハーバーマスとは何のことか解りませんが、そもそも、論評ですから、相手が私人であれ何を言おうがこれも勝手です(言論の自由)。ただし、言われた方にも、名誉権やプライバシー権がありますのでそれを保護する必要もあります。つまり、名誉毀損と言論の自由の問題です(ここでは私生活上の行状=プライバシーの問題ではない)。これは帰する所、名誉毀損罪の特例規定(刑法230条の2の1項)における「事実の公共性」の解釈問題です。論評の対象となった事実に公共性が認められるかの問題です。この点、リーディングケースとなっているのは、「月刊ペン事件」(最判昭56.4.16)です。これは、創価学会の会長(私人)の下半身問題(私生活上の行状)を週刊誌が記事にしたことが、名誉毀損にあたるかが争いになりました。そして、最高裁は以下のように判断しています。
 事実の公共性の要件に付き「私人の私生活上の行状であっても、そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として」事実の公共性をみたす場合があるとしました。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/84B4C6345687A9DF49256A850030AA5C.pdf
 また、同法同条3項は、公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実については、「事実の公共性」の要件を不要としています。法が、公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実は、すべて「事実の公共性」をみたすと考えているからです。ここが、前述の私人と公人の取扱の違いです。
 このように、私人の私生活上の行状であっても論評が許される場合があるのです。民主党の幹事長とともに街頭演説で政策を訴える行為は私生活上の行状ではありえません。社会に影響を及ぼす社会生活上の行状ですから、「事実の公共性」があることは明らかです。実名をあげて論評することは、事実が真実であり、公益目的の論評(本件では明らか)である限りまったく問題ありません。

4 「最後の真下ご夫妻が、選挙民に対する詐欺的行為を働いたという事実は知りませんでした。それは既にオーソライズされた事実なんだと、受け止めてよろしいのでしょうか? 単なる価値判断じゃなくて、事実として真下夫妻が選挙民に対する詐欺的行為を働いているんだということで、よろしいですかね?」

お二人の「基本的な政治的立場は共通していると」公言し、それを利用して選挙運動をしていたということが公共性のある事実です。
その事実を選挙民に対する詐欺的行為と論評したのは私の価値判断です。

私は高校生です。
あなたがたが話している話は大体難しくて理解できません。
しかし選挙権もない若者からの意見として、村長になれた限りその方の実力を買っている人達もたくさんいるということであるし、少なくともこのような掲示板に「そもそも優秀な人材に恵まれていれば、千明金造は村長をやっていない」などと書き込むことは間違ってもあってはならないことだと思います。
大人として、意見を述べる身として、最低限の礼儀は持っていただきたいです。
失礼しました。

Yさん、コメントありがとうございます。
 「大体難しくて」とは間違った日本語の使い方です。「とても難しくて」とすべきところでしょう。
 「村長になれた限りその方の実力を買っている人達もたくさんいるということであるし、少なくともこのような掲示板に『そもそも優秀な人材に恵まれていれば、千明金造は村長をやっていない』などと書き込むことは間違ってもあってはならないことだと思います。」
 これは、前段が後段の理由になっていません。村長の実力を買っているいる人がたくさんいるとどうして批判的なことを書き込んではいけないのでしょうか。その理由をきちんと示す必要があります。
 なお、私は、村長の実力を買っているなら、批判は批判として受け止めた上で、その実力の根拠を示すべきと考えています。
 「大人として、意見を述べる身として、最低限の礼儀」とはなにか具体的に示して下さい。規範に反していると主張する場合、その規範を相手に示すのが議論をする上での最低限の礼儀です。
 Yさんが、自分の頭で論理的に考える訓練を積まれることを切望します。

Yさん、コメントありがとうございます。
 「そもそも優秀な人材に恵まれていれば、千明金造は村長をやっていない」と書いた木暮です。あなたからのコメントに対して言いたいことは、ほとんど杉山弘一さんが変わって答えてくれていますので、私は別の角度から言います。批判は、された側にとって面白くないととるか、喧嘩を売られたととるか、あるいは好機と捉えるかは、その人の器によると思います。少なくとも、自治体の長になろうという人には、それを好機と捉える志の高さを期待します。

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