名前だけ変えても
7月1日に開かれた、「(仮称)沼田市市民活動支援センター設立準備会」において、設置予定のセンターの名称から、「支援」という文字を削除し、「市民活動センター」とする方針がまとまったそうだ。市民活動の自立性や行政との対等性を考慮してのことらしい。「支援」があるかないかで市民が受けるイメージはかなり違うから、たしかに一歩前進である。
しかし、議事録を良く見ると「センターの名称については市長に報告することとする。」とある。通知ではない、答申でもない、提言でもない、報告なのである。つまり、同準備会では名称変更を決定できず、こうすべきだと提言することも出来ず、市長に「変更してもよろしいですか」と伺いを立てると言うことだ。この行為のどこに、自立性や行政との対等性を見いだすことが出来るというのだろうか。
同準備会の委員の先生方は、行政の支援を受けて、「市民活動は行政から支援されるものではない。」と言っているのであり、行政の庇護の元で、「市民活動は行政から自立し、行政と対等でなければならない。」と言っているのである。
そして、センターの中身の議論はまったくなされていない。どうやって、市民活動の自立性や行政との対等性を担保するかなどはまったく議論されていないのである。それどころか、センター長などのスタッフをいかにして市外部から連れてくるかといったことを議論しているのである。他力本願なのだ。これでは、沼田市の「市民活動の自立性や行政との対等性」が確保されるはずはない。
そもそも、市民活動センターと7つある既存の公民館との関係はどうするのか。公民館の機能は、地域の市民活動の拠点となることであったはずである。わざわざ新たなセンターを設置し、天下りポストを新設しなくても、既存の公民館の運営を改善していくことで、市民活動に便宜を図ると言う目的は十分対応できるのではないか。
また、市民参加検討会議で提言がなされた「情報共有コーナー」との関係はどうするのか。 自立した市民活動を育てるというならば、行政は市民活動に口を出すべきではない。行政がなすべきことは、行政情報だけでなく市民や各種民間団体から寄せられた提言などの情報を整理し、誰にでも利用しやすい窓口「(仮称)情報共有コーナー」で提供することだ。それを放置したまま、市民活動センターを作っても形だけで終わるだろう。
結局、市民活動センターの設置など茶番に過ぎない。こんな茶番を続けている限り、沼田の市民活動に自立性や行政との対等性を望むことは出来ない。それどころか、このままでは市民活動を行政が管理し、コントロールする基地になりかねない。そうなったら、自立した市民活動を阻害するセンターと成り下がることになる。
だったら、いっそのこと、「沼田市自立的市民活動阻害センター」と改称するのが適切だ。
(杉山弘一記)
星野巳喜男は市長に立候補したとき、自分は自民党ではなく市民党になると言った。無党派層が選挙を左右すると言われだした頃で、田舎の市長にしては機を見るに敏な転換だった。ところが、この宣言は嘘だった。星野は自民党の党籍を抜かなかった。抜かないだけでなく、県議が就任するのが慣例の自民党支部長のポストにとどまった。また、県議時代の充て職も手放なさない。経費沼田市もちで、自民党や県の活動に精を出してきたのである。
市民党などというのは、内容空疎なスローガン、つまり、嘘だった。群馬県の首長のなかで市民党を名乗り、支部長のポストを手放さない人は他にいない。他市の市長は、県議のときは自民党でも市長就任時に党籍を抜いているのである。
星野巳喜男は沼田市民を白痴(こけ)にした。その場限りの耳障りのいいことを言っていい気持ちにさせれば十分の馬鹿の集まりだと思っているのだ。その証拠に星野のした公約は何一つ実現していない。情報公開、市民協働、財政健全化。沼田は最低である。ひどかった前市長の時代より駄目になっている。星野は退陣すべきである。
投稿: 峯崎淳 | 2009年7月29日 (水) 19:48
沼田市市民協働によるまちづくり事業補助金の審査結果が公表されました。http://www.city.numata.gunma.jp/introduction/kyodo/kyodo-result_h21.html
行政との対等性を維持した自律的、自主的な市民活動を育成するため、行政が市民団体の活動内容を審査し補助金を与える。あきらかな自己矛盾です。
投稿: 杉山弘一 | 2009年7月30日 (木) 08:36